江戸時代の面影漂う「品川寺」の歴史と文化

東京都品川区の寺社巡りが更に続きます。今回は品川神社、荏原神社を参拝した後、目黒川の鎮守橋を渡ります。旧東海道を北に数分行ったところにある「品川寺」です。京急線「青物横丁駅」から直ぐの所にあります。尚、品川寺の読み方は「しながわでら」ではなく「ほんせんじ」です。

 

品川寺(ほんせんじ

 山号: 海照山

 院号: 普門院

寺号: 品川寺

宗派: 真言宗醍醐派

本尊: 水月観音、聖観音

創建:大同年間(806810

 開基:空海

 

品川寺の縁起

 品川寺(ほんせんじ)は、平安時代前期の大同年間(806810年)に開創されたと伝わり、品川区で最も古い寺の一つとして知られます。寺伝によると、開基は弘法大師空海とされ、旧東海道に面する立地から、旅人や地域の信仰を集めてきました。

長禄元年(1457)、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立され、寺号を金華山大円寺と称しました。その後戦乱により荒廃しますが、承応元年(1652)に弘尊上人により再興され、現在の寺号となりました。

文化財は国指定重要美術品の「大梵鐘」を始め、江戸六地蔵のひとつ「地蔵菩薩像」や現在東京国立博物館に依頼保管中の「絹本着色仏曼茶羅図」(国指定重要文化財)など多数あります。

 

山門から境内へ

「旧東海道」を行きますが、「東海道品川宿」の看板のある通りです。

 

品川寺近くに来ると「しながわ百景」の案内があり、品川寺の江戸六地蔵、梵鐘の名前が掲げられています。

 

品川寺の山門が見える所にやって来ました。左が江戸六地蔵の一つ「銅造地蔵菩薩坐像」です。

 

品川寺の地蔵菩薩坐像です。

 

説明書きです。江戸六地蔵とは、江戸に通じる六つの街道の入口に建てられた大型の銅造地蔵菩薩坐像の総称です。宝永〜享保年間(18世紀前半)に造立されました。

 

 わたしは江戸六地蔵のうち過去に新宿区の「太宗寺」の地蔵尊を拝見しています。傘をかぶっているので顔が明瞭です。

 

山門に向かいますが、山門前の右側に宝篋印塔があります。亀が支えているのが面白い構図です。

 

山門を一礼して潜ります。

 

 山門を潜ると左側に鐘楼、右に向けて本堂、薬師堂などがあり意外に広い印象です。

 

鐘楼

 境内の左側に鐘楼です。この大梵鐘は、徳川幕府第四代将軍家綱公の命によって鋳造されたものですが、長年にわたり行方不明となっていました。奇跡的にスイスのジュネーブのアリアナ美術館に所蔵されていることを発見し交渉を重ね、1930年品川寺に返還されました。

 

 鐘楼の周りに指定文化財の七福神が鎮座しています。

恵比寿天、布袋尊

 

大黒天、寿老人

 

福禄寿、毘沙門天

 

弁財天

 

そして本堂に向かいます。

本堂

 鮮やかな朱色の扉や柱、青い屋根の本堂など少し一般の寺院と雰囲気が違うように感じます。

 

扉の左側に「まことの鐘」です。英文も刻まれているようです。

 

 堂内を拝観することが出来ます。

 

内陣の中央に本尊の「聖観音菩薩像」、右側に「毘沙門天像」(江戸期作)、左側に「弘法大師坐像」です。「水月観音」は秘仏で聖観音菩薩像の後ろの厨子の中に安置されていると思われます。

 

本尊の聖観音菩薩像。

 

五鈷杵を持ったお大師様

 

 その他堂内周囲に仏画、曼荼羅、地蔵菩薩像などがあります。

 

 本堂の瓦に「丸に桔梗」の寺紋が見えます。

 

弁天堂

本堂の左側に建つのは弁天堂です。堂内には八臂の弁財天が祀られています。

よく拝見する弁財天は、琵琶を持って優雅な雰囲気ですが、武器を持つ八臂の弁財天を初めて拝見しました。これが宇賀神と集合した弁財天でしょうか。

 

この並びに修行大師像、神変大菩薩(役の行者)の仏像です。 

修行大師像

 

神変大菩薩(役の行者)

 

薬師堂

 境内の右側にある薬師堂です。堂内には薬師如来像などの仏像が安置されており、寺務所もあり御朱印を頂けます。

 

 堂内の仏像の全体景観です。薬師三尊像と十二神将です。

 

 

中央にある寺宝の薬師三尊像(薬師如来坐像と脇侍の日光、月光菩薩立像)です。(江戸中期作)

 

中央の薬師如来坐像です。

 

そして、その左右に十二神将です。この十二神将は、薬師如来を守護する眷属で、後世には十二支と結び付けられ、それぞれの干支の守護神としても信仰されるようになりました。

 

 薬師堂の右側に「庚申塔」や「イチョウの木」があります。

 

庚申塔

 右側の大きな石碑の下に三猿と鶏の書かれた庚申塔です。あまり見たことはありません。

 

大イチョウ

 推定樹齢600年、幹周り5.35m、樹高25mという大イチョウです。

 

御朱印

最後に御朱印です。薬師堂の寺務所にて頂きました。

 

そして、午、毘沙門天の陶器も頂きました。

 

おわりに

品川寺と書いて「ほんせんじ」と読む、そう云われると「しながわでら」よりなかなか読み易い名称です。京急青物横丁駅からほど近く、品川の街の中にあるお寺ですが、旧東海道沿いにあり古くから人の往来を見守ってきた場所らしい落ち着きがありました。

先ず目に入ったのは、山門の近くに立つ大きな江戸六地蔵の第一番地蔵尊です。江戸時代、この東海道を行き交った多くの人々も、このお地蔵様を仰ぎ見ながら旅の安全や家族の無事を願ったのだろうかと考えてしまいます。

境内に入ると、品川寺の歴史を物語る大梵鐘があります。この梵鐘には、パリ万博に出品から品川寺に返還されるまで多くの波瀾に富んだ物語があったようです。一つの鐘が、江戸から幕末、そして昭和の初めへと時代を越えて旅をして来たことを思うと、不思議な感じです。

