古代日本の感染症

今やコロナ蔓延の全世界で、様々な活動が抑制され、何もかもが収縮していますが、それは現代に限ったことではありません。

古代から果てしなく戦ってきた人類と感染症との歴史があります。

少し思い返すだけで古代、中世の天然痘黒死病コレラスペイン風邪、そして比較的新しいSARS,MARS、エボラ出血熱などです。

歴史上、感染症はヒト、モノの移動に伴って感染してきたのです。やはりシルクロードを介して人、モノの移動によりやって来た事も例外ではありません。

 

古代の日本では、インドからシルクロードを経由して中国、朝鮮半島を経て、日本にもたらされた天然痘があります。

それは、仏教伝来の道と全く同じで、日本には元々存在せず、中国、朝鮮半島から人、モノの移動が活発になった6世紀半ばの頃と考えられています。

折しも、朝鮮半島新羅から弥勒菩薩像が送られ、第30代敏達天皇(びだつてんのう)が、仏教の普及を認めた時期です。

そのため、神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下しました。

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敏達天皇

日本書紀』にも天然痘の症状として考えられる初めての記録があり、585年の敏達天皇崩御天然痘の可能性が指摘されています。

それからも延々と200年近く続いていたのでしょうか。

735年から738年にかけて天然痘の「天平の疫病大流行」が起こります。九州北部から始まり全国に蔓延したのです。当時の日本の総人口の25~35%にあたる、100万~150万人が感染により死亡したとされます。

発生地から見て遣新羅使あるいは遣唐使が感染源である可能性が高いとする見方が有力です。

平城京では政権を担当していた藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が相次いで死去して、朝廷の政治は大混乱に陥ったのです。

藤原四兄弟

武智麻呂(むちまろ)(藤原南家開祖)

房前     (ふささき)(藤原北家開祖)

宇合  (うまかい)(藤原式家開祖)

麻呂  (まろ)  (藤原京家開祖)

この流行は738年1月までにほぼ終息したと云われますが、どのようにして終息したのでしょうか。

この天然痘流行が、当時の天皇である聖武天皇による奈良大仏造営の発願のきっかけの一つと考えられています。

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奈良大仏 盧舎那仏

当時は、藤原不比等を中心とする藤原一族と、長屋王を中心とする皇族とで政権争いがありました。

 

長屋王は、皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったのです。彼は、天武天皇の孫という血筋に加え、不比等の娘を妻に迎えているという複雑な関係がありました。

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藤原家、長屋王家系図

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不比等の長男 藤原武智麻呂

長屋王は、対立する藤原四兄弟の陰謀といわれる「長屋王の変」で自害に追い込まれ、一家全滅の憂き目に遭ってしまいます。

しかし、因果応報というべきが、藤原四兄弟は、「天平の疫病大流行」の天然痘により四人が相次いで亡くなります。

これは長屋王の祟りではないかと当時の人々は恐れたのです。

長屋王一家滅亡の8年後に、藤原四兄弟がそろって死亡したのですから、誰もが長屋王の祟りと噂したのだろうと思います。

「事件は冤罪」と『続日本紀』も認めていますから、長屋王の恨みは深いのです。

 

しかし、今年の初めに中国武漢が壊滅的な状態であった時、日本青少年育成協会が、湖北省と周辺にマスクや体温計などの支援物資を送ったのです。

その際、支援物資の箱に漢詩「山川異域 風月同天」が記されていました。

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支援物資の箱

この漢詩を詠んだのは、先ほどの祟り云々の長屋王です。

1300年前、長屋王が中国に袈裟を送ったのですが、そこに漢詩「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」の一節「山川異域 風月同天」(山や川、国は異なっていても、風も月も、同じ天の下でつながっている。)を引用して添えたのです。

 

長屋王遣唐使に託して贈った1000着の袈裟に刺繍されていたのですが、受け取ったのは、唐招提寺を創建した鑑真です。

鑑真は、この漢詩を見て、日本が仏教に盛んである国と感じ、招きに応じる決意をします。6回の困難な航海で視力を失いながらも日本への渡来を果たしたのです。

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鑑真

これが1300年前の出来事、漢詩の刺繍が、今でも日中の心を繋いでいたとは、嬉しい限りです。

これが現地で喜ばれ、感謝されましたが、3月になって、今度は中国の「アリババグループ」の創始者ジャック・マー氏が日本に100万枚のマスクが届けられました。しかも長屋王漢詩に返歌を添えていたのです。

それは、「困難をともに背負いましょう」という意味の、「青山一道 同担風雨」という漢詩が添えられていました。

この日本と中国とのやりとりは、やはり古代から続く日中の歴史の重みを、感じさせます。

 

いずれにせよ、この新型コロナが、欧米にそして全世界に勢いを増しており、一刻も早い収束そして終息が待たれます。

 そして、感染症の発生のたびに考えさせられるのは、人間の弱さで、マスクの買い占めと高額売り、デマでトイレットペーパーの買いだめなどが起こることです。

さらにウイルスが人類による自然の破壊により、人間の体に生き延びる術を求めている、と思えてなりません。

それでも、これを克服していくのがまた人類なのですが。