こんなに近くに、珍しい古墳があるとは思いませんでした。
律令時代に、武蔵国の国府が置かれた、大國魂神社のある府中市にあります。
それは、飛鳥時代の7世紀中頃、今から約1350年も前に築造された「武蔵府中熊野神社古墳」と呼ばれ、21世紀になってやっと発掘され国史跡となった古墳です。
2003年に上円下方墳であることが確認され、石室内や周辺の発掘が行われ、2005年に国の史跡に指定されました。
古墳の種類は、前方後円墳、円墳、方墳、ホタテ貝形古墳など多種ありますが、上円下方墳とは、二段になっており、下段が方形、上段が円形となっている古墳です。
極めて稀な形態で、これまでに6例しか確認されていないという事です。
古墳時代終末期にあたる8世紀のはじめごろから飛鳥時代にかけて築造され、天文台構内古墳(東京都三鷹市)、山王塚古墳(埼玉県川越市)など関東に多いようで、この府中の上円下方墳が最大のものです。
この武蔵府中熊野神社古墳は、実際には三段築成の上円下方墳で、下図のように、下方が2段となっており3段目に高さ約2.1メートルの円形を呈しています。
古墳の主体部の石室は、複室構造の横穴式石室で、石室内には、持ち出されていたのでしょうか、埋葬時の副葬品は殆ど残っていなかったようです。ただガラス玉、鞘尻金具、刀子などが残されていました。
そのうちの鞘尻金具は、大刀の鞘の先端に付く金具で、以前のブログで紹介した富本銭にも用いられた「七曜文」が描かれていたのです。
七曜文は、中国の陰陽五行思想で太陽や月など7つの星を表現した文様とされています。
七曜文に施された、鉄の地金に銀を流し込む「銀象嵌」の技法は、かなり高度な技術と注目されます。
府中市には他にも、高倉塚古墳、御嶽塚などの古墳があるようです。古代から国府成立に関わる古墳群であると思われ、いずれも平成10年代に市史跡指定されております。
熊野神社古墳と併せて、最近のことで、近くに、このような古墳時代の遺跡が残っていたのに驚き、まだ埋もれた貴重な文化財があるのではと思わずにはおれません。
尚、武蔵府中熊野神社古墳の傍には、博物館と熊野神社があります。
博物館の展示物と古墳の写真をもう少し掲げます。