癒しの春の生きものたち 多肉植物と柴犬チロリの日常

 東京もやっと寒い春から暖かくなり、桜もあっという間に散ってしまいました。多肉植物、庭の生きものたち、そして柴犬チロリなど、前回報告の2か月前より大きく変わっています。

 

花いっぱいの多肉植物

 2階に置いている多肉植物は、太陽の光を浴びて大きく成長しました。そして、何種類かが花を咲かせています。

先ず、ぷにぷにとした姿が可愛い「ハオルチア」です。

 

葉の中から幾つかツルを伸ばして、そこから花を咲かせています。

 

他のハオルチアも中からツルを伸ばそうとしています。

 

2か月前にセダムなど「寄せ植え」にしました。

 

 手前の「エケベリア」が大きく成長しています。「エケベリア」は、中南米が原産で、まるで花びらのように広がる肉厚の葉が特徴です。

 

これもツルを伸ばし黄色の花を咲かせました。

 

別の鉢の「エケベリア」です。色が少し違い橙色の花を咲かせています。

 

 大きく成長した「福娘」です。これは確か去年の夏に花を咲かせたと思いますが、蕾をもっています。

 

 セダムの種類で「セダム スプリングワンダー」です。1度大きな鉢に入れ替えましたが、これも思いがけず花が咲いています。

 

 このセダムの葉は切れ易く、切れた葉をランの鉢の空いている所に置いていました。繁殖力が強く、いつの間にか鉢を占領しています。

 

 カネノナルキ(金のなる木)の白い花は、もう1か月以上咲き続けています。

 

また、落ちた枝からも花が咲いているようです。

 

 これらの多肉植物は、何れも似たような花で、しかも地味なのでルーツは一緒なようです。水は殆ど与えていませんが、太陽の光だけでこのように成長して花を咲かせるのに驚きです。

 

庭の草木

 庭の草木も暖かい日が続き、競って花が咲いています。山茶花、椿の花は、もう終わっていますが、サクランボの花が咲いています。

 

 久留米躑躅(つつじ)も咲いています。ピンクの花はもう咲いていますが、白色は未だなようです。

 

ハナニラ」の花です。毎年のことですが、いつの間にか庭のあちこちに薄紫っぽい白色の花が咲いています。

 

これもいつの間にか咲いている、薄紫色の可憐な花です。名前は分かりません。

 

ツルニチソウです。これもこの頃に忘れずに咲いています。

 

外に出している鉢植えのランの花です。模様がホトトギスの花と一緒です。

 

シジュウカラ」の水浴びとキアゲハ

 小鳥たち、蝶々も暖かい春を待っていたようにやって来ます。「シジュウカラ」は用心深く、めったに撮れないのですが、未だ子供の小鳥なのでしょうか、暫く夢中になって水浴びしていました。

 

 キアゲハもやって来ました。ヒラヒラと舞いながらやって来るので撮るのに苦労しますが、柚子の木の周りを舞い卵を産むつもりのようです。

 

柴犬チロリ14歳

 そして、柴犬チロリは元気いっぱいです。でも認知症の症状は、確実に進んでいます。家が分からない、昼夜逆転の生活、徘徊、足腰がふらつくなどなど。

まるで飼い始めの子犬に還ったみたいですが、懸命に生きている姿が可愛い。

 

これから散歩ですが、テンションが低い時は、玄関で座り込んでしまいます。

 

散歩の途中でも。

 

元気な姿のチロリ。

 

耳が立って舌が長いチロリ。

 

これから寝るチロリ。平和な寝姿に癒されます。

 

おわりに

 多肉植物がこのようにたくさん花が咲くとは思ってもみませんでした。サボテンの「銀てまり」から始まってエケベリアセダムなどです。水は忘れたころやるだけで日光、温度が成長に合っていると思われます。本当に不思議な植物で、今後もその成長が楽しみです。

 身近な植物、動物全てが健気に懸命に生きている姿に、わたしも癒され、心も和み健康に過ごすことが出来る気がします。

                     以上

徳川家ゆかりの寺「高円寺」 双竜鳥居のある不思議

 杉並区の寺社散策、最後に「高円寺」です。JR高円寺駅近くの「高円寺氷川神社」から直ぐの所にあります。

 

