見事な安養院の紅頗梨色(ぐはりじき)阿弥陀仏

 今回も寺院巡りで素晴らしい仏像に出会いました。板橋区にあります安養院の紅頗梨色(ぐはりじき)阿弥陀仏です。東京にも数多く素晴らしい仏像があるものです。

 

 安養院の山号は、武王山、宗派は真言宗豊山派で、豊島八十八ヶ所霊場の1番札所でもあります。

武王山最明寺・安養院の創建は、鎌倉時代1256年鎌倉幕府五代執権北条時頼公によります。出家され諸国行脚のおり、この地に立ち寄り持仏の摩利支天尊をお祀りになったのが起源とされています。

時頼公の嫡男は、二度の元寇を処理し円覚寺を創建した時宗です。

その後兵乱により灰燼に帰しましたが、1688年(元禄元年)に祐淳大比丘が再興し、阿弥陀如来を本尊として祀り現在の安養院を形づくりました。

 安養院は、思ったより大きな綺麗な佇まいの寺院です。まず山門から入ります。扁額は山号の「武王山」です。

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安養院の山門

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扁額「武王山」独特の字体です。

 山門から入って、直ぐ正面に本殿がありますが、その左側に弘法大師の修行像があります。そして、その周りに四国霊場八十八カ所の石踏があり、そこを巡ります。

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弘法大師の修行像

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四国八十八カ所霊場石踏

 近くに樹齢500年と云われる榧(かや)の木もあり、豊かなみどりが広がる寺院です。

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樹齢500年の榧の木と十三重石塔、金輪

 地蔵さんもあちこちにあり、カラフルで綺麗な頭巾、涎掛けをしています。

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お地蔵さん


 その奥に多宝塔・常圓堂があります。多宝塔の本尊は五智如来、常圓堂は阿弥陀如来です。

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多宝塔・常圓堂

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圓堂の本尊 阿弥陀如来立像

 そして本堂です。本堂の扁額も同じ字体、基調で安養院と記されています。

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安養院の本堂

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本堂の扁額 「安養院」


 閉まっておりましたので、住職にお願いして内部を見せて戴きました。

本堂に入ると、そこは空海の華美な世界が広がっています。本堂内陣は、本尊の紅頗梨色(ぐはりじき)阿弥陀如来坐像を中心に、煌びやかな天蓋に飾られ、周りは曼荼羅や仏像、そして五鈷杵を持った弘法大師像などが並びます。

また、密教系の五鈷杵(ごこしょ)」などの法具がならべられています。

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本堂内陣 中央に紅頗梨色阿弥陀如来坐像

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金剛界曼荼羅

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胎蔵曼荼羅

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空海

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五鈷杵などの法具

 本尊の紅頗梨色(ぐはりじき)阿弥陀如来坐像です。

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蓮に囲まれた本尊

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孔雀に座っている本尊 紅頗梨色阿弥陀如来坐像

 宝冠をいただき、阿弥陀定印を結び孔雀坐に座る姿で、光背として、孔雀の羽が広がります。肉身部は、濃いあずき色をしているのですが、赤色に彩色されていたと思われ、宝冠などの飾りに透彫が見られます。

 住職によりますと制作年代など不明で、江戸時代の火災の時に持ち出したと記載された古文書があり、それより以前であることは間違いないということです。江戸時代初期頃かそれ以前の作かと思います。また、天台宗系の仏像にも似たような孔雀に座る像が見受けられるという様なことを話されていました。

 

 孔雀に座る姿を描いた仏画で、仁和寺を代表する仏画孔雀明王像」があります。関係があるのでしょうか。

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国宝「孔雀明王像」(仁和寺

 

 この紅頗梨色(ぐはりじき)阿弥陀仏を拝見しただけでも、ここに来た甲斐がありました。本当に素晴らしい仏像と空海ワールドに満足し、余韻にひたることが出来ました。

最後に御朱印を戴いて、寺院をあとにしました。ありがとうございます。

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御朱印 本尊 阿弥陀如来

                               おわり

奈良大学博物館学芸員資格本年度の予定

 1月に受験した博物館経営論、博物館概論、生涯学習概論の3科目の試験は、無事合格、主要4科目をクリアしましたので博物館実習(二)へ進みます。

 