本堂では、様々な仏様が安置されていました。少し薄暗いので見過ごすところですが、本尊の聖観音菩薩像、毘沙門天像そして五鈷杵を持った大師さまと拝観出来て良かったです。残念ながら弘法大師空海ゆかりの「水月観音」は厨子の中らしく伝説のこの秘仏を観たいものです。

そして薬師堂です。ここは寺務所を兼ねているみたいですが、薬師堂の正面に「ご朱印所」の看板があったので気軽に御朱印を頂きに入りました。しかし、ここに薬師三尊像そして十二神将が勢揃いしているとは思いもしなかったです。十二神将まで干支、名前が書かれていて分かり易く有難かったです。

品川寺は、都会の中にありながら、樹齢約600年とされるイチョウなど、仏像だけでなく文化財や自然そのものからも長い年月を感じることができました。江戸時代の歴史と人々の祈り、そして多くの仏様に出会えるお寺で、まだ見過ごしているものも多くもう一度再来したいお寺となりました。有難うございました。

           以上

龍神信仰の品川「荏原神社」歴史探訪

東京都品川区の寺社巡りが続きます。今回は品川神社から第一京浜、京急線を挟んで向かい側にある「荏原神社」です。古くから「品川の龍神さま」として親しまれてきた神社です。

 

荏原神社の由緒

 荏原神社は、和銅2年(709)、奈良丹生川上神社より高龗神(龍神)を勧請し、枝郷三ッ木の地(貴船神社の地)に創建したといいます。長元2年(1029)に神明宮、宝治元年(1247)に京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古くから品川の龍神さまとして源氏、徳川、上杉等多くの武家の信仰を受けて現在に至っています。

 明治元年には、准勅祭社として定められました。往古より貴船社、天王社、貴布禰大明神、品川大明神と称していましたが、明治8年、荏原神社と改称。旧荏原郡(品川、大田、目黒、世田谷)の中で最も由緒のある神社であったことから、荏原郡の名を冠した社号になりました。(荏原神社公式サイトより抜粋)

御祭神:豊受姫之神(とようけびめのかみ)

              天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 

    高龗神(たかおかみのかみ)

    須佐男之尊(すさのおのみこと)

    手力雄之尊(たぢからおのみこと)

 

鳥居から境内へ

品川神社の参拝後、新馬場駅を通り越し北へ行くと目黒川へ突き当ります。

 

川沿いに東へ行くと目黒川に掛かる赤い橋、「鎮守橋」です。

 

鎮守橋の北側が荏原神社です。「鎮守橋から荏原神社を望む」として「しながわ百景」に選定されています。

 

近くには古い鎮守橋の親柱があり建て替えられた時、一部がこのように見せているようです。

 

鎮守橋の先、右手に「郷社 荏原神社」の文字の社号碑です。

 

荏原神社の木造鳥居です。参道の先に社殿が見えます。一揖して鳥居を潜ります。

 

鳥居の直ぐ先、左手に釣り竿を持った恵比須さまです。後姿が可愛い。

 

参道の左手の手水舎でお清めをします。この後ろ側は、目黒川です。

 

社殿
参道を進みます。弘化元年(1844)に造営の社殿です。

 

拝殿前の阿吽の狛犬です。どちらも2匹ずつ子持ちです。

 

拝殿前に進み参拝します。拝殿右に「祭神」の五柱の名や「敬神生活の綱領」が書かれています。

 

 驚いたことに拝殿の左右の屋根から龍が顔を出しています。

 

そして社殿の上部の彫刻も見事です。拝殿中央上部の龍の彫刻。

 

キジ、フクロウなど鳥の彫刻が多いようです。

 

社殿の傍に「明治天皇御東幸内侍所奉安所」と書かれた石碑です。そして神楽殿です。

 

品川区指定の無形民俗文化財の「品川拍子」の説明書きです。

 

 

境内社

社殿の左手に境内社があります。鳥居がありその先に三社の祠があります。

 

 左から八幡宮、稲荷神社、熊野神社の三社です。

 

 怖い顔の狐さんが護っています。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社殿と繋がっている社務所にて頂きました。コロナ禍からの継続でしょうか、書き置きが置かれており初穂料を置いて自分でもっていくセルフ形式です。日付も自分で書きました。

社務所


 

おわりに

今回の荏原神社は、和銅2年(709)の創建と伝わる古社で、今も「品川の龍神さま」として親しまれており、静かな境内の中に長い信仰の積み重ねが感じられます。

近くの「品川神社」に比べると規模はそう大きくはないのですが、目黒川沿いにあり、赤い鎮守橋との景観が先ず印象的です。鳥居を潜ると直ぐに東海七福神の「恵比寿」さまを迎える構成もよく考えられており、癒しの風体も見どころの一つです。

そして拝殿、本殿周りです。荏原神社は「品川の龍神さま」と呼ばれる水の神を祀る神社です。参拝の中心は拝殿ですが、正面で手を合わせたら、屋根から顔をのぞかせる二頭の龍がいるではありませんか。社殿の装飾として龍が強く打ち出されているのが分かります。荏原神社を訪れた際には、是非屋根も見ると良いと思います。思いもしなかった龍の登場に驚かされますが、他の神社には無いと思います。

社殿も重厚です。江戸時代末期の弘化元年(1844)に造営され、関東大震災や東京大空襲からも免れ現存したもので、拝殿に施された龍やキジなどの鳥たちの彫刻はどれも見事なものでした。

今回の荏原神社は、川沿いの散歩には気持ち良い所にあり参拝者も多い神社でした。地域に根付いた古代からの歴史の感じられる神社での参拝となりました。有難うございました。

                       以上

双竜鳥居と歴史満載「品川神社」感動の富士塚登拝

東京都品川区の寺社巡りが続きます。今回は双竜鳥居や富士塚で有名な「品川神社」です。最寄り駅はJR品川駅から乗り換えて2駅、京浜急行の「新馬場駅」です。

 

品川神社の由緒

 平安時代末期の文治3年(1187)、源頼朝公が安房国(現在の千葉県南部)洲崎明神の天比理乃咩命を勧請し、海上交通安全と祈願成就を祈られたのが創始です。

鎌倉時代末期の元応元年(1319)、二階堂道蘊が「宇賀之売命(お稲荷様)」、室町時代中期の文明10年(1478)に太田道灌が「素盞嗚尊(天王様)」を勧請しました。