 北側の通りに面した所に山門があります。石門に高円寺の名前がありますが、山門はもっと奥に見えます。

 

 山門です。左に立派な「宿鳳山(しゅくほうざん)高円寺」と刻まれた寺号碑があります。

 

 山門正面です。扁額の文字は、山号の宿鳳山です。

 

また、徳川家ゆかりの寺であることから「徳川葵」の寺紋です。

 

山号:宿鳳山

寺号:高円寺

宗派:曹洞宗

本尊:木造聖観音菩薩立像

 

縁起

 宿鳳山高円寺は、弘治元年(1555)、中野成願寺第三世建室宗正によって開山された曹洞宗の寺で、「高円寺」の地名は当寺に由来します。かつてこの地は、周辺に桃の木が多くあったことから桃園と称され、恵心僧都源信作の本尊は桃園観音、御堂は桃堂の名で呼ばれていました。

 三代将軍徳川家光の知遇を得たことにより名が知られ、それまで小沢村と呼ばれた村名を、寺名をとって高円寺村と改めたのも家光と云われています。以来、「高円寺」の名は駅名などにもなり、現在に至っています。

             (杉並区教育委員会掲示より抜粋)

 

本堂へ

山門から参道を進み真っ直ぐ本堂を目指します。

 

本堂の前には、大イチョウです。

 

本堂です。現在の本堂は、昭和29年(1954)に再建されたものです。

 

本堂正面上部の彫刻が格調高いです。

 

本堂の左脇から庭を散策してみます。

 

庭も広くお堂などがあります。

 

双竜鳥居

本堂の左に位置している鳥居が「双竜鳥居」です。

 

 双竜鳥居は、当寺と先程見て来た近くの「馬橋稲荷神社」、そして「品川神社」と珍しく、都内に3か所のみです。昇龍と降龍が鳥居の左右の柱に巻き付くように彫刻されており見事な造形です。

 

 鳥居の奥にお堂があります。稲荷神社と聞いていましたが、その雰囲気ではないようです。

 

双竜鳥居の直ぐ左が、寺院の西門です。

 

子育地蔵堂

本堂手前の左手に地蔵堂があります。

 

地蔵堂手前の奇妙な石像です。

 

この地蔵堂には、幾つかの石仏が祀られています。

 

中央は、「桃園子育地蔵菩薩立像」です。足元に二童子がいるようです。

 

その左は、庚申塔のよう形状ですが、中央に何か彫刻されている感じです。

 

中央の子育地蔵菩薩の右側には、三猿の石像と布袋像です。

 

この地蔵堂には、なかなか面白い組み合わせの石仏がありました。

 

おわりに

 境内は、あまり参拝者も多くなく静かですが、山門をくぐると整然とした庭など、将軍がらみの由緒ある寺院だけに格調高い寺院です。御朱印もなく賽銭箱も置いてありません。

 この寺院の特色である「双龍鳥居」がありますが、寺院にこのような鳥居が造られた経緯がどうなのか不思議に思え興味深いところです。

 

 JR中央線沿線の国分寺、吉祥寺、高円寺は、中央三寺と云われています。国分寺は、「武蔵国分寺」という立派な寺院があります。ここは、2年前に行っています。

聖武天皇の「国分寺建立の詔」  武蔵国分寺① 薬師堂編 - クマケア治療院日記 (hatenablog.com)

 現在の吉祥寺に「吉祥寺」という名の寺院はありません。明暦の大火により、現在の文京区の吉祥寺門前の住人が、五日市街道沿いを開発・移住したことにより名付けられたようです。吉祥寺という曹洞宗の寺院は、文京区本駒込にあります。

 そして、「高円寺」という寺院は、このように立派にありました。現在も存在しているとは思いませんでした。

 因みに、わたしが参拝した駅名に寺がつく区内の寺院は、「豪徳寺」、「祐天寺」、「新井薬師」、「高幡不動」があります。まだ他に思いつくだけで「池上本門寺」、「護国寺」、「泉岳寺」などがあり、このテーマで散策するのも一興かと思います。

 寺院だけでなく神社も同様ですが、参拝のために鉄道を敷き、駅を造ることが多いようで、昔から現在の日本人の信心深さが伺えます。

                      以上                         

東京都杉並区 気象神社で晴天祈願 「高円寺氷川神社」

 杉並区の寺社散策が続きます。今回は、馬橋稲荷神社から東にJR高円寺駅の方角に向かい「高円寺氷川神社」です。

 