 4月からの予定ですが、奈良大学から連絡が来ました。しかし、まだ明確な日程は示されませんでした。最近のコロナが勢いを増しているため決めかねているようです。

 一応、博物館実習(二)は、6月中旬から6月下旬の合計5日間、場所は、①大東市歴史民俗資料館②奈良大学通信教育部棟ということでいずれも未定だそうです。

結局、4月30日送付予定の詳細資料を見て下さいということです。

 無理もないですね、最近の近畿圏の感染者数は急激に増加しており、今後、緊急事態宣言が出るかもしれません。

 また、5月の奈良大学におけるガイダンス、講演の予定は無くなり、「学芸員に関する講演」動画をYouTubeで見て感想レポートを提出して下さいとのこと。残念、5月に奈良に行けると思ったのですが。

今年もコロナ禍でどうなるか分かりません。こういう状態は、ワクチンを全ての人が接種し終えて、落ち着くまで3年位かかるのではないでしょうか、耐えるしかないですね。

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奈良大学にて 阿修羅像 復元 山崎隆之先生作

 

 それから、残念ですが、万葉学者の上野誠教授が定年で奈良大学を退任され、母校の国学院大で教授に就任されるとの報道がありました。

わたしは、2年前のスクーリングで上野教授の「神話伝承論」を受講出来たのが幸運でした。上野ゼミが一体となって見事な講義を思い出します。

 上野先生は、「日本一幸運な万葉学者」と奈良で過ごした29年を振り返り、「東京で奈良の風を吹かせたい」と今後への意気込みを語っているそうで、益々のご活躍をお祈りいたします。

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2年前のスクーリングのときの上野教授

                                おわり

横浜歴史博物館の常設展と弥生時代の遺跡

 特別展の「横浜の仏像」も見応えがありましたが、常設展も展示室は開放感たっぷりで広く、原始から現代までの5つのテーマをうまく構成しています。それぞれ人々の暮らし、経済、文化、風俗など展示品も多く見事なものです。

 博物館の見学は、上野の国立博物館が中心で、あとは地元の博物館位しか見てなかったので、この横浜歴史博物館の常設展には少なからず驚き、やはり色々見なければと思いました。

 この常設展は、展示全体が円形状になっているようで、その中を、原始・古代・中世・近世・近現代の5つのテーマに区切って構成され、円形の曲面を利用して見易くなっています。

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広い展示室

 原始は、原始Ⅰ・原始Ⅱと分かれそれぞれ縄文時代弥生時代の展示となっています。説明がパネル、実物など多様し分かり易く、丁寧です。子供にも分かるようにと意識していると感じます。

 例えば原始Ⅰの縄文時代のコーナーです。豊かな森と海に生きた時代として土器、墓などムラのことを数多く展示しています。そのうちの一部です。

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縄文時代の全体展示

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土器にみる他地域との交流 縄文時代から交流があったのですね。

縄文時代から黒曜石などの石材、土器などの国内の交流があったのが分かります。

 そして原始Ⅱの弥生時代の展示についてですが、近くの遺跡、大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡の出土品も展示されています。

その遺跡をジオラマで再現しています。

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大塚・歳勝土遺跡の発掘のジオラマ

 大塚・歳勝土遺跡は、この横浜歴史博物館の直ぐ近くにあります。発掘した後に竪穴式住居などを再現しています。関東の集落がどうなっていたのか、全体像が初めて明らかとなった貴重なものでした。

 今から約2千年前の弥生時代中期の、大塚遺跡のムラの住居エリアと、歳勝土遺跡の墓が一体となって完全な形で発見された遺跡です。

地下に遺跡が眠っており、その真上に当時のムラや墓を復元しています。

約3万平米に85軒の住居があり、弥生時代に50年ぐらい続いたようです。環濠集落であり、やはり稲作、水を巡る争いがあったようで50年とは短かったですね。

実際に見てきました。

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大塚遺跡全体景観

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住居と住居跡の復元

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竪穴住居の復元 茅葺(推定)

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竪穴住居の内部 外から見るより広い印象。炭化した米が発見されています。

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高床倉庫の復元 銅鐸に描かれています。

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柱には「ネズミ返し」が取り付けられていたようです。

 大塚遺跡から80mくらい離れたところに歳勝土遺跡がありますが、25基の方形周溝墓が確認されています。方形周溝墓とは、廻りを4本の溝でかこみ、低く土を盛った墓で、ムラの中の限られた人たちが葬られました。土器棺墓も見つかっています。

