新緑の眩い「豪徳寺」 招き猫と井伊直弼の墓のある寺院

 以前、世田谷区の散策で「世田谷観音」や「松陰神社」を参拝しましたがその続きで豪徳寺です。

豪徳寺は、東急世田谷線の「宮の坂駅」から直ぐの所にあります。小田急線の「豪徳寺駅」からも遠くはありません。

 

豪徳寺の歴史

 豪徳寺は、世田谷城主の吉良政忠が文明12年(1480)に、亡くなった伯母の菩提のために建立した「弘徳院」を前身とします。

 寛永10年(1633)に彦根藩世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺として取り立てられ、彦根藩2代藩主の井伊直孝法号に因み豪徳寺と改称しました。その後、直孝の娘・掃雲院らによって、江戸菩提寺として伽藍を整え、曹洞宗の禅寺として現在に至ります。

新緑眩い境内へ

 山門の前に阿吽の狛犬を柱上に置いた門があります。山門が遠くに見えます。

山門の前の門
阿吽の狛犬 神社みたいです。

「大谿山豪徳寺」と書かれた寺号標です。大谿山(だいけいざん)は山号

寺号標

山門まで参道が延び、よく整理された綺麗な松林が続きます。

山門までの松林

山門の前に、「都史跡 井伊直弼」の石柱と豪徳寺の歴史が書かれた説明掲示板があります。

石柱

豪徳寺の歴史の説明掲示

 山門です。山門の扁額には「碧雲関」という文字が書かれており、「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味すると云われています。

山門の扁額

 仏殿まで真っ直ぐ参道が続きます。両脇の新緑が眩く清々しい気持ちになります。

参道

 仏殿前の常香炉です。阿の狛犬が上に乗り、三邪鬼が支えるという珍しいものです。

常香炉

 常香炉には、豪徳寺の寺紋が大きくあります。彦根藩の井伊家の菩提寺なので、橘紋の中でも「彦根橘」と呼ばれるものです。

左手には、新緑の中に建つ絵になる三重塔が見えます。

三重塔

 平成18年(2006)に落慶、高さ22.5mです。釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されています。

 

見事な仏殿、法堂

そして仏殿です。

仏殿

篆額「弎世佛」

 延宝5年(1677年)建立。仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像です。
篆額「弎世佛」の内側にも「大谿山」の扁額があります。

「大谿山」の扁額

 仏殿は、平成2年(1990)に世田谷区指定有形文化財に指定されています。

仏殿の東の側面です。仏殿は本当に大きな建屋です。

仏殿の東側面

仏殿の前に境内案内図があります。

境内案内図 分かり易い案内図です。

仏殿の廻りに牡丹が咲き誇っています。もう散り頃ですが。

牡丹

 この仏殿の裏に法堂(本堂)があります。左側の通路から行きます。

左側の通路

 法堂は、昭和42年(1967年)に造営されました。法堂には聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置され、さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られています。

法堂 屋根の傾斜が印象的です。

法堂の西側に、昭和12年に建立された近代的な納骨堂があります。

納骨堂

壮観な光景 招福猫児(まねきねこ

ここから戻って、仏殿の西側の赤門を通って、楽しみな招き猫の方へ向かいます。

赤門です。井伊家の上屋敷にあった長屋門を、井伊家から寄進され、元々東門にありましたが、現在の場所に移築されています。

赤門

 赤門から直ぐに招福殿です。招福殿の前の黒猫と記念写真を撮る人が多いです。

招福殿の門

門の前の招福猫児(まねきねこ

招福殿

 招福殿の脇には、願が成就したお礼として、招福猫児が奉納されるようになり、現在は一面招き猫という、壮観な光景です。

 

如意輪観音さまも思惟にふけっています。

如意輪観音さまと招福猫児

 招福殿の直ぐ南に三重塔が見えますが、塔を囲うように十二支が飾られています。その「子(ねずみ)」のところに、招き猫の姿があります。豪徳寺では仲良く一緒に過ごしているようです。

ねずみと招き猫の彫り物 

 豪徳寺は、「招き猫発祥の地」と云われます(ほかにもあるようです。)が、招き猫が彦根藩井伊家と豪徳寺を結んだ伝承があります。
 ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。
寺で過ごしていると、突然雷が鳴り、雨が降りはじめました。雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。

 その殿様が、彦根藩2代藩主の井伊直孝でした。
豪德寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興したということです。可愛い猫のいい話です。

 

井伊直弼のお墓 井伊家墓所

 扨て、境内に戻って、山門の直ぐ東側には梵鐘があります。

梵鐘

 延宝7年(1679)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造された、美術的にも高い評価があり、平成12年(2000)に世田谷区指定有形文化財となっています。

その右側に、久昌殿そして地蔵堂があります。久昌殿は、豪徳寺開基、井伊直考公の戒名に由来して、法事法要など各種行事に利用されています。

久昌殿

 地蔵堂は、令和2年(2020)落慶され、地蔵菩薩半跏像が安置されています。地蔵菩薩の半跏像は珍しいと思います。

地蔵堂

 そして山門から入った左側に、井伊家墓所がありますが、その前に六地蔵が出迎えます。

六地蔵

ここから見る三重塔も新緑の中で映えます。

三重塔

 墓所の入口に、「国指定史跡 彦根藩主井伊家墓所」の説明掲示板が在ります。

世田谷区教育委員会による説明掲示

 墓所には、幕末の大老13代直弼の墓、豪徳寺中興開基2代直孝の墓をはじめ、歴代藩主や正室たちの墓が並んでいます。平成20年(2008年)に国史跡に指定されました。

墓所の中に入ります。

墓所の中

 墓所の北西角に豪徳寺中興開基の直孝の墓があります。

直孝公墓所

 そこから南西に直進したところに直弼の墓がありますが、途中に井伊家一族の墓がずらりと並んでいます。

井伊家一族の墓

いずれも墓石は、今では見られない唐破風笠位牌型で造られています。

1番奥に大老直弼の墓があります。

直弼公墓所の看板と説明掲示

直弼公墓所

 

御朱印と招き猫

最後に御朱印です。

御朱印は、仏殿の右側にある寺務所で戴きました。招き猫が迎えます。招き猫も買い求めました。

寺務所

御朱印

招き猫

寺務所と続いて右側に延びる庫裡が在りますが、ここも綺麗に管理されています。

庫裡

 

 境内の全てが綺麗に管理されており、新緑の草木、花々など植物と相まって本当に素晴らしく、心が洗われるような寺院でした。

平日でしたが結構参拝者が訪れており、特に中国人、欧米人が多かったです。彼らはこの寺院を本国で調べて来ているようで、この寺院に満足したことでしょう。

 

参考:豪徳寺公式サイト

   境内の豪徳寺、世田谷区教育委員会による

   説明掲示

                  おわり