「アイアンロード 知られざる古代文明の道」

最近放映されたNHKテレビ「アイアンロード 知られざる古代文明の道」は、見応えのあるものでした。

文字通り、ユーラシア大陸を西から東へ、鉄の伝わった道を辿る興味深い内容で、シルクロードと相通ずるものがあります。

特に、わたしの奈良大学の卒論が、インド、ガンダーラからシルクロード経由で中国、朝鮮半島を渡ってきた仏像の「半跏思惟像」に関するものなので、興味が一層際立ちました。

シルクロードは文化の通り道に対し、アイアンロードは鉄器つまり戦いの道具として、国家間の争い、国の興亡に直結するものです。

アイアンロードの軌跡は、トルコの中央アナトリア地方を出発点として、ヒッタイト、スキタイへ受け継がれ、ユーラシア大陸を横切るように東アジアへ行き、二つに分かれます。そして匈奴、中国の漢へと伝わっていくものでした。日本へは、漢から朝鮮半島のルートによって伝わっています。

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アイアンロード

鉄のはじまりは、近年、紀元前24世紀~23世紀のトルコの中央アナトリア地方のカマン・カレホユック遺跡で人工の鉄滓が発見されたところからです。

そして紀元前17世紀に、アナトリアの荒野にヒッタイト人が建国し、鉄を量産したのです。当時の大国エジプトと鉄を巧みに利用し対等に渡り合い、平和条約を結んでいます。世界最古の平和条約だそうです。

それから紀元前12世紀にスキタイへと移ります。スキタイは、ロシア、カザフスタン、モンゴル、中国の4つの国が交わるアルタイ地域にあります。

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スキタイ

紀元前6,7世紀に非常に豊かで高度の文明を築いています。飾り物など黄金芸術も残されています。

スキタイの人々は、鉄を熟知し鉄の薄い刃、やりなど鉄器化した社会を築き上げていました。

そして最も優れた発明は、戦いの機動力を上げ移動革命を起こした、馬具の「はみ」です。馬の口に装着させ、馬をコントロールし、長距離の移動や戦闘にとって画期的なものでした。これを利用した騎馬軍団は、当時の大国ギリシア帝国をも撃退しております。

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馬具の「はみ」

そしてアイアンロードは、ユーラシア大陸を横切り東アジアへと伝わり、そこで万里の長城を挟んで、二つに分かれます。北の匈奴と南の漢で、紀元前3世紀頃のことです。

そこで、スキタイとは次元の異なる進化を遂げていったのです。

匈奴は、冒頓単于(ぼくとつぜんう)の時代に12基の製鉄炉を持ち、漢を圧倒し、前漢の初代皇帝劉邦を苦しめます。

しかし前漢全盛時代の武帝の時に高炉、そして強靭な鉄を生む炒鋼炉を作り出します。そして、大規模な対匈奴戦争を開始し匈奴に打ち勝ちます。

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冒頓単于

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漢の武帝

このような紀元前2,3世紀頃の時代は、ヨーロッパでは、古代ギリシアを経てマケドニアアレクサンドロス3世がギリシアとオリエントの融合というヘレニズム文化を生み出し、その後のローマ帝国へと続いた時代、そして中国は、武帝の漢の時代です。

このように、世界の覇権を争っていた時代です。

 

その頃の日本の時代はどの様な状態なのでしょうか。

何と弥生時代です。

つまり、朝鮮半島から稲作が伝わり鉄器が入ってきて、環濠集落などを作り、集落の争いが起こった時代です。国家としての形態は見るべくもありません。

 

それを考えれば、それからの日本は、中国において後漢が倒れ、三国、五胡十六国南北朝、随、唐と時代が経過するうちに、古墳、飛鳥、奈良、平安時代と中国に習ったとはいえ、独自の発展、文化を築き上げ、遜色ない国家力を築き上げていったのです。

まさにこの時経過した時代は、江戸時代から明治維新の大改革に匹敵するような、驚くべき発展を遂げた時代だと、今回のアイアンロードを観て感じたのです。