わたしの住居の東京都稲城市に、寺社が多いのは意外で、家の近くにも多数ありました。コロナ禍で都心に行くことなく寺社に探訪できるのは有難いです。それにしてもオミ株の感染力は凄い。少しでもリスク回避となればと思います。
今回は、臨済宗の建長寺派寺院の円照寺で、山号が大慈山と号します。多摩川三十三観音霊場28番札所になっています。
円照寺の建てられている場所は、聖武天皇の国分寺造立の詔による武蔵国国分寺や国府に使用された瓦を焼いた跡地で、その草創は行基菩薩と云い伝えられています。今も境内からこれらの布目瓦や板碑の破片が出土されるというから驚きです。
円照寺の発祥は遠く奈良時代ですが、過去帳にみる禅宗としての確かな記録は、明岳哲和尚が天正15年(1587)に開山したと云われています。鎌倉建長寺の末寺としての円照寺が発足したことになります。
円照寺の寺号標から、参道の階段を上って行くと山門が見えます。
そしてすぐに本堂です。途中に地蔵菩薩像があります。
本堂が閉まっていましたので、本堂と棟続きの庫裡の玄関から、本堂内の拝見をお願いしました。住職の奥さんらしき人ですが、快くお参りさせて戴きました。
中央上に、本尊の十一面観世音菩薩像が厨子の中に座っております。室町時代作の寄木造りです。法衣垂下の様式をもつ宋風の本格的な中世彫刻としての価値が高く、この地方の文化史上重要な位置を占めるそうです。
正面欄間に飛天、牡丹唐獅子の木彫りがあり、元禄7年奉納と刻まれています。
御朱印も戴きました。
また、参道の入口のところに、二つの石塔があります。二十三夜塔と庚申塔です。
二十三夜塔は、安政4年(1857)月隣和尚代の造立で、庚申塔は享保8年(1723)泰然和尚代の造立です。
月待塔は、日本の民間信仰で、特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行ない、供養の記念として造立した塔です。二十三夜塔とは、特定の月齢の一つで、日本全国に分布しています。
庚申塔も庚申の日の夜は、夜通し勤行をしたり宴会をしたりする風習で、同じようなことが云えます。円照寺のパンフレットには二十三夜塔と記載されていましたが、実際の石塔の刻印はどうみても三夜塔と刻印されています。
近隣に、このような寺院があるとは30年もこの地に住んでいて知りませんでした。仏像に興味をもち、奈良大学にお世話になっていなければ、このような興味深い所に来なかったでしょう。それにしても、やはり現場に足を運べば、新たな発見があるものです。
参考資料:円照寺パンフレット
おわり