「めのう観音像」の笹寺の帰りに、四谷怪談と関係のある陽運寺に行きました。笹寺から数分、陽運寺かと思ったら「於岩稲荷(おいわいなり)田宮神社」でした。道を挟んだ向かい側に陽運寺がありましたが、どちらの寺社もお岩さんと関係があるようです。
田宮神社は、建年代は不明ですが、元々はお岩さんの実家、田宮家の屋敷神として祀られていた稲荷神の祠が起源で、こちらが始まりです。
四谷怪談が広く知られるようになり、信仰が盛んになりましたが、明治12年に火災に遭い、東京都中央区に移転しました。これが、現在の中央区にある於岩稲荷田宮神社です。
移転後の四谷には、小さな祠が残されていたのですが、昭和初期に陽運寺が創建され、お岩信仰の一翼を担ったということです。その後、震災、戦災にあい、昭和27年に陽運寺は、再建されています。
このような経緯から「於岩稲荷田宮神社」を名乗る神社がここ新宿区と中央区に二つあり、さらに、陽運寺もお岩さまを祀る寺院として厄除け、ご縁事、芸能事に霊験があると、多くの参拝者を集めています。
まず、予定通り陽運寺から参拝します。山門からお岩さんの文字が出てきますが、どこか怪談とは関係なく田宮神社と違い、明るく華やかな雰囲気です。
山門ですが、提灯に於岩稲荷の文字がでてきます。寺号標のような木製のものにも、山号の長照山と陽運寺、そして右側に「四谷怪談、お岩さま縁の寺」と書いてあります。そして、扁額も「於岩霊堂」と、まさにお岩さん一色です。
山門を出ると、「お岩さまと縁結び」の看板が。
『東海道四谷怪談』に出てくるこわいお岩さんは、後世の人が創作した物語です。江戸時代に実在したお岩さんは、家庭を大事にした貞淑な妻であった。このお岩さんを祀る陽運寺は、「えんむすび」の寺として知られています云々、と書かれています。
お岩さんと縁結び、なかなか結び付かないと思うのですが…。
参道を真っすぐ行くと突き当りにお稲荷さんがあり、そこから左直ぐに本堂です。参道の竹のエリアを進みます。
竹のエリアを抜けると、そこには寺院らしからぬ不思議な世界で、まるで神社のような雰囲気です。
そして、本堂です。本堂前の阿吽の狛犬が少し怖い顔をして可笑しい。本堂に於岩稲荷の提灯があるのは少し違和感があります。
堂内には御本尊の宗祖日蓮大聖人御尊像をはじめ、お岩様の木像、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像などが勧請安置されています。
陽運寺の由来は、江戸時代の文政の頃、鶴屋南北作の『東海道四谷怪談』が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。お岩様の霊堂が戦災にあったため、栃木県から寄木造りの貴重な建造物である薬師堂を移築再建し、開山されたのです。
境内にある秦山木の下に、お岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。
境内は狭いながら、色々な工夫を凝らしたものがあり、特に若い女性で賑わっていました。
境内の右奥に、お岩さん縁(ゆかり)の井戸があります。現在も御霊水として使われています、とのこと。
その手前に「於岩稲荷 水かけ福寿菩薩」がおります。「お題目(南無妙法蓮華経)を唱えながら、おかけ下さい。あなたの厄が除かれ、あなたに福寿(幸福)が訪れます。」とあります。
井戸の右手にも本堂の近くの稲荷神社と同じ祠、狐などの於岩稲荷のセットがあります。
また、「心願成就の石」なるものもあります。「願いを込めて、一個ずつ、叶玉投げ入れるべし。」とのこと。叶玉は売っているようです。色々考えていますね。
陽運寺は、山梨県、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院ですが、南無日蓮大菩薩の石碑もあります。また、お岩稲荷霊堂の再建記念碑も建っています。
そして、本堂の左に寺務所があります。こちらも近代的な感じで雰囲気も良いです。
山門から竹のエリア、お岩さんと縁結び、心願成就そして寺務所や趣のある休憩スペース等々、一般の寺院とはかけ離れた神社のような雰囲気がありました。女性の参拝者が多く、明るく居心地の良い空間かもしれません。
陽運寺を出た後、道を挟んだ向かい側の田宮神社にもお岩さんの本家なので行ってみました。次回に報告します。
最後に御朱印ですが寺務所で戴きました。。くずし字ですが、「南無妙法蓮華経」、「於岩稲荷」だと思います。於岩稲荷のほうは、月ごとの限定御朱印のようです。
参考資料:陽運寺ホームページ
陽運寺境内の説明板
おわり