 高円寺氷川神社は、JR高円寺駅南口から徒歩直ぐの所にあります。日本で唯一の「気象神社」が祀られていることでも知られています。氷川神社の入口で、黒い鳥居と右に社号碑です。

 

 鳥居の右側に氷川神社気象神社(全国唯一)の社名の看板そして「気象情報の電光掲示板」があります。

 

境内へ

 一揖して鳥居から境内へ入りますと、右側に手水舎があります。花手水で柄杓が無く、水は龍の口を通じて竹から流し放しです。コロナ以来このようなスタイルの手水舎が多いようです。

 

社殿

 境内はそれ程広くなく直ぐに拝殿です。東京大空襲により焼失し、昭和46年(1971)に現在の社殿が再建されています。

 

拝殿前の阿吽の子持ち、玉持ちの狛犬です。

 

境内に御由緒書きがあります。

御由緒

 創建年代は不詳ですが、源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して創建したとも伝えられます。

 また、村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃の天文年間(1532~15)の創建とも考えられています。

 明治7年には村社に列格し、戦後、馬橋4丁目にあった陸軍気象部に祀られていた「気象神社」を当社境内に遷座、祀られています。

御祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)

 

 拝殿正面です。扁額は「氷川宮」と書かれています。左三つ巴の社紋です。

 

境内右手奥には、ガラス張りの神輿庫です。

 

気象神社

 気象神社の行先看板があります。

 

社殿の左手に境内社気象神社です。

 戦後、撤去されるはずでしたが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存したということで、昭和23年に氷川神社の境内に遷座しました。現在の社殿などは平成15年(2003)に再建されたものです。

 

社前の阿吽の狛犬です。ともに片足を上げています。

 

御由緒書きもあります。

御祭神 八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと)

「知恵の神様」で、有名な「岩戸隠れ」において、天照大神を外に出す知恵を授けた神として知られています。

 

気象神社の鳥居前に「下駄絵馬」や「てるてる坊主」が掛けられています。晴天祈願。

 

 また、気象観測の百葉箱もありました。実際に測っているのでしょうか。

 

稲荷神社

 気象神社の後方に稲荷神社が3社並んでいます。



右手には力石が多数置かれています。「大正十五年六拾貫余」の文字が。

 

御朱印

 最後に御朱印です。拝殿の右手に社務所があります。建物の中に入った所に受付があり、御朱印を頂きました。

 

御朱印氷川神社気象神社、のカラフルな2枚1組です。

 

氷川神社気象神社のセットの色々な御朱印があるようです。

 

パンフレットも頂きました。

 

おわりに 

 高円寺氷川神社には、平日に行ったのですが、多くの参拝者が訪れていました。鳥居や社殿など、全体的な色合いが黒系を基調としていて、また境内は、木々も多く落ち着いて参拝することが出来ました。

 この神社は、境内社の「気象神社」に力を入れていることが分かります。最初に気象情報の電光掲示板があるのには驚きました。数年前の新海誠監督のアニメ『天気の子』でも登場していて、日本唯一の神社として人気を博しているようです。

御朱印も、気象神社氷川神社と同列に扱われており2枚1組です。

 

 気象神社関係の授与品も「下駄絵馬」、「照々(てるてる)みくじ」など多数ありアイデア満載です。

 「晴天祈願」の御祈祷も行われているようで、どうしても晴れて欲しい日がある場合、参拝に来ることも考えたいような気がします。

 

 杉並区の寺社散策、この氷川神社の近くにある旧別当寺「高円寺」へ行き双龍鳥居があるのでこれも見てこようと思います。

                       以上

東京都杉並区 風情漂う参道 双龍鳥居の「馬橋稲荷神社」

 杉並区の寺社散策が続きます。前回は、丸ノ内線新高円寺駅」近くの「猿田彦神社」に参拝しましたが、今回は、「馬橋(まばし)稲荷神社」です。

 

 猿田彦神社から真北へ数分の住宅街を歩くと突然立派な一の鳥居、社号碑が現れます。

 

鳥居の左に御由緒書き、右に社号碑です。

御由緒書き。

 

