西大寺から15分程度の所に秋篠寺がありますが、親切にも標識がありました。
創建については、光仁天皇の発願によって、奈良時代の法相宗の興福寺の僧・善珠大徳の創建とされます。地元の豪族秋篠氏の氏寺とも云われていますが、その正確な創建の時期や由緒については明らかではありません。
五木寛之の百寺巡礼の第一巻の奈良編に登場し、この中で、「市井にひっそりとある宝石のような寺」と表現していますが、訪れる人もあまりいない本当に静かなお寺です。
南門から入りましたが、大和西大寺駅からの路線バス停は東門から直ぐにあります。
南門のすぐ左側に八所御霊神社があります。秋篠寺の鎮守社としての役割を果たして来た歴史を持っているようです。
南門から受付を通り本堂まで行くのですが、その間はしばらく雑木林が続き、その木々の下には一面に敷きつめられた苔の緑が見事でした。また雨の日でしたので、水を含み鮮やかです。これが静寂な秋篠寺の緑の深さの魅力であると思います。
本尊は、薬師三尊像で薬師如来坐像、両脇侍に日光菩薩・月光菩薩立像が安置し、この左右に十二神将像が六体ずつ守るように配置されております。
また地蔵菩薩立像、帝釈天立像、伎芸天立像なども安置されております。
特に、伎芸天(ぎげいてん)は知名度が高い仏像として広く知られており、仏教守護の天部のひとつで、大自在天(ヒンズー教のシバ神の異名)の髪際から化生した天女と云われます。容姿端正で器楽の技芸が群を抜いていたため、信仰を集めてきたものです。現存する古像の作例は、中国で多く見られますが日本では秋篠寺の一体のみとされて大変貴重な存在となっています。
薄暗い空間の中で立つ優美な像で、頭部は奈良時代、胴体などは鎌倉時代のものとなっているようですが、継ぎ足した痕跡など確認できないほど調和した美しさを感じさせます。
本堂の近くに2基の「役行者(えんのぎょうじゃ)石像」が祀られています。室町時代と江戸時代に造られた2基ですが、少し気づかれにくい存在ではあります。
本堂しか開放していないそうで、雨でもあり早々に東門より帰りました。東門は、南門と同じような造形をしております。この近くのバス停から大和西大寺駅に戻りましたが、この辺の一帯はとにかく道が狭く、車がすれ違うも大変です。昔からの家並みが続いて区画整理が進まないのかと思います。
残念ながら御朱印はありません。毎年6月6日に秘仏「大元帥明王立像」の特別開扉がありますが、そのときの公開日に秋篠寺で唯一「御朱印」が授与されるということです。このときは、大勢の参拝者が訪れることで知られています。
また、先日秋篠宮さまが皇嗣となられる「立皇嗣の礼」が挙行されましたが、皇室「秋篠宮家」の宮号は、この秋篠寺のある「秋篠」の地に由来するものです。宮家創設時、秋篠寺に観光客が大挙して訪れたということです。
普段は本当に質素で、静かな寺院という印象を受けましたが、伎芸天、大元帥明王とユニークな仏像と苔庭が際立ちます。有難うございました。
おわり