平城宮は、平城京の北端に置かれて、天皇の住まいの内裏などがあります。
平城京の条坊図が、分かり易いと思います。
東端には、東院庭園がおかれ、宴等が催されたと考えられますが、この東院庭園は、今日の日本庭園の原型とされています。
羅城門は、南端中央に正門として設けられた門です。後世、芥川龍之介の小説にもあるように、羅正門とも呼ばれています。
このように見ていきますと、平城京は、都市であり、平城宮は皇居であると思います。
平城宮のメインストリートである朱雀大路と二条大路を復元、往時の広大さがわかる空間を設けてありました。
また、条坊図で明らかのように、近鉄奈良線が平城宮の中を運行しています。
新大宮駅と大和西大寺との間ですが、最初見た時は、不思議でした。
写真は、近鉄奈良線の電車の中から撮ったものです。鴟尾(しび)が屋根の両端だけでなく中央にも、ついているのを、初めてみました。
まず、平城宮の復元された東院を見学しました。
先生は、東院の復元事業に関わっていたそうで、奈良時代の楼閣にはなく、参考にしたのが、平安時代の平等院鳳凰堂だったそうです。金色の鳳凰が建物の上に燦然と輝いておりました。
写真はここで発掘された鳳凰文鬼瓦のようで、鳳凰像のモデルです。
庭園の池や景石、岩島などを配し、流れを作り、当時そのままに復元しているそうです。
写真 平城宮・京の庭園遺跡
平城京左京三条二坊六坪宮跡庭園
そして、今回の学外授業の最大の目的、朱雀門から、元明天皇の平城遷都の詔を、読み上げました。
「方今平城之地。四禽叶図。三山作鎮。亀筮並従。宜建都邑。」
「まさにいまへいじょうのち。しきんとにかない。 さんざんしずめをなす。
きぜいならびにしたごう。よろしくとゆうをたつべし。」
とくに、最後の宜建都邑(今まさに建てるべきである)というくだりは、二度繰り返すということで、1度目は低く、そして2度目は大きく、という先生のご指導で、前日練習してきたので、唱和は万全であったのです。
観光ボランティアガイドが何人かいるのですが、ああ、またかと苦笑いを浮かべています。
そんなことは、いっこうに意に介さず、我が、上野大教祖は、朗々と元明天皇(実は女性天皇:文武天皇・元正天皇の母)のごとく詔を読み上げたのです。
我々は、それを復唱いたしました。
古の奈良の都で大声を出すのも、なかなか気持ちのいい清々しいものでした。
そして、暑い奈良の夏も続くのです。
ついでに、復元された遣唐使船が展示されておりましたので紹介します。
また、四禽とは青龍、白虎、朱雀、玄武です。有名なキトラ古墳石室の壁画でも知られています。
因みに、「平城」の読み方には、①へいじょう、②へいぜい、③なら、があります。
平城(へいじょう)宮、平城(へいぜい)天皇、平城山(ならやま)、近鉄の駅は、平城(へいじょう)、JRの駅は平城山(ならやま)であります。
以上