先日、大学の同期会が品川区、大崎で開かれましたが、そのついでに居木神社に参拝しました。前回に続いて、また、ついで参拝となります。
大学の同期会は、昨年オンライン懇親会でしたが、今年はリアル懇親会です。コロナ禍以来3年ぶりで、例年15,6人程参加しますが、今回は10人と少なめでした。
わたしもコロナ禍以来、多人数の懇親会は、初めてでしたが、旧交を温めることが出来ました。コロナの感染経験者も何人かおりましたが、無事終わって良かったです。
居木神社(いるぎじんじゃ)は、この同期会の会場のホテルから近くにあります。
JR大崎駅西口から出て、2,3分の所に参道の入口、社号標が見えてきます。
居木神社には、出入口の鳥居のある個所が3か所ありますが、この社号標のある通りが表参道のようです。
表参道は、ビルの建設中の細い道を通り、上り坂を進むとその先に石段と鳥居が見えて来ます。
そして、参道途中の居木神社の鳥居の手前にあるのが、かつての別当寺の観音寺です。ここは見る予定はなかったのですが、少し寄り道しました。
観音寺は、天台宗寺院で大阿闍梨法印光海が開山したと伝えられます。当所、目黒川居木橋の南方にあったものの、江戸時代初期に当地へ移転したと云います。目黒川の氾濫を避ける為に元禄年間、現在の高台の地に移転をしました。居木神社と同じ道を辿っています。
本尊仏は、如意輪観世音菩薩でしたが、滅罪と祈願と分つに至って別堂を設け、現本尊仏の釈迦如来を安置と云いますから、来年にでも如意輪観音などの仏像を拝観したいものです。
更に石段を上って行くと、居木神社の鳥居から境内です。
結構、高台に上がって来た感があり、居木神社が目黒川の氾濫に苦しみ、観音寺と同じように遷座した歴史を伝えています。
鳥居の両脇に阿吽の狛犬が出迎えます。玉持ちと子持ちの組み合わせで、迫力があります。
すぐ左手に手水舎があり、ユーモラスにも狛犬の口から水が流れています。残念ながらコロナ禍のせいか柄杓がありませんでした。
そして、表参道の正面に社殿です。
居木神社の創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によると、鎮座の地は現在の山手通り居木橋付近に位置していたようです。
江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために現在の社地に動座されました。その折、村内に鎮座の、貴船明神、春日明神、子権現、稲荷明神の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」としました。
明治5年、社号を「居木神社」と改め、続いて村内鎮座の稲荷神社、川上神社、本邨神社の3社6座が合祀されます。
昭和8年に改築された社殿は、東京大空襲にて焼失、その後昭和53年に現在の社殿に再建されました。東京大空襲にて焼失後は、境内社の厳島神社に御祭神を遷して、仮殿としていたと云います。
御祭神と御利益は以下のとおりです。
配祀:
高龗神(たかおかみのかみ)
祈雨・止雨
大國主命 (おおくにぬしのみこと)
商売繁盛・社運隆昌・事業発展・営業向上
倉稲魂命 (くらいなたまのみこと)
農業・商売繁盛・開運・文具・本
天兒家根命 (あめのこやねのみこと)
学業成就・試験合格
菅丞相(菅原道真)(かんのじょうしょう)
学業成就・試験合格
合祀:
手力雄命 (たぢからおのみこと)
淀姫命 (よどひめのみこと)
大山咋命 (おおやまくいのみこと)
境内には、江戸時代の石像物がいくつか残っています。北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれも寛政4年(1792)に奉納されたものです。
境内には他に、神輿庫などが並んでいますが、「御由緒略記」の説明掲示板の下には、色々な石像が置かれています。
そして、社殿の左手に末社の稲荷神社、厳島神社があります。鳥居の先に朱色の奉納鳥居があります。
右手にあるのが稲荷神社です。
左手にあるのが厳島神社です。
この厳島神社は、居木神社の末社ですが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として祀られていました。後に居木神社が引き取り、末社としたものです。普段は内部を見る事ができませんが、正月、文化の日に合わせて一般公開されます。
彩色が施された昇龍・降龍の彫刻装飾などを見ることが出来るようです。
末社2社の右手に「道祖神」があります。村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神です。
表参道の鳥居の手前、石段の左手に、「居木橋遺跡」の説明掲示板があります。
居木橋遺跡は、居木神社の南方に位置する台地上にあり、今から約5,6000年前、 縄文時代前期の貝塚群を中心とした遺跡で、竪穴住居跡も多数確認されており、古代から当地に人々の生活があった事が分かります。
貝塚は、縄文時代の人々が捕って食べた貝の殻や土器などが堆積したもので、当時の生活を知る重要な手がかりを現在の私たちに提供してくれています。
また、居木神社は、「居木神社と居木橋貝塚」の名称で「しながわ百景」に選定されています。
今回の居木神社は、大学の同期会のついで参拝でしたが、目黒川氾濫の歴史、そして貝塚など縄文時代の遺跡に触れることが出来ました。この地域が古代より日本人の生活があったことを知り、同じ品川区の大森貝塚もここから近いことが分かります。
東京の中心に位置する神社、この居木神社のように、東京大空襲による焼失を経験し見事に再建しています。立派というほかありません。
高台にあり広いこの居木神社は、とても心地よい感じがします。神社の方の対応も穏やかで、質問にも丁寧に応えて戴きました。有難うございます。
最後に御朱印ですが、授与所から戴きました。月替り御朱印、飛び出す御朱印など数多くの限定御朱印があるようで、色々努力をされているのが伝わります。
社務所前には御神木の銀杏の木があります。
参考:居木神社 公式ホームページ
境内の説明掲示板
おわり