先日、文化庁より高松塚古墳の壁画の修復が、終了したとの報道がありました。
飛鳥美人の名前で知られる「女子群像」などが描かれた高松塚古墳の壁画は、大量のカビが生えるなどして劣化が進み、平成19年に古墳から取り出されて、近くの施設で修復が進められていました。
極彩色の壁画「飛鳥美人」を陶板で複製再現したものです。(大塚オーミ陶業 制作)
今月、複製陶板は、横浜ユーラシア文化館(横浜市)で初公開される予定でしたが、新型コロナのため未定です。
奈良県明日香村の高松塚古墳の石室から、色鮮やかな壁画が見つかったのは昭和47年でした。
飛鳥美人として知られる「女子群像」、方角の守り神、四神の玄武と白虎、それに青龍など極彩色の壁画が見つかり、「世紀の発見」として注目されました。
壁画について、発掘当初から、朝鮮半島の高句麗古墳群(世界遺産)と比較する研究がなされており、四神はそもそも高句麗様式の古墳に特徴的なモチーフです。
高松塚古墳と近くのキトラ古墳では、高句麗の画風とは異なった日本独自の画風で四神図が描かれていることが指摘されております。
高句麗古墳群は、北朝鮮の平壌近くなので、現在は保護など、どうなっているのでしょうか。
高松塚古墳は、奈良県明日香村に存在し、7世紀から8世紀初めに築造された終末期古墳で、二段式の円墳です。
被葬者は特定されておらず、天武天皇の皇子説、臣下説、朝鮮半島系王族説の3つの主な説があります。
同じ時代、朝鮮半島を統一した新羅の古都、韓国の慶州にも幾つかの円墳があります。
写真は、統一を果たした武烈(ムヨル)王と、彼を支えた金庾信(キムユシン)将軍の墓ですが、3年前に見に行ってきたものです。
古墳の前には武烈王陵碑の亀趺と碑の上に置く「螭首(ちしゅ)」があります。
亀をかたどった台座のことを亀趺(きふ)といいます。
金庾信将軍の墓も他の王陵に負けない華やかさを有しています。
花郎出身の新羅の英雄、金庾信の墓標の「太大角干」とは、文武王(武烈王の長子)より贈られた官位です。それまでの新羅の官位の最上階の大角干を上回る官位として設置されたものです。死後、「興武大王」に追尊されております。
このように、古代日本の歴史と文化は、中国、朝鮮半島のそれを抜きにして語れませんが、高松塚古墳の壁画のように、日本独自に発達していったのも素晴らしいことです。