前回、土方歳三について高幡不動尊、石田寺について書きましたが、もう一つ同じ真言宗のお寺「安養寺」にも行っています。
今回は、高幡不動尊と安養寺についてです。高幡不動尊は、京王線の高幡不動駅(新宿から30分位のところ)から駅前の参道を経て平安時代から続く古刹へと向かいます。
高幡不動尊は、成田山新勝寺などとともに関東三大不動の一つとされます。寺伝によれば平安時代初期に円仁(慈覚大師)が清和天皇の勅願により高幡山に開いたのが始まりとされます。正式名は、高幡山明王院金剛寺ですが、通称高幡不動尊や「高幡のお不動さん」と呼ばれています。
まず、仁王門から入ります。楼上の扁額は、山号の「高幡山」です。
仁王門から直ぐに不動堂があります。ここには、もともと重要文化財の不動明王坐像、両童子が安置されていたのですが大嵐で倒壊したため奥殿に移され、今は極彩色の等身大の身代わり本尊が新造されています。
その少し奥に奥殿があり、日本一の丈六不動三尊が安置されています。不動明王坐像と右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)像、左に制吒迦童子(せいたかどうじ)像が立ちます。不動明王像の像高は約2,8mで両童子像も2m前後と大型です。
そして奥殿を過ぎ、山門を抜け突き当たった所が「鳴り龍」がある大日堂です。高幡山の総本堂でもあり、土方歳三の位牌が安置されています。
聖天堂、大師堂、虚空蔵院と伽藍を下って見ていきます。
大日堂と聖天堂の間に、にこにこ地蔵がおります。掃除しているようで何となく癒されます。
また四国八十八カ所を模した巡拝コースや四季のみち、あじさい道もあるようで四季に合わせて歩くのも一興です。
最後に不動堂の向かい側に立つ五重塔に戻ります。5年かけて竣工した五重塔ですが総高45m、平安初期の様式を模した美しい塔です。やはり寺院の伽藍には無くてはならないものです。
相輪の金色が青空に映えます。夜の五重塔のライトアップも大変きれいなようです。
そして、高幡不動尊から多摩川の支流、浅川の向かい側にある安養寺を訪れます。真言宗智山派田村山安養寺の石塚の入口から山門に入ります。
安養寺の創立は明らかではありませんが、中世の豪族、田村氏の居館跡と云われています。現本堂は再建されたもので、その建立は18世紀初頭と見られます。
本堂は室町期の作で、田村氏の書院を元に旧万願寺御堂内陣の一部を寄棟造りとして建てたと云われています。この本堂には、平安から鎌倉にかけての見事な仏像が並んでいます。
本尊の阿弥陀仏如来坐像は、安養寺の前身である万願寺の本尊であったものと思われ、平安時代後期の作で、端麗で細部の手法も見事です。
そして、何といってもこの本堂の仏像の見ものは、鎌倉時代の大日如来立像です。坐像以外の大日如来をこれまで見たことがありません。
空海が将来した曼荼羅によれば、その姿には2種類あり、そのひとつである胎蔵界大日如来は、釈尊が菩提樹のもとで仏法を悟ったときの坐法(結跏趺坐)と手印であらわされます。「法界定印」で、両手を仰向けに重ね親指をつけます。
もうひとつの金剛界大日如来は、同じ坐法で、胸の前に左手をこぶしに握って人差し指を立て、それを右手で握る「智拳印」であらわされます。
この安養寺の大日如来は、智拳印なので金剛界大日如来となるのですが、なぜ立っているのか不思議なのです。
如来は、修行を完成し悟りを開き、真理に到達した釈尊の姿であり、さらに密教の場合、真理そのものを象徴する大日如来は、曼荼羅の中尊、不動の中心として位置付けられので、坐っている姿が自然であると思いますが。
最後に御朱印です。高幡不動は不動明王で、不動明王の上の文字は不動明王を表わす梵字のようです。左に武州高幡山、右に奉拝 弘法大師御作と書かれています。安養寺は本尊阿弥陀如来です。
東京都にもこのような貴重な珍しい仏像などがある寺院がまだまだあると思われます。他の興味深い寺院も探して参拝したいと思います。
おわり