東京都日野市の散策が続きます。今回は、法華宗の寺院、善生寺(ぜんしょうじ)です。
山号を大久山と号するこの寺院は、正保2年(1645)、豊田村を領有する旗本、大久保勘三郎忠良が、前年に亡くなった娘の追善のために建立した寺です。大久保一族が信仰していた越後法華宗総本山本成寺の末寺として開創されました。
前回の若宮神社から程なくの所に山門があります。山門の前から寺院の高台に大仏が見えます。釈迦如来大仏です。
寺院を拝観してから行くことにします。
先ず善生寺の山門から入ります。
山門前の門柱に「至心勧請釈尊と十大弟子」とあります。門柱上の左右に「毘沙門天像」、「持国天像」が配置されています。
山門の直ぐ後ろに、釈尊像と十大弟子の尊像です。山門から迫力ある尊像が並んで驚きます。
その奥にまた門のような物が現れますが、冠木門(かぶきもん)です。冠木門の奥に本堂が見えますが、右側の「大仏参拝所」に行ってみます。
大仏の御手のインパクトのある像です。大仏の御手から型をとったもので、同じ大きさのようです。印相は、右手がおそれを除く施無畏印、左手が願いを叶える与願印です。お釈迦様に最も多く用いられている印相です。また、手のひらに法輪が画かれています。
奥の鐘楼堂の横は池泉庭園になっています。池には鯉がいますが、野鳥によって被害にあうので、ネットで覆っているようです。
鐘楼は、昭和48年、書院、庫裡の新築に合わせて建造されました。
そして、戻って、本堂の方へ行きます。現在の本堂は、文化14年(1817)に再建されたものです。扁額は、善正寺です。
本堂の前には、仏法を守護するため、忿怒の表情をしている不動明王像と愛染明王像です。
本堂は、東に庫裡と繋がっています。その前に七福神が船に乗っています。
境内の東側は、客殿です。
そして、境内の西側に戻りますが、法華宗の開祖、日蓮大聖人の立像などが並びます。
その隣に平成10年に建立された大黒堂があります。善生寺では、日野七福神の一つとして、真っ黒な大黒天を祀っています。
大黒堂の左に相輪橖(そうりんとう)があります。仏塔の一種と考えられ、1本の柱の上部に相輪を取り付けたものです。平成14年、日蓮大聖人立教開宗750年を記念して建立されました。
その向かい側に、豊田地区教育の発祥の地、寺子屋、小学校跡地と刻まれた石碑あります。明治から昭和に、豊田学校があり、地域の子供達の教育の場にもなっていたようです。
石碑の前に牛、梟がおり、二宮金次郎の像もあります。いずれも学問と関係があります。
そして、いよいよ本堂の裏の高台にある釈迦如来大仏を拝観に行きましたが、さすがの迫力です。
平成7年、「大きな悟りを得たお釈迦さまの教えが、大仏さまを通じてすべての人に伝わり、自然に大きな功徳をいただけますように」と祈り開堂、開眼大法要を行いました。丈六(4.85m)を越え蓮華台を含めると6.5m、青銅製で総重量8トンの大仏です。
善生寺開創350年と釈迦生誕2560年を記念して建立されました。
大仏からの眺望です。手前が寺院。
大仏の下に「釈迦堂」があります。大仏の基壇を兼ねたお堂で、中にも仏像が多数あり華やかな印象です。
中央に大仏の原型となった釈迦如来像を祀ってあります。これは木造ですが、これを拡大して大仏を鋳造したようです。
そして釈迦堂を後にして、寺務所にて御朱印を戴きました。
大仏は、境内からも、外部からも拝観することが出来ます。
この寺院は、山門から仏像が並び、大仏参拝所など見どころ満載でした。再建された本堂、新しい大仏、釈迦堂、大黒堂などの配置、構成などよく考えられたものとなっています。機会があればもう一度拝観したいものです。
参考:釈迦如来大仏の寺 善生寺のパンフレット
おわり