今年5月1日に令和の時代が始まり、元年も終わろうとしております。令和2年はどんな時代となるでしょうか。
さて、先日の「正倉院の世界」の東博からの帰り、序に近くの寺に寄りました。清水観音堂です。
清水観音堂は、東叡山寛永寺のホームページによりますと、「京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立されました。
また、御本尊も清水寺より恵心僧都(えしんそうず)作の千手観音(せんじゅかんのん)像を迎え秘仏としてお祀りしております。」とあります。
寛永八年建立というと、将軍が秀忠から家光に移行した頃で、江戸時代初期ということです。
京都清水寺を模した舞台造り、また御本尊が、京都清水寺より迎えられた事から、名称も清水観音堂ということではないかと思います。
御本尊の千手観世音菩薩は秘仏で、平常は厨子内に安置されていますが、毎年2月、初午(最初の午の日)にのみ開扉されるという事です。
日本中の寺院に、多数の秘仏がありますが、秘仏とは、特定の日に限って「御開帳」あるいは「開扉」を行うことです。
御開帳、開扉の時期も様々で、京都清水寺の本尊千手観音像にいたっては、33年に一度の開扉です。
真言宗及び天台宗の寺院に本尊を秘仏とするところが比較的多いようですが、秘仏の発生時期や要因についてはよく分かっておりません。
また本尊の脇には、子育観音があり、安産・子育てのご利益を授けていただけるといわれています。子への願いをもつ人々の信仰を集め、願いが成就した時には身代わりの人形を奉納します。
それらの人形を供養するために碑が建てられています。
清水観音堂は、江戸時代から庶民に親しまれる名所となり、「月の松」はとても有名です。歌川広重の浮世絵で名所江戸百景にもなっています。
舞台から、満月に見立てた松の枝を丸めた合間から不忍池の弁天堂が望めるようになっています。よく考えたもので、感心いたします。
月の松は、明治初期の台風により失われていましたが、平成24年に復元されました。
達筆で良く読めませんが、御本尊の千手観世音菩薩、東叡山観音堂と書いてあるように読め、江戸三十三観音巡りの第六番札所と書いてあります。
東叡山寛永寺は、HPによりますと、この清水観音堂の他に根本中堂、不忍池辯天堂
、そして以前紹介した上野大仏とパゴダも東叡山寛永寺の一部のようです。
清水観音堂では、上野大仏とパゴダの御朱印も頂くことができます。
東京都区内にも、このような歴史、由緒ある寺院が多数あることは、日本に仏教がいかに浸透していったかが分かり、驚かされます。
いよいよ年の瀬も押し迫ってきております。
何かと忙しい時期となりましたので、わたしのブログも令和元年最後とさせていただきます。
わたしにとって今年も、つつがなく過ぎようとしていることに感謝を禁じえません。
有難うございました。