龍の天井図の広尾神社

 先日、港区広尾にて書道の個展に行く機会があったのですが、そのついでに広尾神社に参拝しました。広尾神社は、日比谷線広尾駅の直ぐ近くにあります。

創建は、慶長年間(1596~1615年)と伝わります。二代将軍、徳川秀忠が鷹狩をした際に当地に立ち寄り、稲荷神を勧請したと云うことです。社殿は木造明神造り、御神体は木造翁の立像です。

 御祭神は、宇迦魂之命(うかのみたまのみこと)別名、倉稲魂命で、商売繁昌、五穀豊穣、火防守護の神として信仰を聚めています。

広尾神社の正式名称は、「廣尾稲荷神社」ですが、新字体の「広尾」が使われる事が多いようです。

 広尾駅から東側の道沿いに行きますと、直ぐに広尾神社の鳥居が見えます。鳥居の右に社号標、左に大きな獻燈(けんとう)が建っています。

鳥居

社号標 

獻燈(けんとう)

 獻燈は、真ん中に獻燈の文字、そして陸軍大将の名前が刻まれており、陸軍大将から寄贈された常夜灯と思われます。

鳥居を過ぎて、参道を行くと阿吽のほっそりした狛犬が建っています。

境内

阿吽の狛犬

 その隣に、この神社のシンボル的な龍の絵馬、その先に手水舎があり、直ぐ奥に拝殿があるという狭い境内です。

龍の絵馬が見受けられます。

手水舎

手水舎と奥に拝殿

 そして拝殿です。拝殿は弘化二年(1845)青山火事と呼ばれる火災により焼失しましたが、その2年後、再建され今日に至っています。

拝殿

拝殿の上部に左三巴の神紋

 拝殿の天井には龍が描かれており、これは日本洋画家の先駆、高橋由一日本画最後の作で、港区指定文化財となっています。尚、拝殿の内部は、開放されており、社務所に声をかけて中に入ることが出来ます。

拝殿内部

 幕末から明治時代に活躍した油絵画家として知られる高橋由一〈ゆいち〉が、本格的な油絵制作に取り組む以前の若い時代の作です。狩野派の様式を基礎とする水墨技法によって描いた数少ない現存作品の一つとして貴重です。

広尾神社拝殿天井墨龍図

 拝殿天井のほぼ全体にわたる大きな画面には、水墨の線と濃淡のぼかしを巧みに活かし、頭から尾の先までを円状にくねらせながらその姿を現わす一頭の龍が、生き生きと描かれています。

図中には、「藍川藤原孝経拝画」の署名と「藍川」の印章(朱文方印)が見られます。藍川は、近代日本洋画最初の画家として歴史的な評価をうける高橋由一(1828-94)が、絵画学習の基礎として狩野派の様式を学び、その画法によって水墨画を描いていた時期に使用していたものです。

 由一が狩野藍川孝経の落款を残す現存作品は極めて稀であり、この点でも本図は貴重といえます。

 また、拝殿の天井図の部屋には三巴の太鼓が置かれています。大正15年奉納されたようです。

三巴の太鼓

その奥に神殿がありますが、中には入れません。

神殿

 拝殿の前には、「広尾稲荷拝殿天井墨龍図」の説明の掲示板があり、拝殿の横が御神木です。

天井墨龍図の説明 

 前述の青山火事で社殿が焼失した際、御神木も内部が焼かれましたが、外皮が残りこうして再生したようです。

御神木

 境内には、稲荷社の祠が置かれています。

稲荷社

イタチみたいな親子も祀られています。

イタチの親子

社殿左手には神輿庫などが並んでいます。

神輿庫

 そして、本殿裏手の道路に面したところに3基の庚申塔があります。方形角柱の笠塔婆型で、塔身が太く、堂々としています。庚申信仰が全国的に盛行している時代の産物のようです。わたしの住む多摩地区にも多くの庚申塔がありますが、この地域も例外ではなかったことが分かります。

3基の庚申塔

庚申塔の説明

 

 書道の個展のついでの参拝でしたが、このような小さな神社にも、由一の「広尾稲荷拝殿天井墨龍図」や庚申塔など思いがけず見るべきものがありました。やはり足を運べば 得るものがあるようです。

 

最後に御朱印ですが、社務所から戴きました。

社務所

御朱印

参考:東京都神社庁 公式ホームページ

   港区立郷土歴史館ホームページ

   境内の掲示

                      おわり