今回は、世田谷区「豪徳寺」に続いて、東急世田谷線「宮の坂駅」の反対側にある、「世田谷八幡宮」です。
御祭神と御由緒
御祭神は、
応神天皇(おうじんてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう) です。
そのはじまりは、平安時代末期の寛治五年(1091)、源義家(八幡太郎)が東北地方で参戦した「後三年の役」からの帰路、豪雨に見舞われこの宮坂で進めなくなったことに端を発します。
「後三年の役」の勝利は、信仰する八幡大神のおかげであると感謝した義家は、豊前国(大分県)にある宇佐八幡宮の御分霊を勧請し、祀りました。それが世田谷八幡宮の誕生と云われています。因みに宮坂の地名は社(お宮)の脇に坂があったことに由来します。
後に、戦国時代の天文15年(1546)に世田谷城7代目城主の吉良頼康が、社殿を再興したことが創建とも考えられています。
世田谷八幡宮は、宮の坂駅から道路の右手に程なく看板が見えて来ます。
そして、朱色が眩しい第一鳥居です。奥に第二鳥居が見え石段が続いています。境内案内の看板もあります。
第一鳥居の右手直ぐに、境内社の「厳島神社」があります。境内案内に拠りますと、本殿まで相当ありそうなので、先に厳島神社を参拝することにします。厳島神社の入口に鳥居があります。
入口から少し行くと、左側に厳島神社の祠があり、その手前にもう一つ鳥居があります。
厳島神社の祠は池に掛かる橋の先にあり、橋を渡って参拝します。
この池には、滝のような物もあり、亀や鯉がたくさんいて心が和むような感じがします。
社殿へ
参道に戻って、二つ目の鳥居をくぐり、社殿の方へ石段を進みます。
社殿が見えてきます。参道の両側には、鬱蒼とした林が続きます。
参道の左に手水舎です。
花手水です。
参道の両脇に阿吽の狛犬です。両方の子犬の親に甘えるような姿が、微笑ましく可愛い。
そして、いよいよ拝殿です。平日なので参拝者は豪徳寺と違い静かで、殆どいないようです。
境内社 招魂社と高良神社
社殿の左側の奥に「招魂社」という境内社があります。
祠の前の狛犬の子供が怖い顔していますが、何とも愛おしい感じがします。子供は親獅子の尻尾を噛み、また毬を噛んでいるように見えます。初めて見ました。
世田谷招魂社は日露戦争、太平洋戦争の戦没者を祀ったものです。
さらに右奥に「高良神社」という境内社があります。説明掲示板によると、境内、氏子区域に散祀されていた天祖神社など8神社を整理合祀された神社のようです。
奉納相撲
境内の中ほどの右手に土俵があります。古代ローマのコロシアムあるいは遺跡を思わせるような石と土の造りです。
観客席から土俵を見下ろすように設けられており、ここで奉納相撲が行われるようです。奉納相撲とは、神仏に奉納するために、社寺の境内で催す相撲のことで、秋季大祭に現在も行っているとのことです。
またここは、「江戸三相撲」が行われた場で、取組の勝敗によって、来たる年の稲作の吉凶を占ったそうです。
尚、拝殿の傍に、力石が並んでいますが、やはり相撲と関連していると感じました。
最後に御朱印です。拝殿の左手に授与所があります。
御朱印を頂こうとしたところ、「御朱印はお受けしておりません。」という貼り紙。残念と思ったのですが、最後まで読むと、「ご希望の方は、書置きの御朱印を下の引出しよりお取り下さい。」とのことで一安心。書置きの御朱印を戴きました。
御朱印にも相撲の絵が押されています。初穂料は戻って、本殿の賽銭箱へ。
世田谷総鎮守であるこの世田谷八幡宮は、境内が意外に広く、大木が多く緑の中の神社といった感じで、清々しく心が癒されます。
神社に、土俵のあるところを時々見かけますが、ここは、今も奉納相撲を続けているということで、土俵も観客席がありコロシアム風で立派でした。
三つの境内社もそれぞれ特徴があり、静けさの中に綺麗に整理された感じでした。ここもまた訪れようと思われるような神社でした。
境内の説明掲示板
おわり