今回も奈良大学博物館実習のついでに寺院に行きました。當麻寺(たいまでら)で、東大寺や法隆寺のような大寺ではありません。観光で大勢の人が訪れる寺ではないのですが、この當麻寺は、二上山に抱かれるように広がる古びた寺院で、いつか訪れたいと思っていました。
京都から橿原神宮前で乗換え、近鉄南大阪線で行きます。当麻寺駅が近づいてくると、車窓からラクダのコブのような二上山が見えて来ます。現在の呼び方は「にじょうさん」ですが、かつては大和言葉による読みで「ふたかみやま」と呼ばれていました。先月訪れた三輪山と相対した位置にあります。
駅の直ぐに中将姫伝説に因んだ店があり、そこから参道が続きます。
そして参道を抜けると仁王門があり、ここから入るのですが、入口を見ると絵を描いたよう見事に二上山の姿を浮かびあがらせるのです。
このお寺の歴史は、珍しいことにふつう寺院は一つの宗派に属していますが、當麻寺では、浄土宗と真言宗の塔頭が並立しています。そして、ご本尊も仏像ではなく織物である當麻曼荼羅です。
仁王門から入ると直ぐ左手に白鳳時代の日本最古の鐘楼があります。梵鐘は上部にあり間近には見られません。
そして、當麻寺最古の真言宗の塔頭の中之坊がありますが、先に本堂の方へ向かいます。南北に金堂と講堂が建ち、仁王門から真っ直ぐ東を正面に本堂の「曼荼羅堂」があります。
曼荼羅堂では、ご本尊の當麻曼荼羅が、天平時代の巨大な厨子の中に収められ、螺鈿の文様が美しい鎌倉時代の須弥壇上に安置されています。
當麻曼荼羅は縦横4m近くもある巨大なもので、金網が張られているのが見ずらく少し残念です。
また、この曼荼羅は原本ではありません。16世紀初頭に写本されたもので「文亀曼荼羅」と呼ばれていますが、500年近い時を経て歴史的価値があるものに変わりありません。原本の根本曼荼羅は、損傷甚大ながら現在も當麻寺に所蔵されているようです。
曼荼羅にまつわる「中将姫伝説」で知られています。伝説によれば、中将姫は16歳で出家して當麻寺に入り深い信仰生活を送り、菩薩の力を借りて當麻曼荼羅を蓮の糸で一夜にして織り上げ、29歳で浄土へ往生したというのです。この中将姫の伝説で結びつくことで、浄土宗や曼荼羅は多くの人々の信仰を集め、浄土という物語を信じたのです。
そして、この曼荼羅堂には、十一面観音立像、来迎阿弥陀如来立像などの他に、中将姫坐像が安置されています。
清楚な袈裟を身にまとい、手に数珠を持ち合掌しています。
実は、この曼荼羅は、2,3年前のスクーリング「奈良文化論」で各寺を巡ったときに見ています。ならまちの、元興寺の塔頭で「徳融寺」という小さなお寺です。住職が曼荼羅の説明をしていただいたことを覚えています。中将姫が継母により折檻された場所と伝わる「雪責の松」が敷地内にありました。
そして、手前にある金堂ですが、この中の仏像も見事なもので、創建時の本尊の弥勒仏坐像、乾漆四天王立像などを安置しています。弥勒仏は、白鳳時代のもので、珍しい如来形の塑像です。その他、同じ白鳳時代の乾漆の四天王立像などが安置されています。
金堂の向かいの北側にあるのが講堂です。金堂に次いで建立されたお堂ですが、平安時代末に焼失、鎌倉時代に再建されたものです。
主尊の阿弥陀如来坐像は藤原時代の丈六仏で、定朝様式を伝える美しい像です。その他珍しい妙幢菩薩立像、伝阿弥陀如来坐像など、平安時代~鎌倉時代の仏像群が安置されています。
また當麻寺には、東西二基の三重塔があります。それが二基とも創建当時から現存しているのは貴重で、日本では當麻寺だけです。
この三重塔は、木立に囲まれており気づかずに通りすぎるところでしたが、やや高い所に建てられており、下から見上げるとなかなか重厚で美しい。
そして、仁王門の方へ戻って、當麻寺最古の塔頭寺院である中之坊へ入ります。中之坊は、もとは「中院」とよばれ、中将姫の師である實雅や、弘法大師の弟子となった實弁などの高僧が住房としていました。中将姫の守り本尊である「導き観音さま」を祀り、信仰を集めています。
庭園「香藕園(こうぐうえん)」や書院など数々の寺宝を残す他、「導き観音」の信仰が篤い祈願所でもあります。
書院の一部屋で、お抹茶をいただきました。
中将姫に関係するものが数多くあります。天平宝字7年(763)中将姫は剃髪した毛髪で刺繍し、観音菩薩の導きを祈念したという故事にちなみ、髪塚に納める髪供養会が毎月行われています。
また、中将姫誓いの石があります。中将姫は女人禁制であったため三日間念仏を唱えたところお経の功徳で、この足跡がついたと伝えられています。
そして、庭園の香藕園から東塔が見えますが、池と合わせて見栄えが良い場所です。
まだまだ見所が多く書き足りませんが、当麻の地は折口信夫(おりくちしのぶ)の幻想的な小説『死者の書』の舞台としても知られています。
當麻寺に来て『死者の書』を読んでみたくなります。二上山に葬られた天武天皇の第三皇子の大津皇子の物語で、中将姫は、大津皇子を追って浄土へ急いだと信じられています。生と死の結界である二上山に抱かれる當麻寺にて、そう思いたくなるような1日でした。
この二上山と當麻寺は、先月見てきた三輪山と大神神社と対比させるような、古代のロマンを感じさせます。
おわり