今年も残すところ1か月足らず、コロナ感染者は、東京でも激減、収まったかにみえます。しぶといウィルスは、また新変異種、オミクロンを繰り出してきました。さてコロナ禍はいつまで続くのでしょうか。
今回は近隣の馬頭観音の話しです。3年程前に東京国立博物館にて、京都の「仁和寺と御室派のみほとけ」という特別展が行われました。その中に、福井・中山寺蔵の「馬頭観音菩薩坐像」(ばとうかんのんぼさつざぞう)が展示されていたのですが、強く印象に残っていました。
観音菩薩像と云えば、穏やかでやさしいイメージでしたが、この像は、忿怒の形相を示しており三面八臂の頭上に馬の顔面がある強烈な像だったからです。
実は、意外にも、わたしの住む地域東京都稲城市に、この馬頭観音の石塔があることを市のホームページで知りました。
それは、「馬頭観世音塔」(ばとうかんぜおんとう)というもので旧道沿いに並んでいます。グーグルマップで場所を調べると多摩川沿いの近くにある、車で数分位のところです。天気もいいので早速行ってみました。
馬頭観世音塔は、市内だけで45基の石塔が散らばって在ります。わたしが見た石塔は、14基の馬頭観世音塔が狭い旧道に沿って並んでいたのです。その中央にあったのが、唯一、浮彫りのまさに三面八臂の馬頭観音の石塔でした。他の石塔は、「馬頭観世音」と文字のみ刻印されていました。
三面八臂の馬頭観世音塔は、江戸後期の文化13年(1816年)の造立で、市内最古の馬頭観世音塔です。最も大型(高さ184cm)で、本格的な馬頭観世音の浮彫りを施していますが、屋外に200年経っても健在です。
馬頭観音は、観音菩薩の変化身の1つ「六観音」の一尊で、観音としては珍しい忿怒の姿をとっています。
前述の中山寺のような三面八臂あるいは三面六臂の馬頭観音像は、鎌倉時代前後の11~13世紀に最も多く造られています。「馬頭」は、諸悪魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされています。
近世以降は、国内の流通が活発化し、馬が農作業そして移動や荷運びの手段として使われることが多くなりました。それに伴って病気や事故で死んだ愛馬を供養することも増え、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていったと思われます。
また、旅の安全や五穀豊穣、平和への祈念などの信仰も合わせて行われるようになっていきます。
我が稲城市の馬頭観世音塔も動物への供養塔そして馬の無病息災の守り神として信仰されたのだと思います。
尚、「観音菩薩」の別名は、観世音菩薩、観自在菩薩、救世菩薩などがあります。観世音とは、「世の音を観る」ということで、世とは衆生のこと、音とはその衆生の声を観て下さるということです。「世の音を観る菩薩」、観世音菩薩と呼ばれるようになったと云われています。
次いでですが、我が町東京都稲城市の遺跡についてです。この関東の小さな名も知られていない1地域に、奈良、平安時代の土師器(はじき)、須恵器(すえき)のみならず、縄文、弥生、古墳時代などの出土品があるのです。
遺跡は3か所あり、縄文時代では、深鉢型土器、浅鉢型土器、打製石斧、磨製石斧などが発掘されています。
近いうちにこの辺の遺跡や出土品なども見てみたいものです。
参考資料 東京都稲城市ホームページ
現地案内板
おわり