前回の世田谷区「森巌寺」の直ぐ近くに「北澤八幡神社」があります。北澤八幡神社は、「北澤八幡宮」と称する事も多く、古くから下北沢の鎮守、村の中心として、崇敬を集めた神社です。
高台の広い境内
森巌寺の山門から延びる通りを行くと、左手に鳥居と社号標が見えます。
社号標の横に「冬の晴れた朝に富士山が見えます。」の立札があります。
参道を進みます。石段の先には拝殿が見えますが、石段は二段になっています。最初の石段を上った先が意外と広い境内で、神楽殿などがあります。
右手に神楽殿があり、駐車場にもなっています。
左手には神輿庫です。
二つ目の石段を上り拝殿に向かいます。
石段を上り切って左手に、手水舎がありますので身を清めて拝殿に向かいます。
そして、拝殿前の阿吽の狛犬です。古いようで、旧本殿が再建された際に奉納されたようです。
拝殿です。社殿は昭和53年(1978)に造営されたものです。
七澤八社随一正八幡宮
御祭神は、
応神天皇(おうじんてんのう)
比売神(ひめかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
仁徳天皇(にんとくてんのう)です。
御由緒です。
室町時代中期の文明年間(1469〜87)、当時の世田谷城から見て鬼門に当たるとして、城主吉良頼康氏の勧請により創建されました。
世田谷には「七澤」の村があり、8社の八幡宮がありました。北澤八幡神社は、8ヶ所の中でも随一の神社とされて、「七澤八社随一正八幡宮」と称されています。これは、
拝殿の扁額に「七澤八社随一正八幡宮」の文字が見えます。
七澤とは、この地域の「北澤・上馬引澤・下馬引澤・野澤・奥澤・深澤・池澤」の地名を指します。
富士山が見える神社
拝殿の前に、江戸時代に富士山から運ばれた溶岩を使用して造った小さな富士塚のようなものがあります。説明の立札に、「富士山遥拝所 江戸時代に富士山から運ばれた溶岩を使用していています。」と書かれています。
そして、その富士塚の傍に社号標の横にあった文言の立札もあります。
冬のよく晴れた朝は、実際に富士山を眺望する事が出来るようですが、今の季節は無理でした。それにしても旧別当寺の「森厳寺」の40mの富士塚といい、この神社の富士山遥拝所、関東各地の富士塚など、江戸時代の人は、本当に「富士講」という信仰が篤かったと思われます。
数多い境内社
境内には多くの末社が並びます。祠の傍に御祭神と御利益など丁寧な説明立札が立てられていて分かり易いです。
社殿の左側の奥から順に参拝します。先ず長栄稲荷社ですが、朱色の鳥居が設けられています。
その右側に愛宕稲荷神社、野屋敷稲荷社、弁天社と続きます。
そして「産土社(うぶすなしゃ)」です。八幡神社創建以前の土地の神様(龍神様)が祀られているようです。見事な彫刻です。
また、拝殿の右奥にも末社は二つありました。手前が「高良玉垂社(こうらたまだれしゃ)」です。
そして、右隣りに円海稲荷社です。
境内には、可愛い動物たちの置物がありました。
下北沢の住宅街の中にある北澤八幡神社は、古くから様々な信仰を受けつつ地域に密着してきた神社であることがよく分かりました。富士山の見える神社として、見所も多々あり、境内は結構広く開放感があります。また、末社も多く丁寧な説明札などよく管理されていると感じられました。
おわり