慶長5年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の際に戦勝を祈願、寛永14年(1637)三代将軍家光により東海寺が建立されその鎮守と定められます。元禄7年(1694)・嘉永3年(1850)の二度の社殿の焼失の際には時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍家の庇護を受けています。明治元年(1868)に明治天皇が都内の十の神社を「准勅祭神社」と定められ、昭和39年(1964)現在の社殿が再建されました。

鳥居の前の「品川神社御由緒」の説明書きです。

御祭神:天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)

    宇賀之売命(うがのめのみこと)

    素盞嗚尊(すさのおのみこと)

 

 品川神社の境内図を示します。

 

双竜鳥居

新馬場(しんばんば)駅の北口を出て道路の反対側に、品川神社の鳥居が見えます。東海七福神の大黒様の姿も。

 

鳥居前の左右に大黒様と社号標です。社号標には「元准勅祭」と刻まれています。准勅祭(じゅんちょくさい)とは、明治初期に「勅祭社」に準じて扱われた東京近郊12の神社のことです。

 

品川神社の鳥居は珍しい「双竜鳥居」です。双竜鳥居は、左右の柱に2匹の龍が彫られた鳥居のことです。普通の鳥居と違って、柱そのものに龍の彫刻が巻き付くように造られているのが大きな特徴です。

 

鳥居前の阿吽の狛犬です。

 

双竜鳥居の左柱が「昇り龍」、右柱が「降り龍」です。

 

境内へ

一揖して鳥居を潜り、石段を上がります。

 

石段中程の左側に鳥居があり、富士塚への入口となっています。帰りに上ろうと思います。

 

石段を上がりきり社殿へと真っ直ぐ行きます。二の鳥居、三の鳥居の先に朱色の社殿です。

 

二の鳥居の前に阿吽の狛犬です。

 

二の鳥居後ろにまた狛犬です。爪が鋭く茶色の珍しい狛犬で、備前焼のようです。

 

三の鳥居です。品川区指定有形文化財(建造物)で都内では上野東照宮に次いで古いものです。

 

社殿の右側に神楽殿、稲荷社などあります。

 

社殿の左側には社務所、手水舎などです。

 

社殿の左側に手水舎です。先ず手水で清めます。手水鉢の左に河童、右下に亀という面白い配置物です。

 

社殿

 参道を行き拝殿に向かいます。昭和39年に再建されました。左右に狛犬です。

 

拝殿に進み参拝します。正面の拝殿、提灯、賽銭箱などに社紋があります。徳川家と縁が深く「徳川葵」です。

 

拝殿を、左側、右側から撮った景観です。

 

社殿の左側に品川区の指定文化財の説明書きがあります。品川拍子、文書、石造鳥居など多数あります。

 

社殿の右側には神楽殿です。

 

境内社

社殿の右側に朱色の鳥居の入口と「祖霊社」があります。先ず祖霊社に参拝です。左には砲弾の形をした忠魂塚がありました。

 

次に左側の稲荷神社でよく見られる「千本鳥居」を潜り進みます。

 

鳥居の先に「阿那稲荷神社」です。狐のような可愛い狛犬さんもいます。

 

社には龍の彫刻です。

 

そこから更に朱色の鳥居へと続く石段があります。

 

その先にはもう一つ社があります。扁額には「一粒萬倍 阿那稲荷社と書かれています。入口には今度は神狐さんです。

 

社の中に入ると、紅い提灯が並びやや派手な感じがしますが、幾つか祠が並んでいます。

 

入口の直ぐ左には、「稲荷大神」が祀られています。

 

正面の奥には三つの祠が祀られています。左から「八百萬神社」、「大國主恵比須神社」、「天王白龍辨財天社」です。

 

中央には「一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の御神水」と書かれた説明書きがあり、龍から流れる御神水で銭を洗うようになっています。湧き水のようです。

 

一応社殿と近くの境内社の参拝を済ませ、富士塚へ向かいます。行く途中の境内社の「御嶽神社」にも参拝します。

 

富士塚

そして、あとは「富士塚」に登るだけです。富士塚の裏側に「浅間神社」があるので参拝します。社の前の狛犬の台座には、富士山が描かれています。

 

 浅間神社の左側には交通旅行安全守護の「ぶじかえる」です。

 

 「品川神社富士塚」と「品川神社富士塚山開き」の品川区からの民俗文化財指定の説明書きです。毎年7月初めに山開きのようです。

 

石段を下り右側の登山口から登ります。

 

富士塚の入口です。鳥居の先右手に猿田彦神社です。旅の安全を護る神が祀られています。

 

 三体の石像も護っているようです。

 

 いよいよ登山開始です。

 

難所もあります。

 

無事、品川富士の頂上に到着です。頂上は開けていて気持ち良いです。

 

富士塚の山頂から第一京浜、新馬場駅側を見下ろした景色です。京急の電車が頻繁に通っているのが良く見えます。

 

山頂で暫く景観を眺め満足し下山します。反対側の道を慎重に下ります。

 

無事に富士塚を下山し、双龍鳥居を後ろから見て品川神社を後にします。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社殿近くの社務所で頂きました。

社務所

 

おわりに

品川神社は、京急沿線の街並みから高台の位置にあり、見どころが連続する参拝体験となりました。東京十社の一社であり、東海七福神の大黒天尊としても親しまれているのが印象的です。

 この神社の欠かせないポイントとしては、やはり「双龍鳥居」と「富士塚」です。双龍鳥居については、入口の石段の手前にありここから参拝の気分が一気に高まります。

双龍鳥居がある神社は、都内ではこの品川神社の他に、杉並区「馬橋稲荷神社」と同じ杉並区の「高円寺」内の稲荷社の3ヶ所です。わたしは以前、馬橋稲荷神社と高円寺内の稲荷社に参拝しており、ここが最後となりました。

以下に2社のブログを示しますので暇なときにでも御覧下さい。

東京都杉並区 風情漂う参道 双龍鳥居の「馬橋稲荷神社」 - クマケア治療院日記

徳川家ゆかりの寺「高円寺」 双竜鳥居のある不思議 - クマケア治療院日記

 