御由緒

 創建の年代は不詳ながら、鎌倉時代の末期の創建と伝えています。

天保2年(1831)、氏子が京都白川神祇伯家御役所に上申し、正式に「正一位足穂稲荷(たるほいなり)大明神」の御神号を拝受したということです。

明治40年、本殿改築後、村内の御嶽神社白山神社、天神社、水神社を相殿として合祀します。

 昭和40年住居標示の改正に伴い、馬橋の地名を保つため神社名を「馬橋稲荷神社」と改めました。

主 神

 宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)(稲荷神社)

大麻等能豆神(おおまとのづのかみ)(御嶽神社

相 殿

伊弉册神  (いざなみのかみ)(白山神社
美都波能賣神(みずはのめのかみ)(水神社)
菅原道真朝臣(すがわらみちざねあそん)(天神社)

末 社

美都波能賣神(みずはのめのかみ)(水神社)
市杵島姫神 (いつきしまひめのかみ)

 

社号碑。

神社名に馬橋の名称を冠し、正式に馬橋稲荷神社となった記念に建立された社号碑です。

 

一の鳥居

 木製で上の部分の笠木が反り、その下に台輪がついた明神鳥居系の「台輪鳥居」です。現在では珍しい大鳥居です。

 

双龍鳥居

参道を進むと二の鳥居は、「双龍鳥居」です。

 昇龍と降龍が鳥居の左右の柱に巻き付くように彫刻されており、大変に見事な造形です。龍の巻いた鳥居は珍しく、「品川神社」「高円寺内稲荷社」と合わせて東京3鳥居と呼ばれています。

 

左側の昇龍。

 

右側の降龍。

 

続く参道

美しく整備された長い参道が続きます。

 

三の鳥居です。平成御大典を記念して建立されました。御影石作りの台輪鳥居です。

 

両脇の狛狐さん、玉持ちと子持ちです。

 

 参道の左手に手水舎です。龍神、伊予の青石、苔などを組み合わせた見たこともない手水舎です。

 

随神門

 随神門です。昭和50年、創建700年を記念して建立されました。奥に拝殿が見えます。

 

右大臣、左大臣と呼ばれる

「豊磐間戸命(とよいわまとのかみ)」

「櫛磐間戸命(くしいわまどのかみ)」という

戸守りの神像を祀っています。

 

随神門の天井には都内最大の「開運鈴」が吊るされています。この鈴の真下を通ると幸運がやって来るとのことです。

 

社殿

随神門を通ると朱色の鳥居に囲まれた社殿が現われます。

 

社殿の前の鳥居は、「三ツ鳥居」で、明神鳥居の両脇に、小さな二つの鳥居があります。

 

そして、拝殿です。昭和13年建立、総檜造の銅板葺き流れ造りです。

 

拝殿の前の阿吽の神狐像です。

 

「願かけ狐」が、神狐像の周りにたくさん奉納されています。

 

扁額です。中央に稲荷宮、そして左右に天満宮、御嶽宮です。

 

 社殿の左側に恩頼(みたまのふゆ)の勾玉があります。神様のチカラを頂く御神霊(おみたま)石です。

 

社殿の左手の「神楽殿(舞殿)」です。

 

境内社

社殿の左側に、境内社が並んでいます。拝殿左奥に「厳島神社」と「水神社」の合祀殿があります。

 

合祀殿の左手には斎霊殿です。戦没者と神社物故者等の霊をお祀りしています。

 

 小さな稲荷社や祠も多数祀られています。近隣の庭に祀られていたものを、この神社でお祀りしているようです。

 

東西南北の鳥居

表参道の鳥居は南ですが、社殿の左手裏に続く参道には、北参道鳥居があります。

 

東参道にも鳥居があります。ここは龍の手水舎もありました。

 

そして、西側の鳥居です。東西南北全てから境内に入ることが出来ます。

 

御朱印

最後に御朱印です。随神門の右側に社務所があり、御朱印を頂きました。

 

可愛らしい子狐の置物も頂きました。

 

おわりに 

 都区内で印象的な神社が幾つかありますが、この馬橋稲荷神社もその一つとなりました。神社の規模はそれ程大きくは無いのですが、拝殿への参拝に行く前から、双龍鳥居、随神門の開運鈴、龍神の手水舎、三ツ鳥居の社殿など見所満載でした。