土器棺は博物館で展示されております。

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土器棺の展示

 縄文時代にはムラの中に墓があり、地面に穴を掘り遺体を埋葬する土壙墓(どこうぼ)が中心でしたが、弥生時代になると集落の近隣に共同墓地を営み土器棺、甕棺、木棺など埋葬用の棺の使用が中心となっていきます。

 

 話しは、弥生時代の展示に戻ります。

ムラの中の暮らしを絵の大パネル、ムラの状況を再現しでいます。

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ムラの暮らし

 弥生時代の人と物の流れも分かり易く展示し、唐古・鍵遺跡、吉野ケ里遺跡など国内の主な遺跡も紹介しています。

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弥生時代の人と物の流れ
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唐古・鍵遺跡の説明  吉野ケ里遺跡

 また、地元の鶴見区の上台遺跡にて発掘された人面付土器も展示されています。

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人面付土器 弥生式土器にも面白い土器がありますね。

 展示は、原始から古代の古墳時代、奈良、平安時代、中世、近世そして近現代へと移っていきます。

古代から省略し、近現代の明治時代以降に移ります。

 明治時代後半の日本一賑やかな町として関外にある伊勢佐木町の展示がありました。

貿易港横浜が明治時代に誕生して、開港場には内と外を分ける関門がもうけられました。内側が関内、外側は関外で、関外にある伊勢佐木町は日本一の繁華街と云われました。今でも変わりませんね。

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関外 伊勢佐木町

そして、勧工場の横濱館の展示もありました。

勧工場とは、様々な品物を扱う商店が一つの建物の中に集まり、陳列販売を行ったところで、今でいうデパートというところです。昔も今も考えることは一緒ですね。

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勧工場 横濱館 

 

 弥生時代から明治時代に一気に飛びましたが、この辺で終わりとさせて戴きます。

この博物館は、映像コーナーやスタディサロンなど色々工夫を凝らしてやっています。まだ残っている博物館のレポートのために、ここにまた見に来そうです。

                            おわり

 

横浜の仏像 しられざるみほとけたち

 先日、新聞紙上に「横浜の仏像」という展示会が横浜歴史博物館であることを知りました。横浜の仏像ってあまり聞いたことがありません。

横浜歴史博物館も初めて聞くのですが、1月下旬から公開しており今月21日までということや最近東京に見たい仏像がやって来ないので、行くことにしました。

 平日なので見に行く人もいないのではと思ったのですが、意外に賑わっておりました。念のためオンラインチケットを購入しておいたのですが、これが功を奏しました。結構並んでいて、待たずに入れ良かったのです。仏像に興味のある方が多いのかと感じます。

 飛鳥時代から南北朝時代までの横浜の仏像の変化を、体系的に見ることができるという特別展でした。東国にも飛鳥の仏像が来ていたのかと驚きました。

まず入口の前に、横浜市泉区・向導寺の阿弥陀如来坐像(平安時代11世紀)がおりました。傷みが激しい仏像で、関東大震災で大破したようですが、定朝様を思わせる、記念碑的な作品として展示されております。

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阿弥陀如来坐像 横浜市指定有形文化財第1号で、傷みが激しく痛々しいお姿。

 展覧会場に入って、まず飛鳥時代の仏像で如来坐像(伝阿弥陀如来像)です。詳しい伝来は不明ですが、飛鳥時代の仏像があることが不思議です。像高25cm足らずの可愛らしい金銅仏です。念持仏でしょうか。

元々は、西寺尾八幡神社のご神体として祀られていましたが、明治初年の神仏分離令鶴見区・松陰寺に移されたようです。

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飛鳥時代(7~8世紀)如来坐像(伝阿弥陀如来像)口元が微笑んでいます。

 次に、奈良時代の菩薩坐像で、東国では珍しい脱活乾漆造りの半跏像です。奈良の都で造られたものが横浜の金沢区・龍華寺に伝来しました。 

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菩薩坐像 金沢区・龍華寺 奈良時代8世紀 脱活乾漆造り 兵庫・金蔵寺阿弥陀如来像の脇侍の可能性ありとのこと。

 

