府中市散策 梅花山光明院

 前回の府中市散策の続きです。分倍河原古戦場と古墳に続いて真言宗豊山派のお寺、梅花山(ばいかざん)光明院に行きました。

光明院は、高倉塚古墳の近くにあります。創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に北条家の家臣肥後守小川義継が建立した祈願所を開基とし、阿闍梨祐秀(天正13年1585年没)が中興したといいます。

 『新編武蔵風土記稿』によりますと、「(本町)光明院 除地、二段五歩、分梅にあり、梅花と号す、本寺前に同じ(新義真言宗、村内妙光院の末)、本堂五間に七間西向、本尊不動木の坐像、長一尺余、開山開基詳ならず。弥陀堂。二間四方、本堂の前にあり。」とあります。

『新編武蔵風土記稿』は、文化・文政期に編まれた武蔵国の地誌です。全265巻、文政13年(1830)に完成しました。多磨郡府中領府中宿本町の編に記載されています。

 この中の「分梅にあり、梅花と号す」ですが、現在の町名は「分梅」の文字ですが、分倍河原古戦場や、京王線・JR線の駅名は分倍河原駅で、「分倍」の文字です。表記は、色々変遷があったことが伺えます。また「梅花と号す」は、山号の梅花山でしょうか。

 前書きが長くなりましたが、この寺院は、山号を梅花山、院号を光明院そして寺号が天王寺です。宗派は真言宗豊山派で、本堂に祀られています、不動明王がご本尊はです。
 扨て、梅花山光明院の山門です。扁額は、山号の梅花山。

山門 安政五年(1858年)に建立。本来は茅葺きの屋根であったようです。

扁額

 山門の右側に六地蔵と由来の記された石碑があり、左側に荒神様の石碑があります。

六地蔵

六地蔵由来の記された石碑

荒神

山門をくぐると山門の両脇に弁財天と歴代住職慰霊碑です。

弁財天

歴代住職慰霊碑 歴代の光明院住職を祀った慰霊碑です。

 正面は本堂で、鉄筋コンクリートの近代建築となっています。二階が本堂で、下は「寺務所」です。時が経てば昔の風情のある建物も、このような近代建築となるのですね。

本堂

本堂の扁額 光明院

 二階の本堂正面からガラス越しに内陣が拝見できます。御本尊の不動明王、そして諸仏、大師像などが祀られています。

本堂内陣

また、本堂の正面下に「御前立本尊」として、不動明王像があります。本堂に上がるのを省いて、下でお参りできます。

御前立本尊の不動明王

 そして、寺務所の南側に大師像はじめ幾つかの供養塔があります。

修行大師像は、昭和五十九年(1984年)に、弘法大師入定一千百五十年御遠忌を記念して、建立されました。

修行大師像

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。供養塔、墓碑塔として、五輪塔とともに国内に多く造立されています。

宝篋印塔

 永代供養墓は、個人墓、夫婦墓を想定したロッカー形式の納骨堂です。核家族化や晩婚化がすすみ、将来のお墓の担い手がいないという一つの墓の在り方でしょうか。

永代供養墓

 最後に御朱印ですが、ご住職が、忙しい中丁寧に対応して戴き、さらに白檀と桂皮を融和させた良い香りのする線香と散華も戴きました。有難うございます。

御朱印

御詠歌

散華

お線香 淡麗 香樹林 淡く清しい白檀の香り

 余談です。冊子にかかれていたのですが、真言宗豊山派寺院は、全国に3000カ寺があります。それらの寺院のご本尊の祀られる仏像は、多い順に以下の様だそうです。

第1位 不動明王

第2位 大日如来

第3位 観世音菩薩

第4位 阿弥陀如来

第5位 薬師如来

       参考資料:光明院ホームページ、冊子

                        おわり