目黒区「中目黒八幡神社」の豊かな自然と神事

 東京都目黒区の寺社散策が続きます。今回は、「中目黒八幡神社」です。日蓮宗寺院正覚寺を参拝後、徒歩で南方向へ数分の所にある八幡神社向かいます。

 

中目黒八幡神社の由緒

(頒布された資料より)

 神様と仏様が一体と考えられていた神仏習合の時代、中目黒八幡神社は上目黒にある寿福寺が管理していました。しかし、寺が全焼したため、古い資料が焼失しています。

当時の村指出銘細帳には、宝歴13年(1763)と弘化2年(1845)に、「上目黒村別当寿福寺の末に上目黒村鎮守八幡宮」の記載があり、氏子数400戸、中目黒村境内地539坪の宮有地があると記載されています。
 また、文政8年(1825)の『新編武蔵風土記稿』には、「中目黒八幡宮之50坪、村の西方小山の上に社あり、五尺四方にして、東北鳥居、村の総鎮守なり。祭礼九月十八日十二座の神楽を奏す。」と記載されています。

御祭神: 主神 誉田別命(ほんだわけのみこと)

       (第15代応神天皇

           天照皇大神(あまてらすおおかみ)を合祀

 境内に説明書きもありました 。

 

鳥居から境内へ

 中目黒八幡神社の入口です。左側のクスノキの大木が、圧倒的な存在感です。

 

 

 右側に八幡神社の社号標。

 

 一揖して鳥居を潜り境内へ入ります。

 

 参道は真っ直ぐ延び両脇には大きな木です。クスノキケヤキと思われます。

 

 両脇の石灯籠の先に社殿への石段です。

 

 石段前の左側にさざれ石」があります。石灰分が溶け地下の小石を結び付けて巌となった天然記念物です。国歌「君が代」の歌詞に使われ、その名が知られています。

 

 右手には湧き水の神泉があり、手水鉢で身を清めます。

 

 石段を上がり社殿へ。

 

 右前方の社殿が目に入ります。社殿の周りにも立派な大木が何本も聳(そび)えて壮観です。

 

 社殿の左側にも手水舎があります。ここでも湧き水が流れているようでお清めします。その右にクスノキの大木です。

 

社殿

 拝殿です。緑に囲まれた落ち着いた雰囲気です。扁額は八幡神社、社紋は左三つ巴。

 

 社殿を右側から。

 

 社殿の右側に社務所がありますが、その前に御神木のクスノキです。

 

 拝殿を振り返ると、正面に「神楽殿」です。昭和40年(1965)に造られた神楽殿で、例大祭には江戸時代から続く「十二座神楽」が奏(そう)されるようです。

 

 拝殿の左側に三峯神社などの案内板がズラリと並んでいます。分かり易く有り難いです。

 

 拝殿の左側を行くと本殿、幣殿が拝めます。

 

境内社

 その左側に三峰神社があり少し登ります。奥秩父の「三峯神社」から勧請されたようで、幟にオオカミ信仰の絵が描かれています。

 

 三峰神社です。

 

 左奥には「十二座之神楽塚」と刻まれた石碑などがあります。

 十二座神楽とは、各地区の神社の例祭等で天下泰平、五穀豊穣、無病息災などを願って奉納される神楽です。

 

 社殿の左手奥にもクスノキケヤキの大木が何本もあります。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社務所にて頂きました。

社務所

 

御朱印

おわりに

 今回訪れた中目黒八幡神社は、最初の鳥居の入口から、クスノキの大木が壮観であり、緑に囲まれた神社という印象でした。参拝者も比較的多く、地元の方でしょうか、気軽に立ち寄って参拝している雰囲気で、地域に密着した存在であると感じます。

 都心でありながら、境内は意外に広く湧水も豊富のようです。社殿へ行く前から湧水の神泉、さざれ石、ケヤキクスノキの大木と見所が満載でした。社殿は、本殿、弊殿、拝殿で構成された権現造りの神社建築様式です。周囲にクスノキの御神木などが守っているかのように緑と調和した社殿で心地よい感じでした。境内社三峯神社があり、八幡信仰と三峰信仰にも関係が深いようです。

 中目黒の総鎮守である中目黒八幡神社例大祭は9月末に行われたようです。社務所で戴いた奉納プログラムだけ拝見すると、宵宮祭から各支部の演技などから始まって、翌日の例大祭の「神輿渡御」、「江戸の里神楽」とびっしり組まれており、さぞ賑やかだったことと想像出来ます。1度は拝見したいものです。

江戸の里神楽(2022年)

 

 この神社は居心地がよく爽やかな気持ちでとても落ち着く気持ちになれました。有難う御座います。中目黒八幡神社を後にし、次の目的地に向かいます。

                                  以上