 そして富士塚です。富士講の信仰を背景に、明治2年に築造され、破壊後明治5年に再築されたとされる富士塚です。短時間で登拝体験ができ、頂上付近の眺望の良さ、達成感が魅力です。

 富士講の力の偉大さに驚嘆するばかりです。富士講は富士山を神聖視し登拝によって心身を清める民間信仰の講集団です。主に江戸時代の関東で大流行し、現在も各地に講社や行事が残ります。

わたしも東京都の神社の富士塚に幾つか登っています。新宿区上落合の「月見岡八幡神社」、新宿区「稲荷鬼王神社」、渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社などです。品川神社は、今まで見て来た中では最も大規模のものでした。この富士塚の山開き行事は、品川区の無形民俗文化財であり地域をあげてこの行事を大切にしていることがよく分かります。

今回の品川神社は、この他にも稲荷社など見所が多数あり参拝者も多い神社でした。地域に根付いた温かさも感じられる神社で印象に残る参拝となりました。有難うございました。

以上

品川区貴重な文化財探訪「養玉院如来寺」五智如来

東京都品川区の寺社巡りです。今回は「蛇窪神社」を数分南へ行ったところにある「養玉院如来寺」です。最寄り駅は横須賀線西大井駅で10分位の所にあります。近くに東海道新幹線も通り都会の中でありながら静かで心安らぐ寺院です。

 

養玉院如来寺(ようぎょくいんにょらいじ)

 山号:帰命山(きみょうざん)

 院号:養玉院

    寺号:如来寺

    宗派:天台宗

    本尊:釈迦如来

    創建:大正15年(1926)(養玉院と如来寺が合併)

 

養玉院如来寺の縁起

 養玉院如来寺は、明治41年(1908)に芝高輪より当地へ移転していた帰命山佛性院如来寺と、下谷坂本にあった金光山大覚寺養玉院が、大正15年(1926)に合併して、帰命山養玉院如来寺となりました。

 養玉院の縁起は、三明院として寛永寺屏風坂御門内に創建されました。慈眼大師が開山し南光坊弟子の賢海が初代となっています。寛永寺の創建に伴い、下谷坂本に移転しています。対馬藩宗家の江戸菩提寺兼江戸宿寺となり、宗対馬守義成室養玉院より院号を養玉院と改称しました。大正15年(1926)に西大井に移転していた如来寺と合併しました。

 如来寺の縁起は、寛永年間に木喰但唱が芝高輪に創建、大和高取藩主植村家の菩提寺となっていました。明治41年に当地へ移転。隣接地に移転していた養玉院と大正15年(1926)に合併。

 

山門から境内へ

 赤松と相まって立派な山門です。

 

 

右側に「大佛(おおぼとけ)如来寺」と書かれた寺号標です。

 

寺号標の後ろに「龍神観音」の石像です。

救いを求める相手によって様々な姿に変えて、大慈悲と智慧で人々の苦しみを取り除き、さらに幸運をもたらすといいう観音様です。 観音様が龍神に乗り、水瓶から無尽蔵に水を湧き出させて、流れる水が人々の煩悩を洗い流し、人々に希望と御利益をもたらします。(公式サイトより抜粋)

 

養玉院如来寺の「境内見どころ紹介」の説明書きです。

 

山門は普通閉じているようで、右側に本堂や如来堂に続く参道があります。

 

「五智如来」参拝時間の看板があります。如来堂が開いているのか不安でしたが間違いなく拝観出来ました。山門の近く、参道に色々な石仏があります。

 

 山門近くの登龍観音です。

頭上に小さな仏像を戴き、左手に蓮華あるいは宝珠のようなものを持ち、優美な立ち姿をしています。台座に平成二十五年(2013)に建立と記載。「登龍観音」は一般的な観音名というより、この像に付けられた固有の名称、信仰名であると思われます。

 

参道を尚も進みます。地蔵菩薩の石像があります。

 

鐘楼

左側には鐘楼です。

 

鐘楼も山門と同じ瓦葺で、中央に「十六菊」そして周囲に「丸に五七の桐」の寺紋です。

 

布袋尊

 布袋尊の石仏です。

布袋は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧。日本では七福神の一柱として信仰されています。本来の名は釈契此(しゃくかいし)ですが、常に袋を背負っていたことから布袋という俗称がつけられました。(公式サイトより抜粋)

 

明王堂

 更に参道を進みます。右側に明王堂です。

 

明王堂は平成十年に新築されています。不動明王が安置されていると思われます。

 

 養玉院如来寺のパンフレットより拝借 不動明王及び脇侍像

 

本堂

本堂周辺の景観です。中央の石柱には「五智如来 歸命山」と刻まれています。

 

本堂の左側の建屋とその右側にある座聖観音。

 

近くの甕のハスの花

 

寛永五年(1628)頃建立の本堂です。養玉院の本堂でしたが、大正12年下谷坂本から移築したものです。もと瓦葺でしたが、現在は銅板葺です。

 

本堂の扁額です。文字は大雄寶殿」、寶は宝の旧字体です。

大雄は仏さま、特に釈迦如来を指す尊称、寶殿は仏さまを安置する尊い建物、つまり本堂を意味します。

 

賽銭箱にも「丸に五七の桐」の寺紋。

 

本堂の内部。

 

 養玉院如来寺のパンフレットより拝借 本堂内陣本尊及び脇侍像

 

そして本堂とその右側に如来堂です。

 

如来堂

如来堂です。宝暦10年(1760)再建。当初寛永年間(162444)に如来寺の本堂として建立されました。明治末の移転に際して縮小。扁額は「瑞應殿」。

 

阿吽の形相の金剛力士像。

 

五智如来像の説明書きです。五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名です。左から「釈迦如来」、「阿弥陀如来」、中央の「大日如来」、「宝勝如来」、「薬師如来」が並んでいます。

何れも像高3mにも及び、「大井の大佛(おおぼとけ)」と呼ばれています。

 

右側の入口からお入り下さい、と確か案内があったと思いますが、右側の引き戸を開けます。

 

すると堂内が自動的に点灯し、いよいよ拝観です。五智如来像が一気に目に入ります。

 

一番右の薬師如来坐像です。印相は、右手が施無畏印(せむいいん)、左手が与願印で薬壺を載せています。

 

