神仏習合、それは、日本人が千年をかけて、神と仏を一つの信仰体系として融合し、独特の信仰を作り上げてきました。
ということは、前回書きましたが、日本人の信仰をゆるがす大事件が起こるのです。
明治維新を成し遂げてから、明治政府の王政復古による、神仏を分離せよ、という神仏分離令(1868年)なのです。
これによって、日本全国で飛鳥、奈良時代以来の夥(おびただ)しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受けたのです。
興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺です。
興福寺は春日大社と一体化していましたが、分離され、仏像仏具教典が棄てられました。
五重塔も民間に売却(その額はたった25円、現在の価値で約100万円)され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしましたが、近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残ったのです。
現在、国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていたのです。
門主は、還俗させられ、寺に付随していた広大な領地も取り上げられ、興福寺は廃寺同然となったのです。
この興福寺の例は、決して特殊な例ではありません。日本全国で廃仏毀釈の運動が展開されました。
世界の破壊の例では、バーミアンの石仏が、イスラム教過激派のタリバンによって破壊がされました。あるいは、シリアのパルミラの遺跡がイスラム国によって破壊されたのと同じような事が云えます。
また東アジアでは、中国では、文化大革命によって文化遺産が破壊されています。
この日本の廃仏毀釈は、日本人が千年をかけて築き上げてきた神仏習合を破壊したことでは、バーミアンその他以上のことだったと思います。
わたしはこれと同じようなことを見たことがあるのです。
それは、もう10数年も前の事ですが、パキスタンのガンダーラにあるジュリアン遺跡(仏教寺院)を訪れた時の仏像でした。
保存状況の良い仏像もありましたが、殆どの仏像は、頭部がありませんでした。
その時は分かりませんでしたが、イスラム教徒によって破壊されたのでしょう。
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他の宗教に、日本のような習合した例があるのでしょうか。
中国においても神仏習合は、唐の時代ですが、従来の道教の神と、仏との神仏習合があったようです。
しかし、イスラム教、キリスト教など互いの宗教を否定してきた歴史が今なお続いている中で、異色な宗教があります。
それはヒンズー教で、多神教で数え切れないほどの神がいます。釈迦でさえヒンズー教では、神の一人にすぎないのです。
神仏習合とは違うかもしれませんが、どんな神々でも仏でも受け入れる寛容さが感じられます。
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神が多いため、頻繁に祭りを行っています。わたしは、鍼灸ボランティアでよくネパールに行っているのですが、よく見かけます。
女性だけの祭りとか、水かけ祭などに出会います。
ネパールは、インド、バングラディッシュ、スリランカと共には数少ないヒンズー教徒の国です。信者数ではヒンドゥー教徒は仏教徒よりも多いですが、地域的に偏在していることもあって、世界三大宗教の座を仏教に譲っています。
ヒンドゥー教の祭りには、通常宗教的なテーマや、家族の絆を祝うといった側面を持っているようです。
話は戻って、明治政府の発令した一篇の政令による廃仏毀釈は、熱狂的な廃仏運動はかなり短期間で終息したのです。
やがて寺院が再興され、人々が寺院に参詣するようになったということです。
廃仏毀釈運動は慶應四年に始まり、明治三年にピークを迎え、明治九年には収まったのです。
それから百年経って、また次第に神仏習合に戻っているのです。
結局は、日本人にとって、きっちり区別しない、いい加減、ファジーなところが、居心地が良いという事ではないでしょうか。