前回の続きで、陽運寺の斜向かいの「於岩稲荷(おいわいなり)田宮神社」です。どちらもお岩さんと関係しますが、前回の陽運寺の開放的な明るい雰囲気と違い、田宮神社は雰囲気が一変します。落ち着いた静寂さに加え、お岩さんがどこかで見ているような感じです。
お岩さんといえば、四谷怪談の顔が崩れた怖い顔を思い浮かべますが、実在のお岩さんは、「貞女の鑑」だったのです。田宮神社の拝殿に新聞の切り抜きがあります。
江戸時代の初期、徳川家の御家人の田宮家の祀られていた社が始まりです。田宮又兵衛の娘であるお岩さんが篤く信仰し、養子である夫の伊右衛門とともに家勢を再興しました。次第に人々に信仰されるようになり、田宮家でも祠を作り、お岩稲荷として敬い、彼女の死後も「於岩稲荷」の評判が高かったようです。
お岩さんが亡くなってから約200年後、そんな貞女の鑑のお岩さんを鶴屋南北が、全く別の物語を作りだし、歌舞伎として演じ大衆に広まった、という経緯があるようです。
その物語とは、産後の妙薬と騙されて毒薬を飲んだ岩は顔が崩れ、夫の陰謀を知って呪いながら自害する。伊右衛門は岩の死骸を川に流すが以降、関係者を次々と祟りが襲い田宮家は滅亡する。といった恐ろしいものです。ですが実在したお岩さんにとっては、迷惑な話です。
四谷怪談には歌舞伎や落語で色々な物語があるようですが、基本的なストーリーは、貞女のお岩さんが夫の伊 右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たすというもののようです。
扨て、於岩稲荷田宮神社の入口の鳥居です。一見して緑が多いようですが、暗い感じがします。鳥居の右側の所に、「通称お岩さま」の柱が立っています。
鳥居の左側には、東京都指定旧跡、於岩稲荷田宮神社跡の説明板があります。また、鳥居の両側に奉納された玉垣に、歌舞伎座、明治座などの文字が見られます。
境内に入りますと、ねじれた太い木が目立ってあり、参道から直ぐに拝殿があるという狭い神社です。
左に行くと手水舎です。手水舎の柱に注意書きがあり、「この水は、お岩さまの時代(江戸時代初期)から生活用水として使われていたわき水(井戸水)です。しかし、今は、周辺の環境が違っていますので、お飲みになることは止めて下さい。」とのこと。
拝殿の方に行きますが、左右に神狐が鎮座しています。足元に、鞠、鍵でしょうか。毬、稲など咥えている狐も他の神社で見たことがあります。
拝殿ですが、戦後の昭和27年に再建されました。扁額は、お岩稲荷田宮神社です。
ご祭神は、豊受比賣大神(とようけびめのおおかみ)と、田宮於岩命(たみやおいわのみこと)です。豊受比賣大神は、食物や穀物を司る女神です。田宮於岩命は、お岩さんです。
拝殿の前には、神主さんからの色々なものがありました。
まず、拝殿の扉に、残念ながら「ご朱印 ただ今書き手が所用で不在、ご朱印ができません。ことばのお守りをどうぞ 神主」との貼り紙がありました。
「ことばのお守り」をどうぞということなので、有難く頂戴いたしました。ご朱印の代わりとします。
『四谷怪談360年目の真実』という本の紹介や関係する写真などの資料も貼られています。
また、於岩稲荷田宮神社の成り立ち、歴史が書かれた資料、お岩さんの新聞の切り抜きなどが貼られています。
境内の中に、境内社の祠が二つあります。
狭い境内ですが、参拝者が結構来ており、拝殿の前にいつも並んでいるようでした。お岩さん人気も根強いようです。
これを書いていて気付いたのですが、この田宮神社の御紋は陰陽のマークのようです。東洋医学などで使われる「太陰太極図」です。白色は陽で、黒色は陰を表しています。
既に貼り付けた写真の「手水舎」や「拝殿の天幕や台」、「ご朱印ができませんの貼り紙」、「お言葉」など所々で使われていました。
お岩さんの関係するここ四谷の於岩稲荷神社そして前回の陽運寺を参拝しましたが、中央区の於岩稲荷神社、そして、お岩さんが眠る巣鴨の妙行寺にも参拝したいと思う気持ちが強くなりました。
おわり