その隣の宝勝如来坐像です。左手で蓮の花をつかみ右手は与願印です。

 

中央の大日如来坐像です。印相は法界定印(ほっかいじょういん)。光背も見事です。

 

大日如来の左側は阿弥陀如来坐像です。下品上生(げほんじょうしょう)の印相。

 

左端が釈迦如来坐像です。法界定印の印相。

 

左側から撮った五智如来。

 

そして、五智如来の前に控えるように仏像が幾つか並んでいます。先ず阿弥陀如来の左側に「観音菩薩」が鎮座しています。阿弥陀如来の脇侍としても、一般的な配置です。

 

中央の大日如来の前には阿吽の「灯台鬼」です。頭上に大きな灯籠を載せ、片手で支えている姿は、まさに「灯台鬼」と思われます。

 

一番右の薬師如来の前には黒い武将姿の像、「毘沙門天」です。左手に宝塔、右手に戟を持ち邪鬼を踏みつける姿です。 

 

荏原七福神の「布袋尊」も中央にお祀りしています。 

 

如来堂の後ろは墓所です。

 

御朱印

最後に御朱印です。庫裡にて頂きました。

庫裡

 

 御朱印  五智如来殿、五智大佛殿、布袋尊の3種類

 

 散華も頂きました。

 

おわりに

 今回拝観した養玉院如来寺は、品川区西大井の高台にある寺院です。周辺の住宅街から一変して木々に包まれた緑の癒しと落ち着きが感じられました。

 やはりこの寺院の見所は、如来堂の五智如来です。このような文化財が本当に普通の日でも開放されているのかと不安がありました。しかし、独り占めで観ることが出来たことに先ず感動しました。夫々の主役の五智如来が一堂に会するなどと贅沢の極みで、さすがに豪華さと迫力がありました。

また丈六の前では極小さく見えますが観音菩薩、毘沙門天、灯台鬼、布袋尊も脇役として存在感を発揮しています。この如来堂は、華やかさよりも長い信仰と地域の「大井の大佛」として親しまれる重みが印象に残りました。

品川区の説明書きによると「木造五智如来坐像は、木食但唱が弟子と共に信濃国で造立し、寛永13年(1636)江戸芝高輪の如来寺へ安置したと説明。その後養玉院と合併しています。

また薬師如来以外は、火災で諸堂と伴に焼失し宝暦年間(17511764)に再建されたが壮観な姿は江戸庶民の信仰と結びつき、由緒ある如来像は貴重である」とあります。

五智如来坐像は、昭和57年に有形文化財の彫刻として指定されています。五体揃った貴重さと、彫刻としての出来栄えや様式上の価値、地域の歴史を伝える重要性があり指定されたと思われます。本当に貴重なものを拝観することが出来ました。ありがとうございました。

帰りは、横須賀線の西大井駅へ向かいました。この付近では横須賀線と東海道新幹線が2階建てで走っています。2階が新幹線で、下が横須賀線という珍しい光景です。

西大井から武蔵小杉辺りはほぼ並行に走り、武蔵小杉から新川崎辺りで離れ始めるようです。蛇足ながら。

以上

品川区「蛇窪神社」白蛇信仰と龍神の融合

 今回は東京都品川区の寺社巡りで「蛇窪神社」です。白蛇信仰と龍神信仰が同居する品川区の個性派神社です。最寄り駅は東急大井町線の中延駅で数分南下すると蛇窪神社に着きます。

 

蛇窪神社の由緒

 文永8年(1272)北条四朗左近太夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪に残って当地地域を開くように諭して、自らはこの地を去りました。時千代は後に、法円上人と称して大森に厳正寺を開山し、家臣たちの多くは蛇窪付近に居住しました。元享2年(1322)武蔵一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必死と見られました。

 このとき厳正寺の当主、法円の甥の第2世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥の方向(北西)にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
 これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩にこたえて祀りました。これが、現在の天祖神社の縁起とされています。尚一説には、鎌倉幕府時代に、この地の豪農森屋氏が建立したものとも伝えられています。

 蛇窪神社の旧社名は、神明社でしたが、その後村社に昇格して「天祖神社」に改名されました。令和元年、御大典を記念し、また、地域の発展を祈念して別称「蛇窪神社」を通称表記に格上げすることになりました。

御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)

    天児屋根命(あめのこやねのみこと)

    応神天皇 (おおじんてんのう)

 

鳥居から境内へ

 蛇窪神社の鳥居です。鳥居の先には参道が真っ直ぐ延びています。扁額は蛇窪神社。

 

 一揖して鳥居を潜ると、奥に社殿も見えます。右側が工事中で、手前に最初から見慣れない「一粒万倍(いちりゅうまんばい)」の石像です。一粒の籾が万倍の稲穂になるという言葉「一粒万倍」の考え方を、小さな行い、種まきが大きな実りになるという、金運や仕事運を願うモチーフとして扱われています。比較的新しい奉納物と思われます。

 

社殿

 参道を行き拝殿に向かいます。工事中で右の狛犬が隠れています。

 

 反対側から鳥居に向かって撮ると狛犬が揃います。

 阿吽の狛犬。

 

 その先、右手に手水舎です。花手水でお清めをします。

 

 拝殿です。参拝します。

 

 正面の賽銭箱に社紋があります。

 蛇窪神社の社紋は、二つの意匠を組み合わせたもので「七つ蛇の目紋」と「雨竜紋」です。中央の丸い紋は、「七つ蛇の目紋(ななつじゃのめもん)」です。中央と周囲に配した7つの「蛇の目(じゃのめ)」で、神社に伝わる七体の白蛇を表しています。

 そして、周囲を囲む渦巻き状の意匠は、雨乞い龍に由来する「雨竜紋」を表現しています。つまり、この賽銭箱の紋は、「龍が七体の白蛇を取り囲んでいる」という非常に象徴的なデザインであり、蛇窪神社独自の社紋と思われます。

 

 社殿の左奥に行くと、幣殿、本殿です。

 

 拝殿の左手前には御神木のクスノキです。龍の如く迫力あります。

 

撫で白蛇と蛇窪龍神社

 拝殿前の右側に「撫で白蛇」と書かれた可愛らしい白蛇です。撫でさせて頂き参拝します。

 

