先日、スマホでネットのニュースを見ていたら、「死者3名福岡大ワンゲル部」の記事が目にとまりました。文春オンラインの記事です。福岡大ワンゲル部といえば、もしかしたらと思って開いたのですが、思った通りでした。
それは、50年程も前のヒグマの襲撃事件です。なぜ今になってこのような記事が出るか不思議でしたが、わたしにとっては今でもはっきりと覚えている事件です。
今、全国でクマの襲撃がニュ-スになっていますが(殆ど本州のツキノワグマ)、それは、「死者3名福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃50年後の初告白」と題したものでした。
1970年に北海道日高山系で3人がヒグマの牙に斃れた、なぜ惨劇は起きたのかというもので、史上最悪のヒグマによる獣害事件として知られる「福岡大学ワンダーフォーゲル部事件」の顛末でした。
悲劇の舞台となったのは、北海道の日高山系で山の名は、「カムイエクウチカウシ山」です。我々は当時カムエク、カムエクと呼んでいました。
名称はアイヌ語の「熊(神)の転げ落ちる山」に由来します。
福岡大学ワンダーフォーゲル部の学生5人が、1970年7月に日高山系を縦走の25日、カムイエクウチカウシ山(標高1,979m)の九ノ沢カールでテントを張ったところ、ヒグマが現れました。
音を立てるなどして、追い払いましたが、その夜も再びヒグマが現れ、また次の日の早朝も現れ、テントを破り倒しました。5人のうちの2人が救助を呼ぶため下山を開始し、その途中で北海学園大学のグループや鳥取大学のグループに会ったので救助要請の伝言をし、2人は他の3人を助けるため戻ったのだそうです。
そしてその日の昼に、5人合流したのですが、その夕方に再びヒグマが現れ、ここから悲劇が始まります。次々と襲われ、結局3人が犠牲となり、逃れた2人が下山し救助隊が派遣されたのです。
3人の遺体は確認され、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺されました。
確かに、このように複数の人間が命を落とす被害の事件は、聞いたことがありません。しかもこのヒグマの執拗な攻撃心です。2日間にわたって逃げる学生たちを執拗につきまとい、この惨劇をもたらしました。
そもそも当時、日高山系でヒグマが人を襲うということは、地元山岳会のメンバーは、まず考えられなかったと証言しています。
わたしは当時学生で、その事件の何日か前に、3人のパーティで日高山系に入っておりました。
ルートは、道も無いので札内川の沢登りから稜線に入り、カムエクからエサオマントッタベツ岳、戸蔦別岳そして幌尻岳(2052m)への1週間くらいの予定で縦走を計画したのかと思います。
そして我々の事件は、幌尻岳で起きました。
日高山脈の主峰で、日本百名山に選定されています。七つ沼カールは有名で、そこは絶景の地です。カールとは、氷河の侵食によるスプーンでえぐったような地形です。
カムエク、エサオマントッタベツ岳、幌尻岳が連なっております。
夕方に七つ沼カールに着いたのですが、その時尾根にヒグマがいる事を確認しています。
カールから尾根のヒグマはよく見えたのですが、まあ距離もあるし大丈夫と気にもせず、テントを張り設営しました。
その晩の献立は、クリームシチューでしたが、明日は下山ということで気が緩んだのか、持ってきたジンを飲み寝たのです。
まだクリームシチューが残っていたコッフェルやインスタントラーメンなどが入ったザックなどをテントの外に出していました。
そして朝早く、何か物音がするので目を覚ますと、直ぐにヒグマがテントの周りにいることを感じました。怖くてテントの外は見られません。
それからどのくらい時間が経ったのでしょうか、じっとしてヒグマが立ち去ってくれるのを待ちました。
1,2時間位かと思いますが、埒が明かないのでテントの中で音を出したりしていました。そのうち静かになったのでテントから出ると、ヒグマはいなかったのです。
外へ出したザックは無残にも破られインスタントラーメンなどは食べられていました。
そしてクリームシチューが残っていたコッフェルも遠くに持ちされて、綺麗に食べられていました。
もし食料がなかったらテントの中に入って来たかもしれません。
こうして難を逃れ急いで下山したのです。途中でやぶ蚊に悩まされてテントで1泊したのですが下山のルートは、はっきりと覚えておりません。
また、下山途中に地元のパーティに出会ったのですが、ヒグマに遭ったことを告げたところ、直ちに下山しました。さすがに地元の人はヒグマの怖さをよく知っていると感心した事を記憶しています。
そして、札幌に帰って一週間くらい経ったのでしょうか。北海道新聞に載っている記事を見て、驚きと恐怖を覚えました。「福岡大学ワンゲル部ヒグマ事件 3人死亡」というニュースは衝撃的でした。日髙山系のどこの場所か明確には分かりませんが、幌尻岳近辺であることは分かりました。
今回の記事で、50年前の事件の場所などの詳細が初めて分かりました。我々の襲われたのは幌尻岳の七つ沼カール、福岡大ワンゲル部は、カムエクの九ノ沢カールです。
幌尻岳とカムエクは、エサオマントッタベツ岳を挟んでいますので、同じヒグマかどうか分かりません。ヒグマは、行動範囲が広く尾根づたいに行けば、そんなに遠くないとも言えます。
そして、そのヒグマが射殺されて剥製になっていることが分かりました。
まだ成獣ではなく推定3歳の雌で、あまり大きくありません。「日高山脈山岳センター」に展示されています。
とにかく、学生の頃は山によく行っていましたが、忘れられない山行でした。往きの札内川の沢登りも地下足袋に、滑るのでワラジを履くというスタイルで、稜線にでるまで高巻きなど苦労したことを覚えています。
北海道では老年期の山が多く、難易度の高い山は、日高山系くらいです。(冬山は別です。)
大学の山岳部などは、思ったほど多く日高山系に入っていたのだと思います。そして飲食の残り物を置いて行き、それを目当てに味をしめたヒグマが狙っていたのがこの事件だったのではないでしょうか。
いずれにせよ、当時の我々のパーティは、運が良かったのだと思います。半世紀経った今しみじみ分かりました。
おわり