先日、「幻の寺、ゆかりの如来像、百草八幡神社で4年ぶり公開」との読売新聞の報道がありました。秘仏、幻の寺、4年ぶり公開と魅力的な言葉が並びます。
百草八幡神社はどこかと思えば、比較的近い東京都日野市です。神社で秘仏を公開とはどういうことだろうと思いつつ、行って参りました。
「八幡神社の幟(のぼり)」の前に、秘仏公開、幻の真慈悲寺の公開講座のポスターが貼ってあります。
幟ポールの下の方に付いている狛犬です。


ここまで、かなりの急坂を登ってきたのですが、まだ社殿へは、石段が何段も続きます。
尚も続きます。
やっと社殿が見えて来ます。
社殿
拝殿の前の阿吽の狛犬、御神燈が見えます。
阿吽の狛犬です。迫力あります。


阿の狛犬の後ろに手水舎がありますので身を清めます。
拝殿です。
拝殿の前に「天平寶字」と刻まれた台座に一対の山犬型の狛犬が鎮座しています。猫ちゃんみたいな可愛い表情です。
天平寶字(てんぴょうほうじ)は、元号で、757年~765年までの期間。天皇は孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇(孝謙天皇重祚)の時代です。孝謙天皇は聖武天皇、光明皇后の娘ですから、この新しそうな狛犬は、その時代から延々と受け継がれてきたのでしょうか。
拝殿の中で、宮司さんと協賛者らしき方々が歓談しています。
こういう光景は、見たことがありませんが、地域と繋がりが深いことが分かります。神紋は、左三つ巴で、扁額は八幡宮です。
百草八幡神社に成就祈願の貼り紙がありますが、御由緒も少し書かれています。
御由緒
創建の年代は不詳です。康平5年(1062)、源頼義が奥州征伐に向う途中、当八幡神社に戦勝を祈願しました。建久3年(1192)には源頼朝が武運長久を祈願して、太刀一振を奉納したとされます。 明治36年 (1903)、百草鎮座の秋葉山大権現社、御嶽神社、稲荷神社を合祀しています。
御祭神です。
気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)
武内宿禰(たけしうちのすくね)
本殿です。
境内には巨木が多数あります。しめ縄がついている木が2本ありますが、どちらも御神木でしょうか。
社殿の後ろにもっと大きな「しいの木」がありました。
銅造阿弥陀如来坐像、4年ぶりの公開
扨て、ここから本題です。金銅阿弥陀如来坐像の御開帳です。阿弥陀如来坐像は、社殿の右側の「阿弥陀堂」に安置されています。
年に一度、祭礼の時に公開されていましたが、コロナ禍で4年ぶりに公開されたものです。なぜ神社に阿弥陀如来像があるのかという疑問ですが、そこには深い未だ解明されていない歴史があります。
阿弥陀堂の傍で展示されていた写真です。
仏像の背面の写真が出てくるのは珍しいのですが、背面に刻まれた銘文が重要です。「真慈悲寺」の名前が出てくるためです。
皇帝(後深草天皇)、日本主君(将軍藤原頼嗣)、当国府君(北条時頼)、子孫平安、両親の菩提を願い、建長二年(1250)施主の源氏某と願主の慶祐により、「真慈悲寺」に寄進されたことが記されています。
そして、「阿弥陀如来坐像と真慈悲寺」、「真慈悲寺と『吾妻鏡』」という説明も展示されています。
説明書きによりますと、「真慈悲寺は、11世紀末~14世紀世紀前半に存在した大寺院で、京王百草園内での発掘調査により13世紀代の瓦が多量に出土している。この寺が廃絶したあとも、阿弥陀如来坐像は百草八幡神社の八幡神の本来の姿を示す仏像としてこの地に伝えられている」とのことです。
また、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』によると、真慈悲寺は、武蔵国にあった祈祷の霊場でした。1192年に源頼朝が鎌倉で営んだ後白河法皇の法要に、同寺から3人の僧を送ったとあり、有力寺院だったことが分かります。室町時代には姿を消し、専門家の間で謎の多い「幻の寺」とされています。
成程よく分かりました。この阿弥陀如来像は、真慈悲寺が消滅した後、八幡神として百草八幡神社で安置されているようです。
その他、百草園で出土された真慈悲寺に関連するものが写真展示されています。
百草仁王塚で出土した経筒(きょうづつ)です。経典を土中に埋納する際に、経典を納める筒形の容器です。
百草園内出土の中世13世紀後半の瓦です。大型で厚く、軒平瓦を飾る「蓮華唐草文」が特徴です。
境内社の鳥居です。
鳥居をくぐると4基の祠が鎮座しています。
稲荷神社です。
秋葉山大権現です。
どちらかが御嶽神社と思われます。


そして、近くに「松連禅寺之碑」とその説明書きがあります。
松蓮寺は天平年間(729~749)に建立されたといわれ、鎌倉時代に廃寺となっています。その後、享保年間(1716~1735)に小田原城主・大久保家によって徳川家康の長男・信康追悼のために再建されました。その時に整備された庭園が百草園です。
碑文には色々な歴史が書かれていますが省略します。
御朱印は、この神社では扱っていません。書置きのみですが、少し離れた多摩市の小野神社において頂けます。
この後、百草観音堂を拝観した後に、小野神社を参拝し、頂いて来ました。
所感
急坂を登り、百草八幡神社に参拝しましたが、百草園とこの神社周辺は、歴史の宝庫だと云うことがよく分かりました。歴史から消えて行った二つの寺院、鎌倉時代が終わると共に消えた大寺院「真慈悲寺」、江戸時代に真慈悲寺の跡地に建てられ、明治時代初め神仏分離令により消えていった「松連寺」と謎が多過ぎます。
そして現代において、残された「阿弥陀如来坐像」を百草八幡神社で拝観するという歴史の不思議です。
阿弥陀如来坐像ですが、格子やガラスなどは無く、間近で拝観することが出来ました。堂内は暗いですが、傍に懐中電灯が置かれていて、それによって、よく観ることが出来ました。
像高は40cm位と比較的小さな仏像ですが、光背や台座があるせいか、大きく見え堂々としています。全体に素朴で阿弥陀定印ながら、親しみやすさが感じられる仏像といった印象です。何より背面に由緒を伝える銘文が明確に刻まれて貴重で優しい良品です。
当日の百草八幡神社は、参拝者が多く賑やかでした。お祭りみたいな雰囲気の中で、秘仏の御開帳が行われ、拝観出来たことは、私にとって初めてで貴重な体験でした。
まだまだ百草園などこの周辺は、歴史巡りをするところが多数あるようで、機会をみて、この歴史の宝庫を散策したいと思います。
この後、近くの百草観音堂に行き、そして、小野神社へと行きました。長くなりましたのでこの辺で、続きは後ほど。
おわり