世田谷区等々力渓谷の北側の満願寺の続きです。前回の満願寺、薬師如来瑠璃光院の直ぐ東側に玉川神社があります。
玉川神社の創立は、一説に室町時代の文亀年間に世田谷城主吉良頼康が勧請したものと伝えています。
古くは熊野信仰の神社で「熊野社」と称していました。しかし、明治の合祀政策によって村内の神明社、御嶽社、諏訪社の三社を合祀し、社名を熊野神社から地名の玉川神社に改称しました。
玉川神社は、目黒通りに面しており、石段の先に大きな石の鳥居とその手前に社号碑があります。現在の等々力一帯の総鎮守となっています。
鳥居の両脇に阿吽の狛犬が鎮座しています。
また、満願寺と同様、「等々力の玉川神社とその周辺」ということで、「せたがや百景」に指定されています。
境内は社殿を中央に、大木が多い静かな佇まいで、結構広い感じがします。
直ぐ右側に手水舎があります。水は、近づくと龍の口から自動的に出てきます。コロナ禍でこうしたのでしょう。
そして社殿です。旧社殿は大正七年(1918)に不審火によって焼失しました。拝殿は昭和十五年(1940)に再建されたもので、立派で重厚な佇まいです。
御祭神は、
伊邪那岐神・伊耶那美神・事解男神・天照皇大御神・大国主命・少彦名命・
拝殿の手前にも阿吽の狛犬がいます。鳥居にいた狛犬とよく似ています。
社殿の右手には、石獅子(いわしし)があります。獅子が千尋の谷に子を突き落し、生き残ったものだけを育てる。自分の子に試練を与え、その才能を試し、立派な人間にという、子育ての信仰があったようです。
そして、社殿の左手に末社が並びます。
天神社と八幡社の合殿です。
その右手が大國社です。
右隣に朱色の鳥居の稲荷社があります。様々な表情をした多数のお狐さんが稲荷神を出迎えています。
さらにその右手に三峯社があります。
その手前に神明社の小祠が置かれています。
また、境内の西側にはいくつかの石碑が並んでいます。中でも目立つのが「郷土開發之偉人 豊田正治翁之碑」と刻まれた大きな石碑があります。
大正12年以来、約30年に亘って玉川全圓耕地整理を完成した郷土開発の偉人豊田正治翁他の記念碑です。豊田正治氏は、玉川村の村長であった人物です。
鳥居がありその先に忠霊塔があります。等々力村の戦歿将士を祀っています。
何の石碑か分かりませんが、他にも立派な石碑があります。
玉川神社には、薬師如来瑠璃光院に近い西側にも入口があり、鳥居が建っています。
今までの写真からも、緑に覆われた大木の多い神社だと分かりますが、特にユニークな大木が、参道の手水舎奥にある「クスノキ」です。
下のほうがずんぐりと太く立派です。名木百選のクスノキで、通称「とっくりクス」です。樹高13.5m、幹回り4.65m、枝張り15mだそうです。
そして根張り椎の木というのもあります。
どちらも樹齢は、どのくらいなのでしょうか。
玉川神社は、目黒通りという大通りに面しながらも、比較的広く緑に恵まれた境内でした。
目黒通りは通称であり、「東京都道312号白金台町等々力線」です。港区から品川区、目黒区を経由して、世田谷区に至る都道です。
古くは江戸時代、江戸から大鳥神社、目黒不動尊、さらには九品仏の浄真寺に向かうための通りでした。信心深い人たちは、ここにも訪れたと思います。今も地域の鎮守として崇敬を集めているのが伝わってきます。
最後に御朱印です。拝殿の右側には社務所がありますので、ここから戴きます。宮司さんが、料金は、気持ちだけどうぞということでした。どこから来たのとか気さくな方でした。御朱印は、見事な字です。
参考 玉川神社発行のパンフレット「玉川神社参拝の栞」
境内の看板
おわり