世田谷区散策 世田谷観音

 連日、短い梅雨も明け、真夏並みの暑さが続いています。この暑い炎天下の中、今回は、都内世田谷区の散策で、世田谷山観音寺(通称:世田谷観音)と松陰神社です。

 昨年、目黒区の五百羅漢寺を拝観しましたが、そこから流出した羅漢像9体が、世田谷観音に所蔵されていることを知っていました。いつか拝観したいと思っていましたが、今回実現しました。

 世田谷観音には、羅漢像だけではなく素晴らしい、珍しい仏像などが多数ありました。やはり実際に足を運ぶと良いことがあります。

午前中早く行ったのですが、ご住職が既に本堂、阿弥陀堂を開けて各お堂を廻って参拝しておりました。境内も綺麗で、屋外の仏像などにもお花を飾られており維持、管理が行き届いていることが伺えます。

 世田谷観音は、宗派を持たない単立寺院です。単立寺院とは、どこの宗教団体にも属さないということですが、著名な寺院では、鎌倉の長谷寺、奈良秋篠寺などもそのようです。ご住職によりますと、やや天台宗に近いというようなことも仰っていましたが、墓地も持たず葬儀・法事などは行っていないそうです。

 東急世田谷線三軒茶屋駅から徒歩14,5分の閑静な住宅地にありますが、観音通りに面して、入ったのが裏門でした。

裏門を通ると、名木百選のクスノキがあります。そして、直ぐに本堂の観音堂があります。

世田谷観音の裏門

看板

名木百選のクスノキ

 順番に拝観するため仁王門の方に行きます。仁王門の前に、吉田茂揮毫の門標があります。

吉田茂揮毫の門標

 仁王門に入る前ですが、左手に「さざれ石」なるものが置かれています。岐阜県産の石灰質角礫岩のようです。

さざれ石

隣に地蔵菩薩像、あゝ特攻勇士之像、旧皇族の竹田恒徳揮毫の特攻平和観音石碑もあります。

地蔵菩薩

あゝ特攻勇士之像

特攻平和観音石碑

 また、お寺の中に旧小田原藩の代官屋敷があるという、少し変わった光景があります。

世田谷観音本坊(旧小田原藩の代官屋敷)

そして、いよいよ仁王門です。鉄製の狛犬、仁王像も立派です。

南蛮渡来の鉄製の狛犬は、清国の康熙帝1691年に進献されたものです。(看板より)

仁王像は、12世紀後半、平安後期で都内最古の仁王像です。

世田谷観音の仁王門

阿吽の狛犬



阿吽の仁王像 

狛犬も仁王像も、どこか優しい感じがします。

 仁王門を出て、正面の参道を真っすぐ行くと本堂の観音堂です。両脇に阿弥陀堂、六角堂などのお堂、そして屋外の仏像など境内の中を所狭しと、並んでいます。

 最初に、仁王門の右側の阿弥陀堂です。阿弥陀堂は、普通のお堂とは少し趣が違います。ご住職によると、京都の二条城より移築されたもので、三層の建物は金閣寺を模したということです。

 屋根には鳳凰、三階の軒下には「韋駄天」の扁額が掲げられています。その三階に韋駄天が安置されているということでした。韋駄天は、韋駄天走りの語源となる、足の速い神として知られています。

阿弥陀堂

阿弥陀堂の扁額

鳳凰と三階部分 扁額の文字は韋駄天です。逆光であまりはっきり撮れていません。

 堂内は狭いのですが、入ると直ぐ左右に羅漢像各4体、奥に本尊の阿弥陀如来を中心に、その左右に観世音菩薩、地蔵菩薩などの仏像が並びます。

阿弥陀堂の内部

本尊を中心とした仏像

本尊の阿弥陀如来坐像

観世音菩薩立像

 そして初めて見ますが、左甚五郎作の鬼念仏、前漢武帝時代の政治家、東方朔像が安置されています。

鬼念仏

東方朔像

 目黒の五百羅漢寺に安置されていた五百羅漢坐像のうち、8体がこの阿弥陀堂に安置されています。迫力ある羅漢像です。

世田谷観音のHPには、9体とありますが8体で、もう1体は、別の場所でしょうか。

阿弥陀如来と羅漢像

羅漢像

羅漢像に関するこんな看板もあります。

阿弥陀堂は、本当に見ごたえありました。

 

 阿弥陀堂の参道を挟んで向かい側に六角堂(不動堂)があります。

六角堂(不動堂)

六角堂入口

扁額 南無不動明王

こんな看板もありました。

 この六角堂には、国の重要文化財、「木造不動明王及び八大童子像」を安置しています。鎌倉時代の大仏師、運慶の孫にあたる康円の手によるものです。

八大童子を従えた不動明王像は、高野山に安置されている運慶作の尊像と、この康円作のもの、国内ではわずか2体しか残っていません。

しかも同一作者により製作された「不動明王ならびに八大童子」が現存しているのはこのお寺だけで、極めて貴重な文化財です。

 今回は、残念ながら開扉しておらず、毎月28日のお不動様月例御縁日に開扉されます。ただ、写真撮影は、唯一禁止だそうです。観音堂阿弥陀堂は、自由に写真撮影が可能です。

 不動明王ならびに八大童子ポスターですが、不動明王を中心に、指徳童子、阿耨多童子、烏倶婆誐童子、制多カ伽童子矜羯羅童子、清浄童子、恵喜童子、恵光童子です。

大仏師法眼和尚位康円、絵仏師法橋上人位重命、文永9年(1272)胎内願文によるとあります。

不動明王ならびに八大童子ポスター

写真撮影不可ではありますが、拝観する価値のある群像で、出来れば、いつかの28日に拝観したいものです。

 この世田谷観音は、1951年、太田睦賢氏によって開山されました。戦後創建の比較的新しい寺院であるにも関わらず、意外に江戸時代以前の文化財が多く、多彩なものがあります。

 本堂などまだまだ続きますが、長くなりますので次回とさせて戴きます。

尚、創建者は、現在のご住職のお孫さんですが、気さくな方で丁寧に説明戴き有難うございました。

参考資料:世田谷観音ホームページ、世田谷観音境内看板

                          おわり