 長い参道に「桃園川の流れに思いを馳せて」と、かつての清く澄んでいた桃園川を再現し、小さなせせらぎを作っていました。

このことからも地域に親しまれる鎮守なのが伝わってきます。

 

 綺麗に整備された長い参道、境内全体が落ち着いた雰囲気で清々しい空気感が溢れていた印象に残る神社でした。

 

 杉並区の寺社散策、これからJR高円寺駅の方へ東上し「高円寺氷川神社」そして同じく双龍鳥居のある「高円寺」へと続きます。

                     以上

東京都杉並区「猿田彦神社」と「太道教」 天孫降臨の神話

 杉並区の寺社の散策を行っています。前回まで「京王井の頭線」沿線、永福町駅近辺でした。今回は、その北側の「丸ノ内線」「中央線」沿線高円寺駅近辺の寺社散策となります。

 先ず、丸ノ内線新高円寺駅」から数分の所にある「猿田彦神社」に行きました。

 

 住宅街の「馬橋通り」に面しており、朱色の鳥居が目立ちます鳥居の後ろ直ぐに拝殿です。

 

猿田彦神社の御由緒

鳥居の右に説明掲示板があります。

 猿田彦大神天孫降臨(てんそんこうりん)の時、天野八衢(あめのやちまた)に迎えて啓行され、天孫高千穂峰に導きました。 その後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)に送られて、伊勢の五十鈴の川上に来られ、ここを中心に広く国土を開拓指導された地主の神と伝えられております。

 猿田彦大神の大本社として、猿田彦大神の墳墓近くの御船磐座(みふねいわくら)付近に椿大神社(つばきおおかみやしろ)が造営されています。 

猿田彦神社は、この椿大神社より猿田彦大神の御霊を勧請して創建されました。

御祭神  猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

 

社殿参拝

 鳥居から一揖して入り、先ず右手にある手水舎で清めます。コロナの影響で柄杓が無く流し放しの手水舎が多いようです。

 

扨て、拝殿です。

 

拝殿正面です。社紋は、五七の桐(ごしちのきり)。秀吉が使用していました。

 

拝殿の柱に「猿田彦神社」と書かれた木札です。

 

社殿の右側面です。

 

 境内全体ですが、住宅街の一画に鎮座したこぢんまりとした境内です。左に鳥居、その奥に社殿、中央に御神木のマツです。右手に社務所があります。

 

道教(たいどうきょう)

 そして、中央の参道を進むと、「太道教本部」があります。

 

 猿田彦神社と同じ敷地内に「太道教本部」が置かれています。太道教本部は、鹿児島県霧島市にある霧島神宮より天孫(てんそん)降臨の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御霊を勧請して創建されました。

道教本部の傍に説明掲示板があります。

 御祭神の瓊瓊杵尊は、『古事記』『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する神です。天照大御神の孫である事から天孫と称されています。

 太道教は、天理教から派生して、中村しげが開いた神道系教団です。霧島神宮の関東における講社として、昭和15年(1940)に宗教結社太道教として届出が認可されました。戦後新たに施行された宗教法人令の元で、昭和21年(1940)、宗教法人太道教としてあらためて立教宣言しました。

 

 正面左の柱の木札に「太道教本部」、右に「天孫降臨顕彰會本部」の木札が掛かっています。

 

正面内部です。

 

神水

 拝殿の右手に糺水宮(きゅうすいのみや)という祠があります。井戸の神として祀られています。

 

糺水宮御神徳の看板。

 

 横に「御神水所」の矢印の看板があります。その方向に行くと、社殿の脇に狭い通路があります。

 

狭い通路の先には手押しポンプ式の御神水所があります。

 

レバーを下げると御神水が出ます。

 

御朱印

 最後に社務所にて御朱印をお願いしました。

 

御朱印は「猿田彦神社」、「太道教」の御朱印の2種類です。

 

 

猿田彦神社天孫降臨の「御神徳略記」と栞も頂きました。

 

おわりに 

 「猿田彦神社」の境内に、天理教から派生した神道系教団の「太道教」という社殿もあるのに、こういうケースは初めてなので少し違和感がありました。

 天照大御神が、孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に国土の統治、繁栄を命じます。瓊瓊杵尊は、三種の神器・稲穂を持ち、高千穂へ降臨。その途中、瓊瓊杵尊の道案内をしたのが猿田彦大神です。