 平安時代の作品で、薬師如来立像です。平安後期の仏像は優美で繊細なイメージがあるのですが、地方では素朴な親しみある仏像が作られた、横浜もそのようだったのでしょうか。

螺髪が省略されていて、顔が大きく少しアンバランスです。円空仏のような素朴さ。

 

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薬師如来立像 栄区 證菩提寺 平安時代11世紀 みちのくから伝わったのかも知れません。

 同じく平安時代の菩薩立像(伝千手観音菩薩像)で、青葉区真福寺の本尊です。普通千手観音は42臂ですが、8臂(うち2本は後補)となっており、手が肘から分かれているような異例なお姿となっています。

ふっくらとした丸顏で、東国における千手観音像の古例の一つでしょうか。また頭上には9面ついていますが、これも後補のようです。

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菩薩立像(伝千手観音菩薩像)青葉区 真福寺 平安時代12世紀

 

 栄区・證菩提寺阿弥陀如来坐像です。平安時代1175年頃の作品で、三尊像ですが、中尊のみが展示されています。顔の表情は落ち着いており小粒の螺髪が印象的です。

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阿弥陀如来坐像(阿弥陀三尊像中尊)栄区・證菩提寺

 

 次に、運慶仏の鎌倉時代の作品です。

青葉区真福寺の釈迦如来立像です。京都清涼寺の釈迦如来像は、インド、中国、日本と伝来した「三国伝来の釈迦像」と云われていますが、この清涼寺の釈迦如来像を模刻した清涼寺式の釈迦像です。

 清涼寺式釈迦如来像は、全国で100体近く造像されたようで、頭髪を渦巻状にまとめ、通肩(両肩を覆う)にまとった大衣の衣文線を同心円状に表すなど、当時の中国や日本の仏像とは異なった特色を示しています。

また、この像は切れ長い眉や眼、への字にかたく結んだ唇など特徴ある個性的な表情です。ポスターに飾られています。

 

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釈迦如来立像 青葉区真福寺 鎌倉時代13世紀

 

 次に、同じく鎌倉時代金沢区・慶珊寺の十一面観音菩薩坐像です。 

十一面観音像は、像高43cmの小さな像です。左足は踏み下げていますが、半跏像と違い右足先は左足の上でなく前に外し、くつろいだ体勢で、遊戯(ゆげ)坐像と呼ばれます。この姿勢は中国の宋時代の特徴で、静岡県北条寺の観音菩薩像にも見られます。

鎌倉彫刻らしく玉眼できりりとした顔立ちで、衣の流れは躍動的でさえあります。

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金沢区・慶珊寺の十一面観音菩薩坐像

 

 最後に南北朝時代地蔵菩薩坐像です。この仏像は、静岡県河津町・林際寺からやって参りました。

そのきっかけは、3年前の伊豆の上原美術館の調査により、像内の墨書銘文が発見され、そこには制作年、作者朝栄、かつて横浜金沢の能仁寺(廃寺)のご本尊であったことなどが記されていたのです。従って今回、横浜に里帰りを果たす形となりました。

もともと右手に錫杖、左の掌に宝珠を持っています。

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静岡県河津町・林際寺 地蔵菩薩坐像 朝栄作 南北時代1383年


 他にも数々の特徴ある仏像が展示されておりました。 横浜の仏像が、このように多種多様にあるとは思ってもいませんでした。

この特別展のサブタイトルが「しられざるみほとけたち」とあったのは、正にピッタリで納得しました。惜しむらくは、特別展の会場がやや狭い感じでゆっくり鑑賞出来なかったのは残念です。明日でこの特別展は終了のようです。

 

 尚、この横浜歴史博物館は、常設展において横浜の太古から現代までの歴史を、驚くほどの広さとジオラマなどの展示物で展示しております。また近くに弥生時代の遺跡が発掘され、住居などを復元した大塚・歳勝土遺跡公園があります。この情報は後日とさせて戴きます。

 

追記

 前回、浄真寺の九品仏のことを書きましたが、昨日の新聞紙上で京都の浄瑠璃寺九品仏の修理完了のニュースがありました。「紡ぐプロジェクト」の文化財修理事業で、阿弥陀如来坐像の中尊の修理が完了したとのことです。あとの8体は2022年度に完了するようです。印相などどうなっているか見たいものです。

