横浜歴史博物館の常設展と弥生時代の遺跡

 特別展の「横浜の仏像」も見応えがありましたが、常設展も展示室は開放感たっぷりで広く、原始から現代までの5つのテーマをうまく構成しています。それぞれ人々の暮らし、経済、文化、風俗など展示品も多く見事なものです。

 博物館の見学は、上野の国立博物館が中心で、あとは地元の博物館位しか見てなかったので、この横浜歴史博物館の常設展には少なからず驚き、やはり色々見なければと思いました。

 この常設展は、展示全体が円形状になっているようで、その中を、原始・古代・中世・近世・近現代の5つのテーマに区切って構成され、円形の曲面を利用して見易くなっています。

f:id:kumacare:20210326084029j:plain

広い展示室

 原始は、原始Ⅰ・原始Ⅱと分かれそれぞれ縄文時代弥生時代の展示となっています。説明がパネル、実物など多様し分かり易く、丁寧です。子供にも分かるようにと意識していると感じます。

 例えば原始Ⅰの縄文時代のコーナーです。豊かな森と海に生きた時代として土器、墓などムラのことを数多く展示しています。そのうちの一部です。

f:id:kumacare:20210326084124j:plain

縄文時代の全体展示

f:id:kumacare:20210326084215j:plain

土器にみる他地域との交流 縄文時代から交流があったのですね。

縄文時代から黒曜石などの石材、土器などの国内の交流があったのが分かります。

 そして原始Ⅱの弥生時代の展示についてですが、近くの遺跡、大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡の出土品も展示されています。

その遺跡をジオラマで再現しています。

f:id:kumacare:20210326084313j:plain

大塚・歳勝土遺跡の発掘のジオラマ

 大塚・歳勝土遺跡は、この横浜歴史博物館の直ぐ近くにあります。発掘した後に竪穴式住居などを再現しています。関東の集落がどうなっていたのか、全体像が初めて明らかとなった貴重なものでした。

 今から約2千年前の弥生時代中期の、大塚遺跡のムラの住居エリアと、歳勝土遺跡の墓が一体となって完全な形で発見された遺跡です。

地下に遺跡が眠っており、その真上に当時のムラや墓を復元しています。

約3万平米に85軒の住居があり、弥生時代に50年ぐらい続いたようです。環濠集落であり、やはり稲作、水を巡る争いがあったようで50年とは短かったですね。

実際に見てきました。

f:id:kumacare:20210326084442j:plain

大塚遺跡全体景観

f:id:kumacare:20210326084521j:plain

住居と住居跡の復元

f:id:kumacare:20210326084556j:plain

竪穴住居の復元 茅葺(推定)

f:id:kumacare:20210326084639j:plain

竪穴住居の内部 外から見るより広い印象。炭化した米が発見されています。

f:id:kumacare:20210326084716j:plain

高床倉庫の復元 銅鐸に描かれています。

f:id:kumacare:20210326084747j:plain

柱には「ネズミ返し」が取り付けられていたようです。

 大塚遺跡から80mくらい離れたところに歳勝土遺跡がありますが、25基の方形周溝墓が確認されています。方形周溝墓とは、廻りを4本の溝でかこみ、低く土を盛った墓で、ムラの中の限られた人たちが葬られました。土器棺墓も見つかっています。

土器棺は博物館で展示されております。

f:id:kumacare:20210326084900j:plain

土器棺の展示

 縄文時代にはムラの中に墓があり、地面に穴を掘り遺体を埋葬する土壙墓(どこうぼ)が中心でしたが、弥生時代になると集落の近隣に共同墓地を営み土器棺、甕棺、木棺など埋葬用の棺の使用が中心となっていきます。

 

 話しは、弥生時代の展示に戻ります。

ムラの中の暮らしを絵の大パネル、ムラの状況を再現しでいます。

f:id:kumacare:20210326085006j:plain

ムラの暮らし

 弥生時代の人と物の流れも分かり易く展示し、唐古・鍵遺跡、吉野ケ里遺跡など国内の主な遺跡も紹介しています。

f:id:kumacare:20210326085045j:plain

弥生時代の人と物の流れ
f:id:kumacare:20210326085123j:plain
f:id:kumacare:20210326085140j:plain
唐古・鍵遺跡の説明  吉野ケ里遺跡

 また、地元の鶴見区の上台遺跡にて発掘された人面付土器も展示されています。

f:id:kumacare:20210326085240j:plain

人面付土器 弥生式土器にも面白い土器がありますね。

 展示は、原始から古代の古墳時代、奈良、平安時代、中世、近世そして近現代へと移っていきます。

古代から省略し、近現代の明治時代以降に移ります。

 明治時代後半の日本一賑やかな町として関外にある伊勢佐木町の展示がありました。

貿易港横浜が明治時代に誕生して、開港場には内と外を分ける関門がもうけられました。内側が関内、外側は関外で、関外にある伊勢佐木町は日本一の繁華街と云われました。今でも変わりませんね。

f:id:kumacare:20210326085412j:plain

関外 伊勢佐木町

そして、勧工場の横濱館の展示もありました。

勧工場とは、様々な品物を扱う商店が一つの建物の中に集まり、陳列販売を行ったところで、今でいうデパートというところです。昔も今も考えることは一緒ですね。

f:id:kumacare:20210326090327j:plain

勧工場 横濱館 

 

 弥生時代から明治時代に一気に飛びましたが、この辺で終わりとさせて戴きます。

この博物館は、映像コーナーやスタディサロンなど色々工夫を凝らしてやっています。まだ残っている博物館のレポートのために、ここにまた見に来そうです。

                            おわり