 このような天孫降臨にまつわる瓊瓊杵尊主祭神とする「太道教」、その瓊瓊杵尊を導いた猿田彦大神を御祭神とする「猿田彦神社」という繋がりがあることが分かりました。

 この神社は、こぢんまりとしたコンパクトな造りですが、し境内は綺麗に整えられていて、落ち着いた雰囲気です。近所の方でしょうか、絶えることなく参拝していく姿を見かけました。宮司さんの対応も丁寧で、わたしも気持ちよく参拝することが出来ました。有難うございます。

                     以上

東京都杉並区 歴史と自然の共存「和泉熊野神社」

 東京都杉並区の寺社の散策が続きます。今回は、京王井の頭線沿線「龍光寺」の直ぐ北側にある「和泉熊野神社」です。

 

 正面の一の鳥居の前です。右側に「熊野神社」と刻まれた社号標があります。

 

和泉熊野神社の御由緒の説明板です。

 

和泉熊野神社の御由緒

 和泉熊野神社は、旧和泉村の鎮守です。社伝によれば、文永4年(1267)に紀州熊野神社の分霊を祀ったのが当社の創建で、弘安7年(1284)に社殿を修造し、その後北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大掛かりな改修を加えたと伝えられています。
 江戸時代には寛永16年(1639)と元禄9年(1696)の両年に社殿の改修をおこなったことが、棟札によってわかります。現在の社殿は文久3年(1863)の造営で、明治4年に修覆したものです。

御祭神

 天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)

 伊弉諾命(いざなぎのみこと)

 伊弉冉命(いざなみのみこと)

              以上 杉並区教育委員会掲示より

 

鳥居から境内へ

 一の鳥居です。直ぐに2つ目の鳥居が見えます。扁額は「熊野神社」です。

 

二の鳥居です。奥に石段の上、三の鳥居が見えます。

 

三の鳥居です。木製のこの鳥居をくぐると石段があり、その奥に社殿が見えてきます。

 

石段を上がると直ぐに狛犬がいます。

 

今来た参道を振り返ると、高台になっているのが分かり、狛犬、三の鳥居が見えます。

 

社殿にて参拝

そして、社殿の方へ進みますが、先ずは手水舎で心身を清めます。

 

拝殿です。手前の狛犬がしっかりとした大きな造りです。

 

拝殿正面です。社紋は「左三つ巴」。上部の龍の彫刻が見事です。

 

右側から社殿を撮ると、庫裡と棟続きになっています。

 

御神木のクロマツ

 社殿の左側には大きな御神木がそびえ立っています。「クロマツ」で、徳川家光が鷹狩りの途中に休息した時に植えたと伝えられています。右側が直ぐ本殿です。

 

杉並区指定「天然記念物」の標柱が建っています。

 説明欄には、「和泉熊野神社クロマツ1本」の表題です。

 社殿横の本クロマツは、幹周3.1m、根元周囲6.3m、樹高(目測)は17mあり、樹齢は350年以上と推定されています。クロマツは俗に雄松と呼ばれ、アカマツに比べて大形で葉は大きく、樹皮が黒褐色をおびています・・・云々。

 

 境内全体の景観です。左側の社殿の左側の木が「クロマツ」です。

 

境内の東側には神楽殿があります。

 

この神社の東側に幼稚園が併設されていて、園児が境内を見て回っています。

 

境内社

 社殿の両脇には境内社があります。
左側に「北野神社・御嶽神社・山神社」の三社が合祀されている末社があります。

 

祠の前に狛犬です。

 

祠です。中に小さな狐さんもいます。

 

社殿の右側に「稲荷社」があります。

祠の前の狛狐です。

 

 

御朱印

最後に社務所にて御朱印をお願いしました。社務所はこちらです。

 

御朱印は、熊野神社ということで、「八咫烏」が右上にいます。

 

パンフレットも頂きました。

 

おわりに 

 和泉熊野神社の創建は、文永4年(1267)と云いますから北条氏の鎌倉時代と古いです。しかも、境内からは縄文時代の土器、石器、古墳時代の土師器などが出土しています。この地域は、神田川沿いの高台であり、古代から人間の生活に適した地形と思われます。

