令和五年の始まり

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

令和五年も始まり、初日の出、初詣、家族の集まりなどで過ごし、あっという間に正月も過ぎてしまいました。

令和五年稲城の初日の出  6時30分頃

 わたしの今年の目標ですが、何も決めずいつもながらの変わらない日常です。特に病気らしい病気もせず生きてきた訳で、世の中の歩調にそれなりに合わせ、平穏に暮らすことが一番です。

 今年の初詣は、年の初め一月一日に府中の大國魂神社に参拝しました。 

さすがに元旦で大変な人出でした。今年は、行動制限の無い正月ということで、人出が戻ってきているのでしょう。

いつも行くのですが、参拝の前に大國魂神社の御旅所(おたびしょ)を先に立ち寄ります。府中街道を挟んで少し離れた所にあります。御旅所とは、神社の祭礼で神が巡行の途中で休憩、宿泊する場所です。

紙垂(しで)も綺麗で正月らしさが伝わります。小さなお供え餅もありました。

御旅所

お供え餅

 扨て、大國魂神社の初詣は以前にも取り上げていますが、新ためて。大國魂神社は、大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。この大神は、出雲の大国主神と御同神で、大昔武蔵国を開かれて、人々に衣食住の道を教え、又医療法やまじないの術も授けられた神様です。俗に福神又は縁結び、厄除け・厄払いの神として著名な神様です。

 創建は、景行天皇41年(111年)と云いますから1900年も前のことです。

甲州街道沿いに大鳥居がありますが、その前に変わらずケヤキの大木が立っています。府中市ケヤキ並木は、有名です。

ケヤキの大木 

 大鳥居から参道に入りますが、大鳥居の前から既に並んでいます。道の左右にお祭りのように出店が立ち並びますが、その前だけ空けており、真ん中の列が拝殿まで続きます。

大鳥居前から並ぶ参拝者

ここから随神門、そして中雀門を通らなければなりません。随神門の前です。

随神門の前

 髄神門の左右の随神像は、俗に右大臣左大臣と呼ばれる豊磐間戸命(とよいわまとのみこと)、櫛磐間戸命(くしいわまとのかみ)という門の神様です。

門の神様 右大臣左大臣

そして中雀門へ向かいます。

中雀門前 やっと拝殿が見えます。

拝殿です。

拝殿

神紋は、すべてに菊花紋章を使っています。

菊花紋章

参拝してから社務所御朱印を戴きました。

御朱印

 直ぐに帰ろうと思いましたが、せっかく来たので少し見て回りました。

社殿西側

拝殿の裏手に屋根を同じくして本殿があり、その説明掲示板があります。

本殿裏

本殿説明掲示

 それによりますと、「大國魂神社は古くより武家の間で崇敬が篤く、鎌倉幕府を始め北条、足利氏も崇敬の誠を尽くしていた。慶長年間に、将軍徳川家康の命により社殿の大造営が行われた。この社殿は慶長11年に竣工しているが、正保3年の府中本町の大火で灰燼に帰している。現在の本殿は四代将軍徳川家綱の命により寛文7年に完成したものである。」ということです。

 本殿の後ろに、ご神木の大イチョウがあります。

イチョウ  いつ見ても見事です。

そして境内には、小規模な神社の末社が多数あります。

住吉神社、巽神社、水神社などです。下は、水神社の御神水です。

水神社 御神水

人が多くよく見ることが出来ないので、早々に帰りました。

 

 次の日に娘、息子の家族がやって来て新年会となりました。直ぐ近くの雷神を祀る竪神社にも参拝しました。

竪神社 雷神を祀っています。

 昨年末には、久しぶりにわたしの兄弟など11人が集まりましたが、家族の絆を深めた昨年末、新年でした。

 

 東京は、昨年から暖かく晴天の連続で、日本海側の大雪に苦しむ人たちに申し訳ない気持ちがします。札幌から東京に住んで半世紀、災害もなく東京が結局一番住みやすい気がします。

世界に目を向けるとプーチンウクライナ侵略から世界情勢がおかしくなりました。日本をはじめ各国がこぞって軍拡に舵を切っています。ウクライナ人の悲しみ、あとに引けないプーチン、この行方が世界平和、経済情勢のカギを握ります。結末がどうなるかは、誰にも分かりません。

 

最後に柴犬チロリです。いつもわたしの後をついてきます。平和な寝姿に癒されます。

正月の柴犬チロリ 13歳 感が鋭く直ぐ起きます。

                                                                                おわり