 両側に小さな白蛇の棚があります。

 

 そして、「蛇窪龍神社」です。

 

 この地で千年以上の歴史があると伝わる蛇窪の守護神です。7匹の白蛇と全長8mの白龍は、神様の使いである白蛇が8匹目で白龍になるという云い伝えを表しています。

 

白蛇弁財天社

 白蛇弁財天社は、白蛇にまつわる信仰と弁財天への祈りをあわせて行えるスポットとして知られています。

 

 白蛇は古くから「水」や「財」と結びつけて語られることが多く、ここでも財運や開運を願う参拝が行われます。社の前の橋「夢巳橋」の両側の白蛇。

 

 蛇窪神社には、境内の湧水地に白蛇が棲んでいたという伝承があり、環境の変化で住処を失った白蛇が戻ってくる道筋が語られています。こうした白蛇の伝承が、境内での白蛇信仰の核になっています。

 

福活岩、親子岩、愚痴壺

 社殿の左側に福活岩、親子岩、愚痴壺が並んでいます。「福活岩」は、注連縄が掛けられ、悪運・悪縁・病気などの不要なエネルギーを取り払うものです。「親子岩」は、同じく注連縄が掛けられ不要なものを祓い、心身を整えるというもののようです。

 

 そして、「愚痴壺」は、蓋を開けて、不満や愚痴を壺の中に吐き出すという体験型のスポットです。

 

法密稲荷社

 蛇窪神社の参道を進むと直ぐ左手に鎮座するのが、摂社の一つの「法密稲荷社」です。朱色の鳥居が連なる稲荷社です。

 

 法密稲荷社は、雨乞いを成就させた法密上人に因む「水」と縁の深い稲荷社です。元亨2年(1322)の大旱魃の際、法密上人が龍神に雨乞いの断食祈願を行い、雨が降って危機を免れたと語られています。これを背景に、法密稲荷社は水との縁が深い場所です。

 

 鳥居の先にある「水掛け宝珠」は、柄杓で水をかけながら願い事をする形で案内されており、「水」との結びつきを体感しやすいポイントです。

 

おもかる狐石(重軽狐石)

 石を持ち上げて、願いごとの「叶いやすさ」を占う体験です。まず石を持ち上げて、重さの感覚を覚え、願いごとを心に念じます。もう一度持ち上げ、最初より軽く感じれば願いが叶いやすい、重く感じれば時間がかかる、という言い伝えです。

 

運玉投げ

 「運玉」と呼ばれる玉に願いを込め、満願石の穴やくぼみを狙って投げ入れる運試しです。願いを込めて投げ、穴に入ると「満願成就」「運が付く」というものです。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社務所ではなく特設みたいな授与所があり、そこで頂きました。

社務所

 

授与所

 

御朱印  蛇窪神社、蛇窪大明神、白蛇弁財天の3種類



おわりに

 今まで参拝してきた神社とは大いに雰囲気が違いました。静けさの中に賑やかさがあり、白蛇や龍神にまつわる見所が多く、参拝そのものに物語性を感じました。白蛇弁財天社などよく見せ方を工夫し案内されており、参拝者を単にお参りするだけでなく、順に巡る楽しさを感じさせるような配慮が随所にされています。

 先ず鳥居を潜った時から、珍しい「一粒万倍」の石像、空気が少し替わる感じがあります。本殿周りは、落ち着いた造りで参拝の場として神社らしい厳かさで纏まっています。そして、蛇窪神社らしさが最も強く出ているエリアが、白蛇と龍神の場所、蛇窪龍神社、白蛇弁財天社です。記憶に残りやすい開運、財運を連想しやすい見せ方だと感心しました。

 また、入口に近いのですが、最後に参拝した「法密稲荷社」も強く印象に残りました。由緒に登場する法密上人に因む「水」と縁の深い稲荷社で水掛け宝珠などを配置し、ここにも物語性を感じさせます。

 このように今回の蛇窪神社は、白蛇信仰ならではの独特な雰囲気がありながら、地域に親しまれて参拝者も多く温かさも感じられる神社で印象に残る参拝になりました。有難うございました。

                            以上

中央区人形町探訪記「小網神社」神社巡りの楽しさを堪能

 東京都中央区人形町の寺社巡りが続きます。この界隈は神社が多いですが、「三光稲荷神社」、「椙森神社」を参拝した後、稲荷社の「小網神社」に向かいます。

 

小網神社(こあみじんじゃ)の由緒

 小網神社は文正元年(1466)、この辺りで悪疫が流行していた折、網にかかった稲穂を持ち帰って、庵を訪れた翁がいました。 その翁を稲荷大神として崇めれば悪疫が治まるとの神託があったため、村人が稲荷神社を造営したのが始まりとされています。間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したと云われています。

 領主・太田持資公(道灌)も、この御神徳を聞き、当神社を詣で、土地を寄附し、小網山稲荷院萬福寿寺と名づけたと伝えられています。慶長年間(1596~1615)には、これらに因み周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。

 明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年、村社に指定されました。現社殿・神楽殿は、昭和4年に造営されました。その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の戦前の木造神社建築となっています。

御祭神:倉稲魂神(うがのみたまのかみ)(お稲荷大神)

    市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)(弁財天)

    福禄寿(ふくろくじゅ)

 境内の説明書きです。 

 

鳥居から境内へ

 小網神社は、人形町界隈の街並みから脇道へ入って直ぐの場所にあります。

 

 あいにくの雨ですが、参拝者が傘をさして並びます。三光稲荷神社、椙森神社では、殆ど参拝者はいませんでしたが、ここは人気です。神社で整理する人もいるほどです。

 

 鳥居を潜ると、右側に手水舎です。龍が二匹おり、お清めをします。

 

 傘と参拝者で混雑してなかなか前へ進みません。

 

社殿彫刻

 社殿の前へと進み参拝します。

 

 社殿上部の鳳凰と龍の彫刻です。

 

 そして、社殿彫刻「昇り龍」と「降り龍」です。社殿向拝の左右にある彫刻の龍は、天に昇る姿と天から降りる姿が対になっています。この龍は神社の御利益にちなみ、強運厄除の「昇り龍」「降り龍」として崇められています。

