前回の川崎市影向寺(ようこうじ)から、北へ数分の所に野川神明社があります。
野川神明社の創建は不明ですが、縄文時代より定住が進んでいた地域であることから、古くの創始が考えられています。
江戸時代には、「韋駄天社」と称されていたようで、明治3年に、社号を神明社と改められました。明治41年に神明社、子神社、八坂神社が併合し、神明社となり、野川の総鎮守となりました。
御祭神は、
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)
大巳貴命(おおなむちのみこと)
そして、韋駄天神(いだてんのかみ)です。
野川神明社の入口です。
一の鳥居の前に社号標があります。鳥居と共に1967年建立。
鳥居に入ると直ぐ左に手水舎がありますが、少し変わっています。4頭の狛犬が「禊祓(みそぎはらえ)」を支えているのです。鳥居を支えている亀を早稲田の「穴八幡宮」で見ましたが、この狛犬も初めて見ました。
手水舎を横から撮ると、後ろに狛犬がいます。
社殿の方に行きます。社殿は、2000年に建立されています。拝殿の前にいつもの阿吽の狛犬がおります。そして、その左の狛犬の、左にいる像は、この神社の御祭神でもある韋駄天尊像です。
そして、韋駄天像です。
韋駄天の像は、2012年に建立されました。この神明社のように韋駄天を御祭神としている神社は、日本全国でも極めて珍しいと思います。
因みに世田谷区の観音寺で韋駄天像がありましたが、このような像でした。
そして、拝殿です。扁額の文字は野川神明社で彫刻も立派です。
本殿です。社紋は、左三つ巴です。
境内には絵馬が奉納されていますが、その中の絵馬には「韋駄天」が描かれているのもあります。
韋駄天は、「韋駄天走り」の語源となる、足の速い神として知られています。近年、盛んになった市民マラソンの選手などが完走祈願などに訪れるようです。
境内を見て回ると、参道の一番奥まったところに大きな二の鳥居があります。
境内には、社殿御造営記念碑など幾つかの石碑があり、また、古木が多く林の様で、河津桜も咲いていました。
その他境内には、参集殿、神輿庫、社務所などの建物があります。
そして、この野川神明社は、弥生時代の遺跡が発掘されています。1979年、境内に会館が建てられる際、その敷地内を発掘調査した結果、今から約1800年前(弥生時代後期)の墓地であることが判明しました。
この墓は、遺体を収めた穴を中心に、周りを幅1m前後の溝で方形に囲って造られていることから「方形周溝墓」と呼ばれています。4基発掘されており、その北側には1m前後の穴の中に土器が、3つ発見されました。この土器は「久ケ原(くがはら)式土器」と呼ばれる弥生時代の壺を利用したもので、バラバラになった骨を入れた壷棺と推測されています。
このように、影向寺遺跡と同様この辺り一帯が縄文、弥生時代から定住が進んでいたことが分かります。
御朱印ですが、神職の方は常勤していないらしく、残念ながら戴くことは出来ませんでした。
参考:野川神明社ホームページ
おわり