コロナ禍に加え、毎日の長雨で鬱陶しい日が続いておりますが、いい加減、梅雨明けして欲しいものです。
『その犬の名を誰も知らない』は、最近読んだ本の題名ですが、驚く事に久々に感動の物語でした。
1956年の出来事です。60年も経った「南極のタロ、ジロの物語」で、今年に何故出版されたのか、不思議でした。それには深い訳があったのです。
しかも、タロとジロが何故生き残れたのか、何を食べていたのか一挙に解決したものでした。
南極犬タロとジロと云っても分かる人が、少なくなっていますが、わたしは、学生時代、大学構内から少し離れた北大植物園で、南極から帰ったあと過ごしていた老犬となったタロを見ています。
わたしにとっては、思い入れのある出来事だったのです。
本書は、著者の嘉悦氏が、第一次越冬隊の最後の生存者となった87歳の北村泰一氏に取材して「第3の犬」の存在が明らかになりました。題名はここからとったようです。
物語は、日本が南極観測を実現する経緯から始まり、当時オーロラの研究をする京大大学院生で、犬係となった北村氏を中心に進みます。
1956年11月、日本初の南極観測隊員53名を乗せた南極観測船「宗谷」が出航します。
そして、1957年から1958年にかけて、第一次南極観測越冬で、11名の越冬隊員と19頭のカラフト犬が昭和基地で1年を過ごしました。
1957年12月「宗谷」は、第二次南極観測隊50名を乗せて昭和基地を目指して氷海を南下していました。
しかし翌年の1月、昭和基地まで140キロに迫ったのですが氷盤に取り囲まれ、身動きできない状態となったのです。
スクリュー四枚羽の1枚が折れて、遂に米国に救援を要請。
米国のバートン・アイランド号が救援に向かい、1度は昭和基地へのルートが確保できたのですが、一次越冬隊は全員小型飛行機で宗谷に収容されたところで最悪の事態となったのです。
次に、鎖に繋がれているカラフト犬を収容し、二次越冬隊を送り込む予定でした。
しかし、周囲に新氷が張りつめ、両船とも氷に閉じ込められる危険があり、いったん外海に出て天候の回復を待っていましたが、天候が回復しません。
二次越冬隊も中止となり、そしてカラフト犬の置き去りという悲劇を生んだのです。
帰国した彼らに待っていたのは、バッシングの嵐でした。南極に、15頭のカラフト犬を見捨てた事件は、国民に衝撃と深い悲しみをもたらしたのでした。
犬係の北村氏の胸中は、察するにあまりあります。
直ぐに二次越冬隊が来るので、首輪を逃げないようにきつくしたことを悔やんだのですが、何故天は見放したのか、せつない。
耐えるしかなく、そして彼は、誰もが驚く行動に出ました。
1959年からの第3次南極観測隊の越冬隊員に志願したのです。
北村氏の心には、カラフト犬を1日でも早く弔い、手厚く葬ってやりたい気持ちの一心だったと思います。
宇宙線に関する調査ということで隊員の選考にパスします。
この隊には、「カラフト犬を見守る会」から一体の阿弥陀如来像が託されました。
そして1959年1月、タロとジロの奇跡の生存が確認されるのです。
残置された15頭のカラフト犬の結末は以下です。
タロとジロは、首輪から抜けた後も昭和基地にとどまり、三次観測隊と再会、保護されました。
残り13頭の運命は、首輪をしたまま死亡確認が7頭。氷雪の下から遺体で発見され、そのうちの一頭を解剖した結果は完全餓死です。
ゴロ、モク、ペス、ポチ、紋別のクマ、アカ、クロ。
首輪だけ残し行方不明が6頭。
風連のクマ、ジャック、シロ、デリー、リキ、アンコ。
そして、この本『その犬の名を誰も知らない』の本題に入りますが、生きていた「第3の犬」は、一体どの犬なのかです。
当然、行方不明の中の1頭です。
実は、1968年第九次観測隊のとき、昭和基地で一頭のカラフト犬の遺体が発見されています。
その年は、南極の気温が高く、雪が融け埋もれていた犬の遺体が出てきたのです。これが「第3の犬」です。
しかし詳細な公式記録が残っておりません。
ここで、タロとジロが何故生き残れたのか、何を食べていたのかの答えが一挙に解決してくれるのです。
可能性①昭和基地に残留された人間用の食料を食べた。
