東京都のコロナ感染者は、ついに昨日2万人を超えました。どこまで増え、いつ収束するのでしょうか、誰も分かりません。
今回は、多摩地域を代表する寺院の一つ、曹洞宗の高安寺です。府中市にある高安寺は、稲城市からですと、多摩川を渡り東京競馬場、大國魂神社を過ぎ、分倍河原の方向へ旧甲州街道沿いに行くと直ぐに在ります。
高安寺境内の歴史は古く、ほぼ1千年前の平安時代中期に遡ります。寺伝では、東国の豪族で武将・藤原秀郷公が武蔵国国守となって府中の現在地に、館を建てたのがその始まりです。その館跡が市川山見性寺に改め寺になったといいます。
境内には、「秀郷稲荷」の小祠や「弁慶硯井」など、寺の随所に古刹としての面影を残しています。
高安寺の寺号標を過ぎると、総門があります。禅宗寺院では、山門の前に総門があるようです。
扁額の文字は、「武野禅林」です。
総門を入って参道を歩くと左に弥勒菩薩像があり、本堂か観音堂へ行く参道が分かれています。取り敢えず観音堂の方角へ。
高安寺の観音堂は、府中市教育委員会の掲示板によりますと、もとは寺の西の観音橋付近にありましたが、江戸初期の大水に流され、享保年間に現在地に再建されたと伝えられています。
この観音堂は、桁行三間・梁間三間の入母屋造りで、多摩地区においては数少ない江戸中期の三間堂だそうです。
高安寺は、多摩川三十三観音霊場三十三番札所でもあります。御詠歌が掲げられています。
法の山 高くも心 安らかに 七観音を 頼む嬉しさ
そして、戻って本堂の方へ向かいます。すると山門が見えてきます。ここの山門は、木造二階建ての規模の大きい二重門です。
阿吽の金剛力士像は迫力あり見事ですが、その背中合わせに地蔵菩薩と奪衣婆の像があります。奪衣婆(だつえば)は、閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服をはぎ取り罪の軽重を諮るとされています。新宿の太宗寺で見ましたが、お寺の山門にあるので驚きました。
そして、上部の木鼻部分に迦陵頻迦(かりょうびんが)の像が配置されています。迦陵頻迦はサンスクリットのカラヴィンカの音訳で上半身がヒト、下半身は鳥という仏教界の想像上の生物です。この像がぐるりと多数取り付けられています。
山門を通り過ぎて、本堂まで参道の右側の方に色々な石像が並んでいます。
箒小僧は他の寺院でもよく見かけます。当山三十一世代と書いてあります。
箒小僧
ぼけ封じ地蔵や延命地蔵、そして日本における曹洞宗の開祖の道元禅師像です。いずれも新鮮な花が供えられています。
鐘楼は、東京都選定歴史的建造物となっており「時の鐘」と称しています。掲示板によりますと、この鐘は、徳川幕府公許の鐘で二六時中近隣四方の村々へ時を報ずる役でした。制作者は、ここから近い谷保在住の「かなや」親子で、安政5年(1858)当山境内で改鋳されたものです。明治維新よりこの方、伝統の一端を護り、朝・昼・夕の三回撞いています。朝は覚醒、昼は精進、夕は反省と位置づけて、現在も撞いているようです。
高安寺の開基は足利尊氏ですが、等持院は、尊氏の法嗣名です。寺紋も足利氏の紋章(丸に二つ引両)を用いています。
尚、その当時は臨済宗の寺で、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名されました。これによって高安寺は室町幕府の保護を手厚く受けて、大寺院となったのです。
しかし、その後、暦年の兵戦を経て衰えて大刹の姿も失っていきます。慶長年間に青梅の海禅寺第七世に関州徳光禅師という天江東岳和尚が、当山を再興し、済派を改めて曹洞宗となり今日に到っています。
扁額は「等持院」です。高安寺本堂は、山門、鐘楼とともに東京都選定歴史的建造物です。
そして、本堂の左側の墓地を通り抜け、秀郷稲荷、弁慶硯井の方向に行きます。
墓地を抜けると秀郷稲荷大明神があり、弁慶硯井の石碑もあります。
秀郷稲荷は、最初に述べたように、当地が田原藤太(藤原)秀郷の館だったことから、その証として秀郷稲荷を祀っています。
弁慶硯の井戸は、平家滅亡後、源頼朝の怒りにふれ鎌倉入りを許されなかった源義経・弁慶らが、当地で赦免祈願のため大般若経を写経した地だといいます。その時裏山から清水を汲み取ったので弁慶硯の井戸の遺蹟があるということのようです。
秀郷稲荷から右脇道を下って行くと、東屋がありそのそばに弁慶硯の井戸があります。
東屋と弁慶硯の井戸が見えてきます。
この井戸です。弁慶硯の井戸
弁慶硯の井戸
この高安寺の境内には、巨木も多数目をひき、府中市の名木百選となっています。
そして、本堂の前に佐渡産の木化石がありました。樹木が原型を変えずに二酸化ケイ素という物質に変化することで固くなり、化石化したということで、初めて見ました。
最後に御朱印です。本堂の右横の庫裡にていただけます。
まだまだ書き足りないところですが、長くなりこの辺で終わりとします。それにしても見どころ満載の古刹でした。
参考:高安寺のパンフレット、境内掲示板
おわり