北海道・北東北の縄文遺跡群が、今月に世界文化遺産に登録される見通しとの報道がありました。
北海道出身の者として、以前から気になっていたのですが、世界文化遺産に値する縄文遺跡が北海道にあるとは思ってもいなかったからです。
北海道・北東北の縄文遺跡群は、北海道6遺跡、青森県8遺跡、岩手県1遺跡、秋田県2遺跡の合計17遺跡で構成されています。また関連する遺跡(関連資産)が北海道と青森県に1遺跡ずつあります。
北海道については、九州、本州と違い稲作の農耕社会の弥生時代が存在しなく、縄文時代と同じ生活を続けていたことは知っておりましたが、北海道の歴史を改めて振り返ってみます。
北海道に人類が住みはじめたのは、今から約3万数千年前とされています。南北両方から人類が、渡ってきています。南からは、朝鮮半島や南の島々を渡って南から移動してきた人々です。
また、北からは、シベリアの大陸の方面から移動してきた人々です。彼ら二つのグループは、高度な石器づくりの技術をもちこみ北海道で旧石器時代を築きました。
当時は、約3万数千年前ですから「氷河期」で、北海道はユーラシア大陸とつながっており、マンモスなどが生息していたと考えられています。人々は、打製石器を使い、狩猟により生活をしていた、いわゆる旧石器時代です。
今から約1万年前までは、このような時代が続き、北海道にも多くの旧石器時代の遺跡が各地にあります。紋別郡遠軽町の「白滝遺跡」などです。
やがて氷河期は終わりが近づき、地球はだんだん温暖化が進み、人類の生活や文化を大きく変えていきます。
日本列島では、マンモスなどの大型動物は絶滅し、気候の変化で豊かな森や魚貝類が育ちやすい環境に変化し、陸と海の両方から食料が得られるようになる縄文時代が到来します。
この時代の最大の特徴は、「土器」が発明され、調理や食料の貯蔵をし、生活が大きく安定したことです。北海道で最古の土器は、1万3千年前ころの帯広市にある「大正3遺跡」から出土されたものです。縄文時代草創期の特徴をもち、本州から渡ってきた人々がもたらしたと考えられています。
縄文時代草創期の特徴である「爪形文」が見られます。
南北に長い日本列島の歴史では、旧石器時代から縄文時代までは、北海道から沖縄までほぼ同じような文化だったといえます。
しかし、約2500年前の弥生時代からは、北海道の「北の文化」は本州などと大きく異なります。本州などは、以後古墳文化、飛鳥、白鳳、天平、平安文化などと時代は移ります。
北海道は、縄文時代以降になると「続縄文文化」や「擦文(さつもん)文化」、「アイヌ文化」などと呼ばれ、縄文時代と同じ生活を続けており文化が違っていたからです。
しかし、生活の基本を「狩猟・漁労・採集」と変わりませんが、文化的には周辺の人々との交流から影響を受けた結果、独自の文化が育まれていったと云えます。
ここで北海道・北東北の縄文遺跡群に戻って、北海道の遺跡を見て行きます。
北海道といえば厳しい寒さですが、地図で分かる通り「キウス周堤墓群」を除いて、内浦湾沿いの北海道でも比較的温暖な地域です。
クリなどの堅果類や魚介類などの資源に恵まれた地域で、採集、漁労、狩猟を基盤にした定住生活が行われてきたと思われます。
キウス周堤墓群のある地域もサケ・マスが遡上し捕獲できる河川の近くであり、後背地に落葉広葉樹の森が広がっている地域です。
キウス周堤墓群は、約3200年前の縄文時代後期の墓で、地面を丸く掘り、掘った土を周囲に土手状に積み上げ、内側を墓地にしています。
周囲に堤があることから「周堤墓」と呼ばれています。9基あり、最大のものは外径83mもあります。
また、北海道南西部の渡島半島東岸の垣ノ島(かきのしま)遺跡は、縄文時代早期から後期(約9,000年前~3,500年前)にかけての長期間にわたり、縄文人の生活の痕跡が残された遺跡です。
台地利用の変遷を示す数多くの竪穴住居跡や墓に加え、国内最大級規模の「盛り土遺構」も見つかっています。
遺物では土器や石器の生活道具のほか,幼児の足形が付けられた「足形付土版」や「漆塗り注口土器」などこれまで20万点以上の遺物が出土しています。
他の北海道遺跡には、定住発展期前半の貝塚を伴う拠点集落の「北黄金貝塚」や定住発展期後半の祭祀場である大規模な盛土を伴う拠点集落の「大船遺跡」などがあります。
そして、本州の大遺跡である「三内丸山遺跡」を見てみます。青森市に所在し、八甲田山系からのびる緩やかな丘陵の先端部、沖館川沿岸の標高約20mの海岸段丘上に立地します。水産資源豊富な内湾及び河口に位置し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっています。
大規模な集落には、竪穴建物、掘立柱建物、列状に並んだ土坑墓、埋設土器などが計画的に配置されています。
膨大な量の土器や石器のほか、魚骨や動物骨、堅果類が出土しており、通年において自然資源を巧みに利用していたことが分かります。
出土した土偶の殆どが板のように扁平で十字型をしており、「板状土偶」と呼ばれています。
ユネスコの諮問機関「イコモス」による登録勧告では、遺跡群が示す「農耕を伴わない定住社会と精神文化」が評価されたということです。
推薦書では、1万年以上にわたる海道・北東北の縄文時代を定住の「開始・発展・成熟」の3段階に分け、その変遷過程を、各遺跡群の構成資産を通じて解説しています。
一方、精神文化の面でも、各段階の遺跡や遺構の特徴から違いが顕著に表れています。定住開始期に位置づけられる垣ノ島遺跡は居住域と墓域が分離され、日常と非日常の区別が始まったことを示します。
2千点以上の土偶などが見つかった三内丸山遺跡の盛土遺構は、祭祀が長時間継続していたことを示す痕跡です。
世界遺産委員会は今月16日からオンライン形式で行われます。縄文遺跡群を含めた新規登録案件の審査は24~28日に行われる予定のようですから注目していこうと思います。各遺跡は、見学の準備を整えているようですから、1ヵ所でも訪問したいものです。
縄文JOMON JAPAN北海道・北東北の縄文遺跡群ウェブサイトなどを参考にしています。
おわり