目黒区歴史散策「馬頭観音」と「第六天社」の信仰

 目黒区の散策が続きます。日蓮宗の寺院「正覚寺」、「中目黒八幡神社」を参拝し中目黒駅の方へ向かいます。今回は、街中にひっそり佇むお堂「馬頭観音」そして小さな神社「第六天社」です。

 

目黒馬頭観音

 目黒は、地名の由来の馬畔(めぐろ)説、愛驪(めぐろ)説をはじめ、目黒競馬場など馬に縁の深い土地です。区内で確認されている馬頭観音10数基。民間信仰や生活の歴史を伝える貴重な文化財です。

 

「中目黒駅」近く、目黒銀座通りの中程に、「目黒馬頭観音」があります。

 

 石碑の近くの教育委員会の説明書きです。

以下抜粋。

 「大正時代の終り頃、この辺りには小規模の乳牛牧場や馬力運送を業とする者も多く、目黒恵比寿畜舎運送組合を結成していました。その発起人により、牛馬の息災を護り、死後の菩提を弔うとともに、土地の開発を願い東松山市上岡の妙安寺から馬頭観音の分霊を勧請し安置しました。

 その後、馬頭観音像も安置され、大正12年(1923)に妙安寺住職を招いて入仏開眼式が執行されました。翌年大祭が執行され、50数頭の馬も参列したといわれています。 現在の社殿は昭和10年(1935)の建築であり、昭和31年(1956)に「目黒銀座観音」と改称されました。江戸時代からの馬頭観音信仰を伝える貴重な資料でもあります。」

 手水鉢があり身を清めます。

 

 お堂です。神社の拝殿みたいです。

 

 入口に「絵馬が電気店にて300円で販売しております。」とのこと。絵馬やはり神社でしょうか。

 

 堂内を覗くと明かりが灯され、馬頭観音の描かれた額が正面にあります。その上の厨子に「馬頭観音像」が安置されていると思われます。

 

 お堂の左側に石仏、石碑が並んであります。

 

 特にこの石仏が気になりますが、多面多臂で半跏の馬頭観音像です。輪郭もはっきりしていて見事な出来栄えです。

 

第六天社

 目黒馬頭観音から中目黒駅近く、目黒銀座通りに面した「第六天社」に向かいます。大きなビルの谷間に見えました。

 

 ここにも教育委員会の説明書きがあります。以下抜粋。

 

 「この社祠は第六天社と呼ばれ、最初は石川橋の付近にありましたが、明治末期から大正初期にかけて推進された神社合併政策により、上目黒氷川神社に合祀されました。
 その後、道路建設(現在の山手通り)により、昭和10年(1935)地主朝倉氏の協力を得て、地元有志の発起により上目黒2丁目に社祠が再建されました。
 また、中目黒駅前最開発に伴い、平成11年(1999)、中目黒八幡神社に仮安置されましたが、平成14年(2002)、目黒銀座通りに面するこの場所に移されました。」
 御祭神:面足尊(おもだるのみこと)

     惶根尊 (かしこねのみこと)

 

 昔、近くにあった石川田圃や小川田圃を水害や旱魃などから守る農村の守護神・厄除けの神として祀られていました。現在は、健康長寿、商売繁盛、家内安全の神として信仰されています。

 

 手水鉢があり、ここでも身を清めます。

 

 社祠に向かい参拝させて頂きます。

 

おわりに

 中目黒駅近くの小さなお堂、社祠を巡りました。最初の「目黒馬頭観音」ですが、馬頭観音だけでこのような立派なお堂を建てていた事に驚きました。馬頭観音の石碑はよく路傍で野ざらしのものが見受けられます。「馬頭観世音」の文字だけとか、庚申塔みたいに馬頭観音の絵が描かれた石仏などです。

 馬頭観音は、江戸時代の馬頭観音信仰、明治に入ると運送業者、競走馬、軍馬として人々の生活に入り込むようになります。特にこの目黒の地は、乳牛牧場や目黒競馬場など馬に関わりが深いことから生まれたと推測できます。お堂の中の厨子に守られた木彫の馬頭観音像(24.3cm)を機会をみてぜひとも拝観したいと思います。

 

 第六天社は、明治末期の神社合併政策、地域の再開発、道路建設などにより何度も移転を余儀なくされた社祠です。

 現在は目黒駅周辺の再開発によりできたビルの一角に社祠を構えています。御祭神が天津神六代の神で、病気や火事など7つの災難苦難を取り除くと云われており、その通りしたたかに生き残っています。

 鳥居の傍に立つ刀身のような形をした石碑には「第六天社」の文字がくっきりと刻まれていました。

 

 中目黒駅近くの小さなお堂と社祠でしたが、地域の方々の信心深さにより、このように延々と繋いでいる姿を拝見して感動しました。有難う御座います。

                                以上