埼玉県川越市の寺社巡りが続きます。「川越駅」から近くの「川越八幡宮」を参拝した後に「仙波東照宮」に向かいます。

仙波東照宮の由緒
仙波東照宮(せんばとうしょうぐう)は、徳川家康の遺骸が久能山から日光へ移葬した元和3年(1617)に喜多院で供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)にこの地で創建しました。
喜多院の南側に隣接して鎮座し、川越の徳川ゆかりの地を象徴する存在で、天海の関与のもと社殿が造営され、東照社(のち東照宮)として成立。 寛永15年(1638)川越の大火で仙波東照宮も焼失したと伝えられます。
その後、徳川家光の命により復興が進められ、寛永17年(1640)に現在に伝わる主要社殿が整えられました。現在は社殿群の一部が文化財として保護されています。
御祭神:徳川家康
境内の説明書きです。

入口から鳥居へ
仙波東照宮の入り口です。

参道の先には、紅い「随身門」が見えます。随身門は「ここから先が神域」という区切りを示し、東照宮表門にあたります。門に安置してあった随身像は、現在拝殿に、後水尾天皇の勅額は幣殿に飾ってあります。
随身門は「朱塗八脚門」とされ、脚柱を持つ構えが「格式ある入口」の印象を強めます。本殿・唐門・瑞垣(みずがき)などと並び、随身門も国の重要文化財に含まれます。


この隋身門から入ると向こうに鳥居が見えます。

石造りの鳥居です。石鳥居は、寛永15年(1638)に川越城主・堀田正盛が奉納した明神鳥居で国指定重要文化財です。


拝殿、幣殿
石段の上に朱色の拝殿が見えます。


参拝前に清めようとしましたが、手水鉢は使われていないようです。

仙波東照宮の拝殿です。桁行三間、梁間で単層入母屋造、正面は向拝一間付き、銅板本葺。


拝殿手前の阿吽の狛犬です。


また、拝殿の背面に幣殿が直結して一体化しています。背中合わせに近い形で連結し、外観上も「拝殿+幣殿」でひとまとまりの礼拝空間として成立しています。

拝殿の長押(なげし)には絵師岩佐又兵衛勝似の描いた「三十六歌仙額」が掲げられています。幣殿内部正面に後水尾天皇自筆「東照大権現」の勅額が掲げられ、左右の長押には狩野探幽作と伝えられる「鷹絵額十二面」を配しています。拝殿と幣殿が一体として重要文化財の対象になっているようです。
本殿
仙波東照宮の社殿配置は、拝殿、幣殿が本殿と一体化した権現造ではなく、本殿は唐門と瑞垣(みずがき)に囲われています。本殿側には入ることが出来ません。
拝殿の左側から撮った本殿、唐門、瑞垣。

拝殿の右側から撮った本殿、唐門、瑞垣。

本殿は三間社流造、銅瓦葺の社殿で、本殿の正面には唐門が置かれ、左右から瑞垣が延びて本殿を囲みます。唐門は本殿へ入る正門で、唐破風の曲線と黒・朱・彩色の部材が近い距離に集まります。
瑞垣は総延長30間の透し塀で、朱塗の柱列と緑の竪格子が本殿の周囲に境界をつくります。
右側の柵の隙間から撮った本殿です。国の重要文化財で極彩色が強いです。

説明書きです。汚れてよく読めませんが。

石灯籠
仙波東照宮の石灯籠は、単なる照明ではなく、徳川家康を祀る東照宮へ「献灯」した奉納品としての意味合いが強いです。石灯籠は、歴代川越城主が東照宮を修理した時に奉納したもので、2基一組、全部で26基あります。

本殿前の石灯篭の献備者は、松平伊豆守家3代の6基です。松平3代は、新河岸川舟運を開いたり、町割り(都市計画)を作ったり、川越を発展させた大功労者です。
本殿左側の石灯籠3基。

本殿右側の石灯籠3基。

拝殿横の灯籠は、奉納者や年代が刻まれた「歴史資料」としても見所になります。灯籠が左右に置かれるのは、参拝の正面性を強め、場を整えるための配置として考えられます。
拝殿左側の石灯籠14基。

拝殿右側の石灯籠6基。

最後に拝殿の前の扉に付いている「徳川葵」の社紋です。

また来た石段を下り次の待望の「喜多院」に向かいます。

説明書きを見ますと喜多院に行く途中に境内社の「厳島弁財天」と書かれていますのでそこに寄ります。

途中に説明書きには社務所と書かれていますがカフェのようです。

更に行くと「厳島弁財天」が見えて来ます。全体が社を取り巻く「葵庭園」のようです。


太鼓橋を渡ると先に鳥居と祠があります。



おわりに
仙波東照宮は喜多院の南側にあり、徳川家康を祀る由緒ある東照宮で、日光、久能山とともに日本三大東照宮の一つとも云われています。
今回の仙波東照宮を巡って先ず感じたのは、規模は決して大きくはないのですが、歩くほどに歴史の重みが伝わってきました。なぜなら最初の随身門から石の鳥居そして社殿の本殿・拝殿及び幣殿・唐門・瑞垣まで国の重要文化財に指定されています。重要文化財(建造物)は、歴史的・芸術的価値が高い建造物を国が指定して保護する制度です。仙波東照宮は、江戸初期の東照宮建築としての歴史性と、装飾豊かな意匠・技術がまとまって残る点が、指定の根拠になっているようです。特に川越大火で焼失後、寛永17年(1640)に再建され、江戸初期の東照宮建築の姿を伝える資料性が高いとされています。
社殿以外でも随身門は、八脚門の落ち着いた構えで社殿の豪華さとは違う端正さがあります。そして石灯籠は、社殿の華やかさとは別の形で歴史を語っているように思えます。拝殿前や本殿前に並ぶ灯籠には歴代の川越藩主による奉献の歴史が刻まれています。建物だけでなく、それを支えた人々の存在まで想像させます。
残念ながら拝殿の前の扉は日曜・祝日以外は閉じており、また常時本殿への一画は隔てられています。本殿は拝殿側から遠く眺めるだけで、間近に拝見することは出来ません。本殿へも開放される日があるのなら是非再度拝見したい神社です。有難うございました。
以上




























































































































































































































