                               おわり

九品仏浄真寺の「五劫思惟像」

 今年になって初めての寺院参拝です。比較的近い世田谷区の九品仏(くほんぶつ)を参拝に浄真寺に行って参りました。

御本尊の釈迦如来坐像、九品仏阿弥陀如来坐像は見応えありましたが、他に「五劫思惟(ごこうしゆい)像」は見たことがない珍しい仏像でした。

 東急線九品仏という小さい駅があり、そこから直ぐの場所にあります。「九品仏」とは、浄真寺に安置されています九体の阿弥陀如来像のことです。

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東急線九品仏駅

 駅から参道を歩き山門の前にあります「総門」を入ります。3匹の猫が総門の前にお出迎えです。

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参道

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総門 扁額は、「般舟場」

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総門の前の猫ちゃん3匹お出迎え

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ノビノビー 猫ちゃん

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境内にもおります猫ちゃん。

 正式には「九品山唯在念仏院浄真寺」と云い、浄土宗の寺院です。

四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年(1678年)に奥沢城の城跡を寺地として賜り、高僧「珂碩(かけん)上人」が浄真寺を開山しました。山号(さんごう)は九品山。

 

総門から入ると直ぐにお地蔵さんがあちこちにおります。

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お地蔵さん

 閻魔堂があり、閻魔大王が笏を持ち憤怒の形相をしています。

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閻魔大王

 また開山堂には、珂碩上人自彫のご本尊が祀ってあります。上人像は、古来より安産・厄除・開運にご利益があるとされて、現在も信仰されています。

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開山堂

 そして、やっと山門(仁王門)に入ります。ここから本堂、九品仏のある上品堂などへ進みます。

山門は別名「紫雲楼」とも呼ばれ寛政5年(1793年)の建立です。阿吽の一対の仁王像の他に、楼上に阿弥陀如来と二十五菩薩像、そして風神・雷神も安置されているそうで、一度見てみたいものです。

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山門(仁王門) 重厚荘重なる仁王門です。
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阿吽の仁王像

 本堂の横に、釈迦の足の裏の形を刻んだ「石仏足」を見つけました。仏足石の起源は、玄奘三蔵の『大唐西域記』に、釈迦の入寂を知った阿難尊者の悲しむのを見て、そこにあった石に足形を残されたのが起源とされています。

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石仏足 天保年間のもの

 そして、いよいよ風格漂う龍護殿と呼ばれる本堂です。堂内にご本尊の釈迦如来坐像をはじめ数々の仏像とご尊像が祀られています。

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ご本尊の釈迦如来坐像 像高約3mの巨体が鎮座しています。

 

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宗祖の法然上人像

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賓頭盧尊者びんずるそんじゃ) 釈迦の弟子の1人。

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高祖善導大師像

 そして、堂内で、最も異彩を放っていますのが、阿弥陀仏信仰を象徴する「五劫思惟阿弥陀仏像」です。

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五劫思惟像

 どうでしょうか。長い瞑想の果てに髪がこのように伸びたのでしょうか。その体躯に比して異様なボリュームの螺髪が印象的です。

なぜこのような髪になったのかは、阿弥陀仏法蔵菩薩だったころ、五劫という長い年月全ての衆生を救いとろうと思惟し続けたため、と云われています。

一切の衆生が念仏を唱える事で極楽浄土に往生できるのも、自分がこれだけ修行したからと主張しているかのようです。

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五劫思惟像 木造(寄木造り)像高約120cm 江戸時代の像立

 

 本堂の三十六間向かい側に、上品堂を中央に、右に中品堂、左に下品堂の3仏堂があります。各仏堂に阿弥陀仏像3体ずつ安置されております。九品仏です。

これらの九品仏が、それぞれ異なった9通りの印相を示しています。これは『観無量寿経』に説く九品往生(くほんおうじょう)の思想に基づくものです。

極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされています。

「上品上生」から「上品中生」「上品下生」、「中品上生」「中品中生」「中品下生」そして「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至ります。

 浄真寺の九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」、説法印を「中生印」、来迎印を「下生印」として、親指と人差し指(中指、薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」に充てています。

九品は、浄土教極楽往生の際の九つの階位を表しています。人の往生には上品・中品・下品があり、さらにそれぞれの下位に上生・中生・下生の合計9ランクの往生があるという考え方です。九品仏はそれを表した9体の阿弥陀仏のことです。