第3次越冬隊が調査した結果、全く食べた形跡はない。
可能性②ペンギン捕獲説
1次越冬で襲ったことがあるが食べなかった。
基地内の大量の犬用食糧は手つかず残っており可能性は極めて低い。
可能性③アザラシの糞食説
栄養価もなく、アザラシは冬の間は基地から離れた湾に行ってしまう。
いずれも可能性は無く、一体どこで食料を確保していたのでしょうか。
北村氏は、60年経った今、覚醒したように思い出すのです。
それは、犬の食糧基地は三つあったというのです。
第1の食糧基地は、天然冷凍庫で、海水漬けになった肉は、人間には無理ですが犬にとって御馳走でした。
天然冷凍庫は、基地からやや離れた海水域に作られ、氷雪を深く掘って冷凍食品を収納しましたが、底部から海水がしみ込んで一部の肉や魚が海水漬けとなり、臭いがきつく人間は食べられなかったので放置されていました。
「第3の犬」がうまい肉であることを察知し、タロとジロを連れて食べた、だからこそ基地を離れなかったのです。
そして第2の食糧基地は、未踏峰の山ボツンヌーテンの犬ソリ探査のときのデポです。
犬の負担を軽くするため、途中で食料を残置して、帰りに回収するのですが、必要ないので残しておいたのです。
ベテランの「第3の犬」がいれば、この食料の宝庫を忘れるはずがありません。ここが3匹の第2の食糧基地でした。
第3の食糧基地は、ボツンヌーテンの探査の帰路、小屋のような巨大なクジラの遺骸を発見しています。この巨大な生物は腐っておらず、「第3の犬」もクジラの存在を記憶に留めていたと思われます。
まだ幼い1歳のタロとジロでは、この3つの食糧庫に到達するのは無理ですが、方向感覚、保護本能、リーダーシップを持つ「第3の犬」がいたからこそタロとジロは生き延びる事が出来たのです。
わたしは、「第3の犬」についてこの本を読んでいるうち見当がつきました。そうです、「リキ」です。
リキは、南極に来た時、6歳のベテランで、優れた方向感覚、強いリーダーシップと保護本能を持っています。
また危険な単独行を経験し地形を理解しており、群れる重要性を自覚していました。
このベテラン犬と若い2頭が昭和基地を拠点にして生き延びていたのです。
しかし、リキは、3次越冬隊が着く前に無念にも力尽きました。
当時のカラフト犬の寿命は、7~8歳だったことを考えれば時間はあまり残っていなかったのです。
死が近づいたとき、リキは何を思ったのでしょう。忠犬ハチ公のように越冬隊の帰りを待っていたのでしょうか。
思えば、いきなり稚内に集められて、犬ソリ訓練、途方も無い遠い南極に来て、不幸な出来事にあった犬たち。
動物好きで犬を飼っているわたしにとって、これも運命とはかたづけられない、やりきれない思いがあり、可哀そうで涙が止まらないのです。
それにしても北村氏は、87歳にして、60年前の出来事を鮮明に思い出す脳力には驚かされます。
人間の脳力、記憶力は、何かをきっかけにこのように思い出すものかもしれません。
北村氏にとって、人生の中で南極の一連の出来事が強烈であった事が伺えるのです。
また、この本により色々な事を知りました。
タロとジロにはサブロという弟がいる事や父親が風連のクマ(同じ越冬隊に参加)だという事。
サブロは、稚内の訓練中に死亡。
また、雌のシロ子が同行し越冬中に8頭の子を産み、母子ともに帰国しています。
そしてカラフト犬に、極地探検家の加納一郎氏、北大の犬飼哲夫農学部教授が関わっていることや一次越冬隊長の西堀栄三郎氏と京大の文化人類学者今西錦司氏の関係などこの本によりよく分かりました。
この本にはふれておりませんでしたが、珍しい雄の三毛猫が隊員たちのアイドルとして越冬隊に加わり、ともに宗谷で日本に帰っています。
隊員の家にもらわれたのですが、すぐに姿を消したそうです。
南極に帰ったのでしょうか。
尚、ジロは第4次越冬の7月に基地で病死しました。
タロは、第4次越冬隊と共に、1961年に4年半振りに日本に帰国。
北大植物園で飼育され、1970年、14歳で没。
人間でいえば約80-90歳という天寿を全うしての大往生で、波乱万丈の一生でした。
おわり