先日、東京駅近くで会社員時代の同期会がありましたが、その機会に一度行きたかった築地本願寺を訪れました。近くに「波除(なみよけ)神社」がありましたので、先に、その神社を参拝しました。
築地本願寺は、日比谷線の「築地駅」から地上に上がると直ぐですが、波除神社は、築地本願寺を通り過ぎ、築地場外市場を抜けた先にあります。
築地本願寺前の通りです。この先を左に行くと波除神社です。
築地場外市場は、コロナ収束で賑わいが戻りました。特定の店に行列が出来ているようです。
波除神社へ
賑わう築地場外市場を抜けると、波除神社の入口の鳥居が見えます。ここまで来ると、一気に人通りが少なくなります。
波除神社の鳥居です。後ろに一対の大イチョウが見えます。
鳥居の脇の社合碑です。
鳥居をくぐり境内に入ると、直ぐ奥に拝殿が見えます。
拝殿へと進みます。両脇の水色の天水桶が目立ちます。
御由緒
御祭神は、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)です。食物や穀物を司る五穀豊穣の神様で、稲荷神と同一です。
江戸時代の明暦の大火後、当時はまだ江戸湾が入り込んでいて、築地の埋め立て工事が行われました。しかし、荒波の影響で工事は難航しました。その最中のある晩、光を放ち海面を漂う稲荷大神の御神体が見つかり、万治2年(1659)、現在地に社殿を建て祀りました。
その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、「波除稲荷」と尊称して厄除けなどに信仰を集めることとなったのです。
そして、獅子の巨大な頭が奉納されるようになり、それらを担いでまわる「つきじ獅子祭」が例祭となり、築地の鎮守として崇敬されてきました。境内には築地らしく、魚介類などを感謝し、霊を慰めるための塚や碑が多くあります。
神紋が二つあります。拝殿正面の紋幕に「変り抱き稲紋」、賽銭箱には「左三つ巴」の紋が見えます。
獅子登場
拝殿の内部ですが、正面にやや小さい一対の獅子頭と両側に金梨地塗りの一対の獅子頭が鎮座しています。
ひときわ目立つ、拝殿両脇の水色の天水桶です。
そして、拝殿の右側に「獅子殿」があります。「つきじ獅子祭」の元ともなった「厄除天井獅子」が収められています。江戸末期に焼失しましたが、平成2年に再興されたものです。
日本一の雄の大獅子、高さ2.4m、幅3.3m、重さ1tと云いますから迫力あります。
獅子殿の向かい側に摂社の「弁財天社」があります。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、学芸の才能と豊かな財をなす福徳の女神です。俗に弁財天と称することから弁財天社と呼ばれます。中に、「お歯黒獅子」が収められています。
また、この弁財天社の下部は、水の神でもある御祭神に因み、手水の施設を組み込んだ造りになっています。神社の手水舎と兼ねているようです。
つきじ獅子祭で、雄獅子の「厄除天井獅子」と雌の大獅子「お歯黒獅子」が担がれた写真です。(波除神社のHPより)
6月に行われるようですが、壮観な光景です。
御神木ですが、お歯黒獅子の手前のイチョウの大木です。「御神木 枝垂れ銀杏」との立札があります。
そして、境内の左側(弁財天社の右手)に境内社、魚介類の塚、十二支の石碑などがずらりと並んでいます。
天照大神、大国主命、少彦名命、天日鷲命の四神をお祀りしている末社です。
七福殿です。毎月七日の七福神参りの際に御神像を安置する社殿です。
御由緒は定かではないようですが、おきつね様と石の祠です。
築地ならではの塚
そして築地ならではの魚介類の塚が並びます。
海老塚
玉子塚
鮟鱇塚
活魚塚
昆布塚
境内の左側奥まで行くと本殿も見えます。
十二支の石碑もズラリと並びます。
子,丑から。
途中省略して。
戌,亥
境内の右側にも「魚がしの碑」と「吉野家の碑」があります。吉野家の創業店が築地市場にあったようです。
魚がしの碑、吉野家の碑
拝殿の右側に授与所がありましたので、御朱印を頂きました。
授与所です。
2種類の御朱印です。
参拝記念の「木の栞」も戴きました。
所感
境内はそれほど広くありませんが、築地らしい魚介類の塚、迫力満点の巨大な獅子頭など、それなりに見所の多い神社でした。6月には、コロナも一段落した3,4年ぶりの盛大なる「つきじ獅子祭」で賑わうことでしょう。
府中のくらやみ祭、浅草の三社祭も大変な賑わいでした。G7サミットも昨日無事終わり、やっと日本も平常に戻ったようです。
参考:波除神社ホームページ
境内の説明掲示板
おわり