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上品堂(じょうぼんどう)

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上品堂の阿弥陀仏

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上品堂の印相(お堂に置かれているパンフレットより)

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中品堂(ちゅうぼんどう)の阿弥陀仏

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中品堂の印相

 

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下品堂(げぼんどう)の阿弥陀仏 (改装中)

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下品堂の印相

 本堂内にて御朱印や御守り等の授与品が戴けます。九品仏は、漆箔の浮き上がり、矧ぎ目の損傷などが多く認められます。

そのため2014年より一躰ずつ、計十躰の修繕を20年以上に亘る「九品佛大修繕事業」を行っています。

その一環として龍護殿にて「勧進写経」を行っており、勧進を納めて写経をしますと、見事な限定の金紙御朱印が戴けます。写経と云っても「南無阿弥陀仏」と書くだけです。わずか6文字ですが、心が洗われた感じがします。

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写経所 ご本尊の直ぐ横にあります。

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写経 うまく書けませんが。

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写経限定の御朱印

中央の文字は、古代インドのサンスクリット語が起源の梵字で、阿弥陀如来を表わしています。阿弥陀如来の「種子字」で、その仏様を象徴する一音を文字で表したものでキリークと云います。

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キリーク

 わたしは、何かとふくろう(不苦労)の小物を集めていますが、ストラップがありました。

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ふくろうの鈴守

 

 この淨眞寺の境内は、都心にありながら広く静寂としており、また古木が多く、樹齢数百年と思われるカヤ、イチョウなどもあります。コロナ禍のせいか参拝者も少なく、穏やかな気持ちとなるひと時でした。

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カヤの大木

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イチョウの大木

                           おわり

春を待つ生きものたち

 首都圏の緊急事態宣言が再延長されるようです。感染者数が急激に減ってから、最近人出が増えているようなので、もうこれ以上減らないと感じます。

PCR検査の最大拡充、ロックダウンなど思い切った策をとらない限り、ワクチン効果がでるまで、だらだらいくのではないでしょうか。ワクチン供給も遅れそうで先が見通せません。

 

 一方、季節は、冬から春に確実に移っていこうとしています。

我が家の庭の梅は、都下のため都心よりは遅く、今やっと盛りで、直ぐ横にある椿の花もピンク色と併せて綺麗です。

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椿

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梅と椿

 千両、万両、南天の赤い実は、すっかり野鳥に食べられもう1粒もありません。今度は、椿と梅の蜜を吸いにメジロヒヨドリがやってきます。生きるために逞しいです。

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赤い実を全て食べられた千両、万両

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逆さになって蜜を吸うメジロ

 また、クリスマスローズもあちこちにいつの間にか咲いています。

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クリスマスローズ

 鉢植えのランも咲いており、長い期間楽しめます。

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ラン 名前はわかりません。

 メダカも今年冬眠もせず元気に寒い冬を乗り切ったようです。

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日当たりの良いところの水槽は冬眠しません。水は替えていないので黄色くなっています。

 そして、柴犬チロリです。相変わらず元気で、早起きで暗いうちから散歩に行きたくて玄関で待っています。

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いつもこんな感じで寝ているチロリ。

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眠りが浅く直ぐ起きるチロリ。

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起きてスッキリしたチロリ。

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どこから見つけたのか黒い糸を、口で咥えています。

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反省しているようなチロリ。

 こうして、それぞれ冬を耐えて春が来るのを健気に頑張って生きております。生きものたちには、いつも本当に癒されています。

                         おわり

高倉健さんの「南極物語」

 以前、最近出版された『その犬の名を誰も知らない』という本について、ブログに書きましたが、先日この題材の映画がテレビ放映されていました。40年前の映画です。その題材とは、南極で置きざりにされたカラフト犬タロ、ジロと越冬隊員が1年後に再会する物語です。

『その犬の名を誰も知らない』のブログは、

『その犬の名を誰も知らない』 - クマケア治療院日記 (hatenablog.com)

 古い映画は暗い感じで見にくいのですが、デジタル・リマスター版ということで、画像も綺麗で2時間半くらいの大作です。

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南極物語」のポスター

 現在は、白黒の写真もカラ-に再生出来るくらいですから、画像の技術は進んでいます。

この映画のキャッチコピーは、「どうして見捨てたのですか、なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか。」ということで、当時のバッシングは強かったようです。