 

狛犬

 社殿前の狛犬です。鈴を付けた赤い前掛けをかけ可愛い狛犬です。よく見ると「阿形・吽形」の狛犬と違い、口の開き方が左右似ています。もっとも稲荷社なのに狐さんではなく狛犬が鎮座している事態おかしくもあります。

 

神楽殿

 社殿に向かって右手に木造2階建銅板葺の神楽殿があります。神楽殿は、境内地の形状に合わせて設計・造営されたため、五角形という特殊な平面構造となっています。

 

福禄寿

 入口の鳥居を潜って直ぐ左手に、福徳・人徳・健康長寿の神と書かれた看板のところに「福禄寿」が鎮座しています。

 

銭洗い弁天

 社殿向かって左側に市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)をお祀りし、ここが「東京銭洗い弁天」として親しまれています。

 

 そばにある「銭洗いの井」の水で硬貨などを清め、財布に納めておくと財運を授かると伝えられています。ここが一番人気と思われますが、お金を洗う人達で賑わっています。

 

 「銭洗いの井」の向い側はおみくじの授与所です。一般的な紙のおみくじに加えて、まゆ玉おみくじ」、「みみずく張り子みくじ」のような特徴的なおみくじが知られています。まゆ玉おみくじは、本物の繭の中におみくじが納められているタイプで、縁が細く長く結ばれるようにという趣旨で紹介されています。

 

御朱印

 最後に御朱印です。授与所にて頂きました。丁度御朱印帳がいっぱいとなり御朱印帳も購入しました。

賑わっている授与所

 

御朱印

「小網神社」、「弁財天」、「福禄寿」の三種類

 

龍の御朱印帳

 

おわりに

 今回訪れた人形町の小網神社は、「強運厄除」と「金運」のご利益で知られる神社です。そのため雨にもかかわらず参拝者が多数訪れていました。

 小網神社が「強運の神社」と呼ばれる背景には、数々の出来事があります。第二次世界大戦中、この神社で出征前に参拝した兵士が全員生還したと伝えられているほか、東京大空襲では周辺一帯が大きな被害を受けるなか、社殿、神楽殿は焼失を免れたとされています。こうした逸話から、「強運厄除」の神社として厚い信仰を集めるようになったようです。

 神社の境内には、市杵島比賣神を祀る「東京銭洗い弁天」があり、また本物のまゆ玉の中におみくじが入った「まゆ玉おみくじ」が授与品として人気がある理由ではないかと思います。特に繭は一本の糸を切らずに紡がれることから「良縁」や「財を育てる」縁起物とされ、若い女性が多数訪れていました。

 兎に角狭い境内に、コンパクトに見逃せない文化財などが詰まっているので、以下の様な順に参拝するのが良いと思います。

 ①神社を挟んだ道路の向こうから全体を拝見。

  鳥居の右側の神楽殿を最初に見ることもあり。

 ②鳥居を潜ります。

 ③手水舎で清め、右側の神楽殿、狛犬を鑑賞。

 ④社殿で参拝(二礼二拍手一礼)、社殿彫刻を鑑賞。

 ⑤社殿向かって左へ移動 左の狛犬鑑賞。

 ⑥東京銭洗い弁天に参拝。

 ⓻すぐ近くの「銭洗いの井」で硬貨を清める。

 ⑧福禄寿(日本橋七福神の一柱)に参拝。

 ⑨授与所にて御朱印・授与品などを授与。

 このような基本順路にて参拝。今回も珍しいものが多数あり、人気の神社を参拝することが出来て良かったです。まだまだこの界隈は神社が多いですが、一応区切りをつけて別の所を巡ろうと思います。有難うございました。

                         以上

中央区人形町の小さな神社巡りの魅力

東京都中央区人形町の寺社散策が続きます。「大観音寺」の菩薩頭を拝観した後、人形町通りを北に行くと「三光稲荷神社」更に行くと「椙森神社」があります。何れも小さな神社ですが夫々歴史が興味深いです。先ず「三光稲荷神社」です。日本橋堀留町の路地奥に鎮座する稲荷社です。

三光稲荷神社(さんこういなりじんじゃ)

 

三光稲荷神社の由緒

三光稲荷神社の由緒には諸説あります。当地付近に居住した絹布問屋田原屋村越庄左衛門と木綿問屋建石三蔵の両家が、江戸時代初期に勧請したと云われています。また、中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者関三十郎が元禄2年(1689)以前に伏見より勧請したとも云われます。

大正13年の区画整理で、旧長谷川町と旧田所町が合併して現在の堀留町2丁目となり、旧田所町の田所大明神も奉祀されたと云います。

御祭神:三光稲荷大神(さんこういなりおおかみ)

    田所稲荷大明神(たどころいなりだいみょうじん)

   いずれも五穀豊穣や商売繁昌の神様です。

 

鳥居から境内へ

人形町界隈の街並みから細い路地へ入って行きます。三光稲荷神社の入口です。この路地が参道のようです。

 

向こう側にも「三光新道」と書かれた門がありその途中に神社があります。

 

三光稲荷神社の鳥居です。狛犬、白い幟が迎えます。

 

阿吽の狛犬です。阿形の狛犬の舌が紅いです。

社殿

  一揖して鳥居を潜ります。右側の手水鉢で清めます。

 

 拝殿へと進み参拝します。

 

三光稲荷神社の大きな特徴は、稲荷信仰に加えて、迷い猫が戻ることに霊験があると語られていることです。拝殿の左側に猫の置物です。

この招き猫などの猫の置物は、猫が帰ったお礼として奉納されたものだと紹介されています。

 

 社紋は稲紋です。「二つ穂変わり抱き稲」。

 

境内の右に、増改築の記念碑です。

 

 左にある町会事務所です。愛猫の名前などをお届けくださいとの「失せ猫祈願」の貼り紙がありました。

 

御朱印はありません。

 

椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」

次に近くの椙森神社に向かいます。椙森神社の最大の特色は、江戸時代に富くじが盛大に行われた点です。

 

椙森神社の由緒

 椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所と云われています。室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社でした。

江戸時代には、江戸城下の三森(烏森、柳森、椙森)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集め、また当たりくじである富興行も行われていたと云います。

