師走は、やはり何かと忙しい月です。年末、新年の家族の集まりの予定、準備、年賀状、そして延び延びの奈良大学のレポート、科目試験の回答作りなどなど1年の総締めくくりのケジメをつけたいものです。
その隙をぬって、近くの寺社に行って来ました。京王線の「よみうりランド」駅のすぐ近くにある威光寺と穴澤天神社(あなざわてんじんしゃ)です。
この寺社は互いに近くにあり、多摩丘陵の中腹の起伏にとんだところに位置しています。神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺を別当寺と云いますが、威光寺が旧別当寺にあたります。
神仏分離令により、穴澤天神社の境内の横穴に安置されていた石仏が、現在の威光寺の弁天洞窟内に移されたということで、ここも神仏分離令に翻弄された寺社なのでしょうか。
威光寺は、真言宗 豊山派の小さな寺院です。創建年代は不明ですが、江戸時代初頭頃とされています。
境内には明治時代に古墳の横穴を拡幅した「弁天洞窟」という洞窟霊場があります。穴澤天神社の石仏もあるはずですが、残念ながら、現在は東日本大震災以後、閉鎖されているようです。東京百景の一つで、全長は65mもあるようでぜひ修復してもらいたいものです。
もう一つここには、稲城市指定文化財の「庚申塔」があります。庚申塔(こうしんとう)とは、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことです。60日ごとに巡ってくる庚申(かのえさる)の日になると講の人たちが集まって飲食を共にし、健康、長寿を願う庚申信仰が江戸時代に広く行われるようになりました。こうした講の継続を記念して造立されたのが庚申塔です。(稲城市の看板より)
そして、穴澤天神社ですが、孝安天皇の時代の紀元前423年の創建と伝わっていますから、本当に古い神社です。
現在の主祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)をお祀りした社ですが、後に元禄7年に社殿を改修し、菅原道真公を合祀しています。
社殿下方の川沿いにある弁天社には、小規模ですが、洞窟霊場があります。この窟が「穴澤」の名の由来だということです。
中は真っ暗で、下は水ですが、石踏みがあります。片方の洞窟に石の祠がありました。二つの洞窟はつながっています。
洞窟から少し離れたところに東京の名湧水57選のひとつに選ばれている湧水が湧き出ています。これを汲みに来ている人がいました。
水質検査は行っておりますが、煮沸してご利用ください、ということです。
家の近くの多摩丘陵の地域にこのような洞窟霊場、湧水などがある寺院、神社があるとは思いませんでした。足を運んでみると何か発見があるものですね。
最後に土産品と御朱印です。
おわり