先日まで、上野の東京国立博物館に「奈良大和四寺のみほとけ」展が、開催されていました。
奈良から、わざわざ東京に来て戴いておりましたので、最終日にお顔を拝見に行きました。
奈良大和四寺は、長谷寺、安倍文殊院、岡寺、室生寺で、奈良の中心部ではなく、やや離れた北東部に位置した寺院で、いずれも見どころ多数の仏像を伝えております。
順に見ていきましたが、まず長谷寺です。今開催で、最も多くの仏像を展示しておりました。長谷寺は、一年を通じてさまざまな花が咲き誇り、「花の御寺」と呼ばれています。
さすがに、12mを超える日本最大の木造観音像の本尊、十一面観音菩薩立像は、東京までおいでになりません。でも、同じ錫杖を右手に持った十一面観音菩薩立像を2像展示しておりました。
入口の右手と左手に、それぞれ木造と銅造の十一面観音菩薩立像です。
木像のそれは、1m足らずの一木造りで内刳りをしていないとのことで、クスノキで造られており、平安後期らしく、少し穏やかな表情をしておりました。
もう一つは、銅造です。同じく右手に錫杖、左手に水瓶を持っており、このスタイルは、定まっているのでしょうか。
鎌倉時代の制作で、顔容がはっきりしており吊り上がった目をされており、光背は、唐草文様の透彫りみたいで素晴らしい金銅仏でした。
岡寺などの仏像が並び、また長谷寺の仏像が並びます。
難陀(なんだ)龍王立像は、一見して中国風な様相を呈しておりました。道教と関係あるのではと、思います。
木造で2mを越える鎌倉時代の大作で、長谷寺本尊の右脇侍で、頭上に龍を頂く奇妙な仏像です。
仏像は、中国の服を着ており、雨乞いの本尊ということでした。風貌からは雨乞いと結びつきませんが、やはり奈良盆地と雨は関係あるようです。
龍王が持つのは、お盆で、その上に岩があり、角のある動物の頭が五つ現れています。
その隣に、赤精童子立像がありましたが、これも2m近くの木造の大作でした。そして龍王とともに長谷寺本尊の左脇侍です。
赤精童子、別名雨宝童子も雨乞いの本尊になります。これで本尊の左右脇侍が、雨乞いの像となり、奈良盆地がいかに、雨不足、洪水で苦しめられていたのか分かる気がします。
次に岡寺ですが、ここに思いがけなく、半跏思惟像が展示されていたのです。
わたしの卒論は、「東アジアにおける半跏思惟像の伝搬」でしたが、作成した日本の半跏思惟像三十数体のうちのリストにも確かに入っておりました。
2,30cm足らずの念持仏と思われますが、広隆寺の半跏思惟像のように胴が細く、右足を組み、微かな微笑み、人差し指と中指を頬にふれる、まさに半跏思惟像のスタイルです。半跏思惟像は東洋館、法隆寺宝物館にも十何体か展示されております。
そして、これも珍しい「天人文塼(てんにんもんせん)」が展示されておりました。伽藍の室内装飾のための石版ですが、大きく天女を浮き彫りで表現しています。
塼(レンガの焼き物)に仏像を浮彫に表したもので、橘寺、川原寺くらいしかない貴重なものです。
そして木心乾漆造の国宝「義淵僧正坐像」です。
額、眉間、目尻などに深く刻まれた皺、大きく垂れ下がった目、胸元に浮き上がる肋骨など特異な表現が際立ち、今回の展示でも印象に残るものです。
岡寺の開祖とされる義淵僧正は、肖像彫刻として同寺に伝わったものです。
そして女人高野とも云われる「室生寺」の仏像は、一番目立つ向正面に、一堂に会して展示されていました。
正面に十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像、そして十二神将立像のうち酉神と巳神が展示されております。
安倍文殊院では、本尊の文殊菩薩像の像内納入品の経巻が展示されておりました。
さすがに、仏師快慶が手がけた、本尊の日本最大の文殊菩薩像は、いらしておりません。
そのかわり、文殊菩薩の胎内に納入品として収められていた国宝経典「(ぶっちょうそんしょうだらに・もんじゅしんごんとう)」が展示されており、漢字とサンスクリット語で書かれております。
以上となりますが、期待を越える展示会でした。
銅造、⽊⼼乾漆造、⼀⽊造、寄⽊造とあらゆる創作技術の仏像があり、また塼の焼き物、サンスクリット語の経巻まで展示されており、見応え十分でした。
また、寺院で拝観するのと違って、間近で見ることが出来、側面、背面からも見えるところが展示会の良い所でした。
ありがとうございました。