トーハク「聖徳太子と法隆寺」特別展

 東京に緊急事態宣言が発せられる中、今週火曜から開催されている特別展「聖徳太子法隆寺」に行って参りました。

東京国立博物館の前の通りにはいつも出店がずらっと並んでいるのですが、感染対策でご覧のとおり閑散としています。

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東京国立博物館前の大噴水と通り

 奈良博が終わって間もなく東京入りとは、聖徳太子も忙しそうですが、1400年遠忌記念ですから止むを得ないですね。期間は、7/13(火)~9/5(日)と短めです。

 100年に1度の遠忌記念の展覧会であり、聖徳太子に関する文化財をよくぞここまで集め企画したという感じでした。大半が法隆寺所蔵のものと東京国立博物館所有の「法隆寺献納宝物」ですが、法起寺中宮寺宮内庁からのものも一部ありました。

 本来は大勢の人が押し掛けると思われますが、感染対策で入場制限をやっているため入館者も少なめでゆっくり鑑賞することが出来ました。

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会場の平成館 聖徳太子1400年遠忌記念特別展

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90分で観覧のお願い。(じっくり見るととても90分では見切れません。)

 会場は、A~Eの5のコーナーに分かれて展示されていますが、最初のAは、「聖徳太子と仏法興隆」です。

聖徳太子を描いた最古の肖像画の「聖徳太子二王子像」がありました。江戸時代の模本ですが、お馴染みのお札の原画です。原本は皇室の御物となっています。

「和を以って貴しとなす」の聖徳太子ですが、この人物が本当に太子なのかどうかは、はっきりしないのです。それはそれとして、この絵を間近に見たのは初めてで、太子信仰のシンボルに相応しいと感じます。

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聖徳太子二王子像

 法隆寺から皇室へと献納された「法隆寺献納宝物」について少しふれておきます。これも神仏分離令からの廃仏毀釈が深く関わっています。これにより法隆寺も例外ではなく寺領を失い、伽藍や寺宝の維持も難しくなります。

仏教破壊が進む中、明治政府は、文化財保護を目的に、「古器旧物保存令」を出し、すべての寺宝の台帳を作成します。

 こうした中、明治11年(1878)に、法隆寺は、寺宝、三百余点を「法隆寺献納御物」として皇室に献納する決断をし、明治政府からの下賜金により堂塔の修復や寺院の維持が可能になったのです。よくぞ当時の関係者の方は、貴重な文化財を守って戴いたと思います。

 「献納御物」は、「帝室宝物」となり、新設された現東京国立博物館において保管されることになったのです。一部は宮内庁の「御物」となっています。

  今回「法隆寺献納宝物」は、Bのコーナーの「法隆寺の創建」で竜首水瓶や伎楽面など多数展示されておりました。国宝の竜首水瓶は「正倉院展」で拝見したことがありますが、いつ見ても胴の四頭のペガサスの線刻など見事です。

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竜首水瓶 飛鳥時代7世紀 銅製、鋳造・鍍金・鍍銀

 また、Bのコーナーに、百万塔が展示されていました。百万塔は、764年の藤原仲麻呂の乱後の動乱を鎮めるため称徳天皇によって発願された100万基の小塔です。

藤原仲麻呂が、孝謙上皇(後に称徳天皇)・道鏡に対抗した事実上のクーデターで、吉備真備によって悲惨な結末を迎える話です。日本最古の印刷物だという百万塔陀羅尼も展示されていました。

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百万塔

 Aに戻りますが、夾紵棺(きょうちょかん)断片の説明書きに目が留まりました。

何の変哲もない木の板と思いましたが、絹を45層の漆で塗り固めた高級な棺で、聖徳太子の棺の可能性があるというのです。その幅が記録に残る聖徳太子の棺台に一致するということが根拠のようです。

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夾紵棺の断片 大阪府柏原市の安福寺が所蔵

 Cの「聖徳太子と仏の姿」のコーナーでは、聖徳太子立像(二歳像)が2体展示されています。鎌倉時代製作の法隆寺法起寺所蔵のものです。

実はもう1体、Dの「法隆寺東院とその宝物」のコーナーにも展示されています。3体ともきりりとした表情で、2歳(それも数え)とは思えないほど大人びております。先の2体は、極端に切れ上がった目をしておりました。

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聖徳太子立像(二歳像)鎌倉時代 徳治2年 法隆寺

 また、この「聖徳太子と仏の姿」のコーナーには、「聖徳太子および侍者像」、「聖徳太子孝養像」など数多く聖徳太子像が展示されています。日本全国に千以上の聖徳太子の像や絵があると聞いていますが、太子信仰の人気の高さがうかがえます。

 そして、第2会場のDの「法隆寺東院とその宝物」、Eの「法隆寺金堂と五重塔」のコーナーへと続きます。

これだけボリュムある聖徳太子と関連のある文化財を幾つかのテーマに分けて、会場のスペースを考慮しながら展示するのは、学芸員の大変さがよく分かります。

 願わくば、最初のAのコーナーの入口にある半跏思惟像は、大阪四天王寺の救世観音像を模刻した平安時代のものでしたが、ここに中宮寺広隆寺の半跏思惟像を持ってくると最高でした。お寺の事情があるのでそうはいかないと思いますが。

 今回の展示は、それぞれのコーナーにハイライトを持ち、最終コーナーのE「法隆寺金堂と五重塔」でクライマックスに達するというような構成であると感じました。

そのEには、国宝『薬師如来坐像』、国宝『四天王立像の 広目天多聞天』2躯そして、6躯の菩薩立像などであり、最後に「伝橘夫人自念仏厨子」で締めくくった感じです。

 実はてっきり奈良の展示と同じ「玉虫厨子」が展示されると思っていましたが、東京は念持仏でした。

わたしの卒論は、半跏思惟像に関することでしたが、時代が近いのでこの「伝橘夫人自念仏厨子」も登場しました。思いがけず逢えて良かったと思います。

念持仏と云うと小さいというイメージでしたが、意外に大きく、三尊像と厨子とが別々に展示されておりました。三尊像がよく見えるようにとの配慮かと思います。

  この厨子は、光明皇后聖武天皇の皇后)の母である藤原三千代の念持仏を収めていると推測されています。

金銅の阿弥陀三尊像で中央が阿弥陀如来、左側が観音菩薩、右側が勢至菩薩像で白鳳時代末期の作品です。藤原三千代の阿弥陀信仰の熱心さがうかがえます。

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伝橘夫人自念仏厨子

 聖徳太子に関する説は、多数ありますが、このように聖徳太子は、なぜ多くの人達の心を掴んでいるのでしょうか。 

10人の人の話を同時に聞くなどの超人的な面と、神や仏でもない自分たちと同じ人間であるという人間性あふれる人間的な面の両面持つという太子のイメージがあると思います。

 十七条憲法の「和を以て貴しとなす」という平和の精神の太子が、すべての人間の願いを叶えてくれるという尊敬と崇拝の念からきているのではと思います。

 

 あまりにも見所がたくさんあり少ししか紹介出来ませんが、とにかく、100年に1度というこの展示会を、聖徳太子の理解のためにもぜひご覧いただきたいと思います。

その後10月に、伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄天台宗のすべて」が待っています。

その頃の日本のコロナの状況はどうなっているのでしょうか。

                             おわり