この答えも映画でよく分かり、ブログでもふれております。

 この映画の大筋は、南極に置き去りにされた犬たちのその後の行方と、犬係二人の帰国後の苦悩の姿、そして最後に犬係とタロ、ジロとの再会がで終わります。

 先ず、置き去りにされた犬たちのその後を、各々の犬の性格などから想像と創造で物語が描かれています。

 鎖でつながれた15頭のカラフト犬の泣き叫び、弱っていく姿から始まります。

アンコ、ジャック、リーダー犬のリキ、ジロ、シロが首輪抜けをして放たれます。風連のクマ、そしてタロも首輪抜けをし、ベリーも続きます。

 遂に、首輪抜けの出来なかった7頭の犬たちの弱って倒れていく姿、見事な演技と分かっていても可哀そうなシーンに胸が張り裂けそうになります。

その後の放たれた犬たちの姿も、見事に再現されていました。

未踏峰の山ボツンヌーテンの犬ソリ探査を思い出し、デポの食料をみつけるリーダー犬のリキ。

流氷に乗って離れていくアンコ。3歳利尻生まれ。

 風連のクマと、流氷に乗ってどこかにいったアンコの2頭が戻ったのには驚きました。風連のクマは、また大陸の方へ消えて行ってしまいます。

リキ、アンコ、タロ、ジロの4匹になり、空腹と寂しさとで疲労しきる4頭の姿があります。

 それでも4頭でアザラシを襲いますが、逆にアンコはアザラシに海に引き込まれて、とうとうリキ、タロ、ジロ3頭になります。

 リーダー犬リキ、『その犬の名を誰も知らない』に書かれている第3の犬ですが、遂に力尽きます。

 そして、残ったのは南極育ちの1歳のタロとジロです。タロとジロは、基地から離れることは出来ませんでした。遠征などから帰っても、基地がふるさとであったのです。

 この冬を基地で待つタロ、ジロに、南極の夏が帰って来ます。

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タロ、ジロと奇跡の再会を果たした北村隊員

 そして、犬係の二人の苦悩と葛藤の物語があります。犬係の二人とは、高倉健さん演じる菊池隊員と渡瀬恒彦さん演じる北村隊員です。

有能な地質学者の菊池隊員は、帰国後、世間の非難とバッシングに晒されますが、一切弁明せずに耐えます。

北海道大学講師の職を辞し、カラフト犬の故郷の稚内など犬の提供者への謝罪の旅に出ます。

 北村隊員は、南極から帰国後、南極越冬隊での事は一切口にせず以前の仕事に復帰しますが、犬たちのことを忘れられずに苦悩するのです。

そして、1年後の南極観測隊に再び志願してやってきた二人の隊員は、タロとジロに再会します。

映画では、両者がタロとジロに再会していますが、実際には、菊池隊員は観測隊には参加しておらず、北村隊員のみが、犬たちとの再会を果たしています。

 そして、いよいよ感動の最後のシーンです。基地で二人は、鎖に繋がれた犬の死体を発見します。そのとき、タロとジロが姿を現わします。

駆け寄る二人ですが、最初は分からず唸っていたタロ。

 しかし、菊池隊員の叫びで近寄る2頭、抱き合う二人と2頭、感動のシーンです。こうして映画は余韻を残して終わります。

 

あらためて15頭のカラフト犬のその後をおいます。

①繋留場で遺体を収容された犬7頭、

ゴロ、ペス、モク、アカ、クロ、ポチ、紋別のクマ

②氷海に消えた犬6頭、

リキ、アンコ、シロ、ジャック、デリー、風連のクマ

そして

③生き残ったタロとジロ

 この映画は、当時の日本映画の配給収入の1位を記録し、宮崎駿監督の「もののけ姫」まで破られなかったそうです。

尚、この「南極物語」のリメイク権をディズニーが取得し、登場人物を米国人とするなどして新たな物語として製作されています。海外でも反響があったようです。

 

 蛇足ですが、この映画では、主役の高倉健さんの墓が鎌倉の光明寺にあります。お寺巡りをしていると有名人のお墓に会うことがあります。高倉健さんの家が、北条氏の末裔で墓がたてられたようです。

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高倉健さんの墓  一番上の文字はサンスクリット語のようです。

                           おわり