(境内の説明書きより抜粋)

御祭神五社稲荷大神(ごしゃいなりのおおかみ)

     五社稲荷大神は、倉稲魂尊、素戔嗚尊、神大市比売、大巳貴大神、四大神の五柱の神様です。

    恵比寿大神 (えびすのおおかみ)

 

鳥居から境内へ

 椙森神社も静かな路地にあり、日本橋小伝馬町駅と人形町駅の中間の位置です。入口の鳥居と社号標です。

 

一揖して鳥居を潜ると、参道は直ぐに左に折れて社殿に向かいます。狛犬が迎えます。

 

 手水舎でお清めをします。

 

社殿

拝殿です。白いシンプルな拝殿です。

 

富塚

手水舎の右側に「富塚」がありその歴史を伝えています。現在の宝くじにあたる「富くじ」を記念して建てられた石碑です。

 

江戸時代の富くじは、番号を書いた富札を売り、決まった日に公開抽選で当選者へ賞金などを渡す仕組みで、現代の宝くじに近い形でした。一方で射幸心をあおるとして基本は禁制で、例外的に寺社の修復費などを賄う目的で幕府が許可したものが「御免富」と呼ばれます。

富塚の説明が書かれている説明書きです。

 

右手にも鳥居があります。境外から撮ったものです。正面に手水舎、右手が拝殿です。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社務所にて頂きました。椙森神社と恵比寿神の御朱印です。

 

おわりに

三光稲荷神社、椙森神社の二つの神社を参拝しました。何れも人形町界隈の街並みから路地に入った所にあります。小さな境内だからこそ、参道から社前までの距離感が「隠れ社」らしい雰囲気を作っています。

三光稲荷神社は、周辺にはかつて歌舞伎小屋や遊興地があり、娘・子ども・芸妓などの参詣が多かったとも記録されています。芸能・花柳界とも縁が深い「町の稲荷」として、地域の暮らしの中で守られてきたタイプの神社です。この神社の最大の個性は、古くから「猫に関する願掛け」で知られる点です。猫を見失った際に祈願すると験があるという言い伝えがあり、参道碑や境内の猫の置物は、無事に戻ったお礼として奉納されたものとされています。

椙森神社は災害を経て復興を重ね、境内の建物には鉄骨や鉄筋コンクリート造を用いながらも、伝統的な神社建築の意匠を随所に取り入れている点が特徴とされています。また、椙森神社の大きな特色が、境内で行われた「富くじ興行」です。江戸の庶民文化として盛り上がり、湯島天神などと並んで「三富」の一つに数えられるほど盛大だったと紹介されています。

夫々、失せ猫祈願、冨塚という唯一無二の特徴があり、小さな境内でしたが、ゆっくりと散策させて頂きました。有難うございました。

 

神社

今回は少し内容が少なかったので「神社」について調べてみます。神社に行くと必ず目にする鳥居、狛犬、社殿など欠かせないものについてです。

 

鳥居

先ず鳥居です。神社の入り口に立つ鳥居には、見た目以上に深い意味と長い歴史があります。

(1)鳥居の意味

鳥居は、「ここから先は神さまの領域ですよ」という境界を示す門です。俗世の世界と、神さまがいる聖なる空間を分ける「結界」のしるしと考えられています。そのため参道の入口や途中に建てられ、潜ることで「これから神域に入ります」という心構えを整える役割もあります。

 

(2)鳥居の起源

鳥居の起源については、古文献にもはっきりした記録がなく、いくつかの説が並立しています。主な説は次のようなものです。

天岩戸神話の「鶏の止まり木」説

天照大御神が天岩戸に隠れたとき、神々が鶏を並べて鳴かせ、その鶏がとまった木が鳥居の始まりだという説です。

②海外起源説

インド仏教のトラナ、中国の華表や牌楼、朝鮮半島の門など、アジア各地の「門」をルーツと見る説です。

日本固有の発展説

元々神域を区切る「しめ柱」のような構造と、住宅や宮殿の門が組み合わさり、日本の中で徐々に現在の形になったとする考え方もあります。

 

「最初から今のような立派な鳥居があった」のではなく、自然崇拝の場に印を立てるところから、少しずつ「門」として形が整っていったと考えられます。また、多くの専門的な解説では、「日本に元々あった神域を示す柱状の構造物」と「大陸やインド由来の門の形式」が、長い時間をかけて混ざり合って現在の鳥居になったのではないか、という見方が紹介されています。

 

(3)「鳥居」という言葉の由来

こちらもはっきりしませんが、代表的なのは次のような説です。

鶏の止まり木を意味する「鶏居」から来た。

「通り入る」が縮まって「とりい」になった。

「鳥の居場所」という意味をあて字的に漢字で書くようになった。

現在は「鳥居」と書くことで、「鳥が居る場所」つまり鶏の止まり木のイメージと結びつけて説明されることが多いようです。

 

(4)形や種類の違い

鳥居の種類は細かく分けると数十種類ありますが、大きくは次の二種類に分けて説明されることが多いです。

「神明(しんめい)鳥居」:全体的に直線的な鳥居です。鳥居の一番上にある横木の両端が反っていません。その下にある「貫」の両端が柱の外に突き出していないシンプルな形が特徴です。 

今まで参拝した神社では少なく、北海道神宮の「公園口鳥居」、川崎の久本神社などの鳥居が神明鳥居です。

北海道神宮の「公園口鳥居」

 

②「明神(みょうじん)鳥居」:「笠木」の両端が空へ向かって反りあがっていて、その下に「島木」を重ねているのが特徴です。神明鳥居に比べると力強く華やかな雰囲気を感じます。

今回の三光稲荷神社、椙森神社もそうですが、殆どの鳥居が明神鳥居です。今年3月に参拝した鶴岡八幡宮の三の鳥居。

 

他の鳥居の種類に、厳島神社の「両部鳥居」、春日信仰の神社の「春日鳥居」などがあります。

 厳島神社の「両部鳥居」

 

神社について調べようと思ったのですが、「鳥居」だけでも発展の流れ、素材の違い、潜る作法などまだまだ知りたいことがあります。神社についての他の事柄については、またの機会とし、長くなるのでこの辺で終わりとさせて頂きます。次回は人気の「小網神社」です。

以上