日本人の起源とアイヌの歴史

 以前、ブログで世界文化遺産に登録が決まった北海道の縄文遺跡について書きましたが、実際にその時代に北海道に生活していたのはどのような人たちでしょうか。

縄文人あるいは和人か、そんな疑問から日本で唯一先住民族と認められているアイヌの歴史について調べてみました。北海道出身の者として。

 日本列島に人類が足を踏み入れたのはどのくらい前のことでしょうか。ヒトの歴史について紐解かねばなりません。

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ヒトの移動ルート 

 ホモ・サピエンスは、7万年前にアフリカから外へ移住し始めます。そのルートはアフリカ東部の突端からアラビア半島を経由したものだと考えられています。

 日本列島に人類が住みはじめたのは、今から約3万数千年前とされています。南北両方から人類が、渡ってきています。南からは、朝鮮半島や南の島々を渡って南から移動してきた人々です。

また、北からは、シベリアの大陸の方面から移動してきた人々です。彼ら二つのグループは、高度な石器づくりの技術をもちこみます。

 当時は、約3万数千年前ですから「氷河期」で、ユーラシア大陸とつながっており、マンモスなどが生息していたと考えられています。人々は、打製石器を使い、狩猟により生活をしていた、いわゆる旧石器時代です。今から約1万年前までは、このような時代が続きます。

 そして、日本人の起源は、約1万5千年前から約3千年前にかけて、北海道から沖縄まで広く居住していた縄文人です。その後に大陸からの渡来集団が混血して弥生人となり、現代の日本人につながったとする説が定説とされています。

北海道にも多くの旧石器時代の遺跡が各地にあります。北海紋別郡遠軽町の「白滝遺跡」などです。

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白滝遺跡群から発掘された黒曜石の石器

 結局、アイヌも和人も縄文人という共通の祖先を持つということが分かり、アイヌ縄文人の末裔と想定されるということです。和人とは、アイヌ以外の日本人が自分たちをアイヌと区別するために用いた自称です。初出は、江戸幕府が当時のアイヌに対して用いています。

 アイヌに対するイメージは、美しい大自然に囲まれ争いをせず、閉じた世界で自給自足の生活を、のんびりとしていたというのが一般的です。しかし、アイヌはそうではなかったのです。

縄文時代が終わり、アイヌは、稲作を始めた和人との分化が始まりますが、その後も和人との交流を続けます。

 4~5世紀頃、オホーツク人の北海道の南下に伴い、次第に北海道南半や東北地方へ移動します。10世紀以降、商品として和人に供給するため、高級なオオワシの尾羽根を求めてオホーツク海沿岸に進出します。

このように、10世紀以降のアイヌは異境の産物を求めて海を越え、異文化と融合や衝突を繰り返してきた「交易民」であることが近年の考古学の成果で分かってきました。

 11世紀頃にサハリン、南千島に進出して、サハリンでは13世紀に入って先住民族であるニブフと対立します。ニブフは元朝に助けを求めたことから、半世紀近くにわたってあのチンギスハンの元とアイヌが交戦を繰り返したのです。 

元の兵力1万人に対し、アイヌは数百の兵で激しく抵抗を続け、ときには大陸に渡って先住民の村を略奪したこともあったようです。

 結局は1308年に毛皮の貢納によりアイヌが元に服属したのですが、閉じた世界に安住していた民では無かったのです。

 アイヌが道内をはじめ、サハリンや千島列島との交易により入手し本州へ移出したものは、オオワシの尾羽根だけでなくクマやキツネ、ラッコなどの毛皮など多岐にわたっており、それらにより、米、絹織物、鎧冑、刀などを手に入れていました。また、15世紀には明朝に交易を求め、北千島にも進出しています。

 このように、アイヌは単純に自給自足の生活をしていた「自然と共生する民」ではなく、交易が狩猟採集と同様、彼らの重要な生業でした。

 その後1669年に、アイヌ民族間の対立に端を発した「シャクシャインの戦い」で松前藩に敗れ、和人がアイヌに軍事的にも優越していき、幕府、松前藩側の主導権が確立していきます。

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蜂起の指導者シャクシャイン

 そして明治維新後、戊辰戦争箱館戦争終結し、開拓使が設置され、北海道と改称、本格的な開拓が始まります。アイヌは「平民」に編入され、独自の風習を禁じ、日本語教育を含めた同化政策を始めます。

 近年では、1994年にアイヌ初の国会議員が誕生、2008年 「アイヌ民族先住民族とすることを求める決議」が可決され、アイヌ民族を日本の先住民族として認定されます。

 わたしが札幌で過ごした小学生のとき、クラスにアイヌ男児がおりましたが、あまりアイヌ人だと意識することなく過ごした覚えがありますが、アイヌは、自然と共生する民というイメージと海を越えて融合や衝突を繰り返してきた歴史があったのだとあらためて思います。

                         おわり