 現在は、都心の住宅街にありますが、境内は広く、樹木が豊富でここだけ別世界のこんもりとした森の中です。近くの幼稚園の園児が境内を庭のように歩き回り、本当に神域を感じさせるような神社でした。

                    以上

東京都杉並区の古刹 神田川沿いの「龍光寺」

 東京都杉並区の寺社散策が続きます。今回は、真言宗室生寺派の「龍光寺」です。

 

 前回の「永福稲荷神社」から北東方向へ、京王井の頭線を越え「神田川」沿いに歩いて10分位の所にあります。神田川は、区内の散策で中野区から新宿区、文京区、千代田区とよく出会います。神田川の源流は、井の頭公園の池です。

 

石柱門から山門へ

 山門の前に、龍光寺の石柱門が建っています。右側に山号の「泉涌山」、左側に寺号の「龍光寺」の文字が刻まれています。

 

石柱門を入ると直ぐ左には石庭があります。

 

巨大な石燈籠があり、「大師灯籠」と呼ばれているようです。

 

石柱門の直ぐ右の二階の建屋が、大師堂です。

 

参道を進むと石段があり、山門まで少し距離があります。

 

石段を登ると山門です。

 

龍光寺の縁起

山門の脇に、由緒書きがありました。

 

 龍光寺は泉涌山医王院と号する「真言宗室生寺派」の寺院です。開創は、明治10年の書上げによると承安2年(1172)とされ、開山は寺伝によれば「龍観和尚」と伝えられています。
 山号の「泉涌」は、和泉の地名の由来ともなった貴船神社の泉に、院号の「医王」は、本尊の薬師如来に因むものといわれています。

また寺号の「龍光」は、当寺のすぐ下を流れる神田川の源、井之頭池にすんでいた巨大な竜が、川を下ってきて、この付近で雷鳴をとどろかせ、光を放って昇天したことに由来すると伝えられています。
 江戸時代、当寺の本尊は難病に御利益がある薬師如来として信仰あつく、護摩の煙が絶えなかったといわれています。

 

本堂

山門をくぐり本堂に行きます。

 

本堂です。

 

本堂の扁額は「瑠璃殿」です。

薬師如来の正式名は、「薬師瑠璃光如来」と云うので「瑠璃殿」と名付けられます。

 

本堂の前に「当山本尊薬師如来」と刻んだ石碑が建てられています。

 

 本堂の左手前には観音堂があります。如意輪観音を祀ってあるようです。

 

鐘楼

 鐘楼です。戦時中の供出があった梵鐘に寛保2年(1742)銘がありましたが、現在の梵鐘は、昭和29年に造られたものです。

 

四国八十八箇所和泉霊場

 龍光寺の境内の西側に、「新四国八十八箇所和泉霊場」があります。四国八十八ヶ所霊場巡りを模して作られたものです。

 

しかし、開放されるのは土、日曜日のみのようで閉まっていました。

 

中を隙間から見ると、こんな感じです。

 

石仏群 供養塔と庚申塔

 新四国八十八箇所和泉霊場の北側には、多数の石仏があります。供養塔、庚申塔のようで刻まれた年代から江戸時代のものと思われます。

 

この中で目をひくのが地蔵菩薩坐像です。顔の表情が石造とは思えないリアルさです。

 

 また、庚申塔もあります。笠位牌型の庚申塔で、元禄14年の文字が刻まれて、下に三猿が彫られています。

 

 もう一つ駒型の庚申塔があります。お地蔵さんの後ろです。四臂の金剛像が、邪鬼を踏みつけており、その下に三猿が彫られています。これは、珍しいです。

 

如意輪観音の石象もあります。

 

御朱印

 最後に御朱印です。庫裡に伺います。若い僧侶が丁寧な対応をして頂きました。

庫裡玄関。


庫裡の内部。

 

 

おわりに

 杉並区という都心にありながら、予想以上に大きい寺で驚きました。御本尊の「薬師如来立像」は、平安時代末期(12世紀前半)に造立されたもののようで、拝観したいものです。

 境内は、清掃も行き届き気持ちよく参拝することが出来ました。庫裡の中も綺麗にランの花が飾られ整頓されており、若い僧侶は、この上なく丁寧な対応をして頂きました。わたしが去るまで深くお辞儀をしていたのが印象的でした。
                     以上