風情漂う新宿神楽坂の寺社散策:毘沙門天「善國寺」

 新宿区神楽坂の寺社散策が続きます。今回は、光照寺から地蔵坂を北東に数分、神楽坂に面した日蓮宗の「善國寺」です。

 

神楽坂です。夏祭りがあるのか、赤い提灯が目立ち華やかです。

 

「善國寺(ぜんこくじ)」

 山号:鎮護山

 寺号:善國寺

 宗派:日蓮宗

 本尊:三宝

 開山:佛乗院日惺 (にっせい)

 開基:徳川家康

 

善國寺の縁起

 鎮護山善国寺は、日蓮宗池上本門寺の末寺です。開山は、池上本門寺十二代の住職、日惺上人で、徳川家康より天下安全の祈祷の命をうけ、文禄4年1595に麹町六丁目(千代田区)に創建しました。度々火災に見舞われ、寛政4年(1792)の類焼に際しては、火除地として召しあげられ、替地として現在地を拝領し、翌年移転しました。  有名な毘沙門天像は、加藤清正の守本尊とも、土中より出現したともいわれます。 

毘沙門天は、多聞天の別称で、四天王の一つ、仏法や北方を守護する軍神であり、江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集めました。現在は、山の手七福神の一つに数えられています。

 

善國寺の山門から本堂へ

 山門ですが、稲荷神社と見間違う程、朱塗りが目立ちます。山門の上部真ん中に鬼瓦です。

 

山門の左右の柱に毘沙門天、神楽坂の文字。

 

山門の右にも入口があります。こちらは、日蓮宗、善國寺の文字が。夏祭りの提灯が目立ちます。

 

本堂です。

 

本堂の手前左に、「山之手七福神 毘沙門天」と刻まれた石標があります。

 

 その隣に新宿区指定有形文化財彫刻の「善國寺の毘沙門天像」と、新宿区指定有形民俗文化財「善國寺の石虎」の説明掲示板があります。

 

本堂前の阿吽の石虎です。迫力あります。

 

 説明板によると、「安山岩製の虎の石造で、台石・基檀部も含めた総高は、両像ともに2mをこえる。台石正面には浮彫があり、虎の姿を動的に表現している。
 嘉永元年(1848)に奉納されたもので、寄進者が善國寺周辺の住民であったことがわかる。善國寺は毘沙門天信仰から「虎」を重視し、石虎の造立も寄進者らの毘沙門天信仰によると考えられる。石虎は都内でも珍しく、区内では唯一の作例である。…」とのことです。

 また、毘沙門天像は正月、五月、九月の初寅の日に御開帳されるようです。

 

石段を上がり参拝します。「日蓮宗橘」の寺紋が扉に。

 

扁額は山号の「鎮護山」。

 

内陣です。

 

『江戸名所図会』に見る牛込神楽坂

 天保7年(1836)刊の『江戸名所図会』(巻之四 第十一冊)には、長谷川雪旦の挿し絵「牛込神楽坂」に善国寺・毘沙門堂の全景が描かれ、「月毎の寅の日には参詣移しく、植木等の諸商人市をなして賑へり」と註記されています。

 絵の中央を斜めに通っている路が神楽坂です。右上に「毘沙門堂」、「善国寺」、「こんぴら」と書かれています。

 

本堂の左側に、浄行菩薩像があります。

 

その奥に守護神の「出世稲荷社」です。

 

御朱印

最後に御朱印です。本堂の右側にある寺務所にて頂きました。

寺務所

 

毘沙門天御朱印

 

おわりに

 今回散策の神楽坂は、実際に神楽坂という坂があり、坂の周辺の地名でもあります。また、神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街でもありました。神楽坂は昔からの風情も残りながら、近代的な街に変わろうとしている感じです。

 そのような所にある「毘沙門天善國寺」は、神楽坂の象徴のように感じます。善國寺には、毘沙門天像をはじめ神社の狛犬のような阿吽の石虎など文化財もあり見所が多く楽しめました。

 尚、今回の善国寺の毘沙門天像は、新宿山ノ手七福神の一つです。未だ行っていないのは、 経王寺(大黒天)を残すだけになりました。大黒天は正月にでも他の七福神も一緒に巡ろうと思います。

                     以上