最近のデルタ型コロナの感染は、東京都の感染者数は極端ですが全国的に著しく拡大しています。政府ももう打つ手無しといった状態で、浮かれた五輪のつけが回ってきた感じです。
今後もこのような状態が続くと思われ、医療崩壊となり収拾がつかなくなると思います。ワクチンの接種が進み、集団免疫ができるまで収まらない感じで、恐ろしくなります。古代から続く感染症との戦いで、人類はあまり進歩していないということでしょうか。
さて、本題ですが、古代から関係の深い日本、中国の文化史に汚点を残した「廃仏毀釈」と「文化大革命」を自分の備忘録として取り上げます。時期が100年程違いますが、時の権力者が主導し、それに民衆が鬱憤を晴らすかのように全国的に広がり、収束も同じ10年程と似通った経過を辿っています。
まず廃仏毀釈ですが、何度もこのブログで取り上げてきましたが、発端は、1868年の神仏分離令で、神道と仏教の境界線を明確にするよう求めるものです。それまでの日本は、神仏習合、日本人が千年をかけて、神と仏を一つの信仰体系として融合し、独特の信仰を作り上げてきました。
各地に、神社に隣接した神宮寺が建てられ、神殿に仏像が置かれました。平安中期、神々は仏の化身だとする「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」が広まり、神に対する仏の優位が定まるものの、近世まで両者はおおらかに共存していたのです。
飯縄権現は、長野県飯縄山の山岳信仰が発祥と考えられる神仏習合の神です。
しかし、明治新政府は、王政復古と祭政一致の国家を目指して神道を国民統合の精神的支柱にしようとしました。
ただ廃仏毀釈は、江戸時代前期から儒教の立場で神仏習合を廃して神仏分離を唱える動きがありました。仏教寺院を削減するなどの政策をとった藩もあります。後期には水戸光圀の影響によって成立した水戸学において神仏分離、神道尊重、仏教軽視の風潮がより強くなっていきます。
明治新政府は、こうした水戸学あるいは平田篤胤が創設した平田派の影響を強く受け、神道を国家統制下におく国家神道の方向へといったのです。
そして「神仏分離令」、「神仏判然令」そして「大教宣布」などの政策を拡大解釈し暴走した民衆が、筆舌に尽くし難い仏教施設の破壊行為に走るのです。
一方、日本の隅々まで廃仏一色に染まったわけではありません。四国では比較的穏健な地域が多かったし、三河や越前では廃仏に対する抵抗運動さえ起こりました。廃仏にくみしない地域では、破壊の危機に直面した他地域の堂塔や仏像を受け入れました。住吉大社の多宝塔の西塔、あるいは伊勢神宮の神宮寺の仏像など守られ残されたものも多数あります。
やがて政府は、過度な神道国教化政策を抑制し、「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」との注意を改めて喚起しますが、破壊された文化財の代償はあまりにも大きかったと思います。そして廃仏毀釈の波は、10年程で収まります。
次に中国文化史の汚点、文化大革命をみていきます。文化大革命は、1966年から廃仏毀釈と同じ約10年続きました文化改革運動です。しかしその内実は、毛沢東による同じ社会主義間の権力・思想闘争にすぎません。
急進的社会主義建設路線の完成をめざした毛沢東国家主席は、1958年に「大躍進政策」と呼ばれる国内の増産政策を発動し、これに失敗し失脚します。実権は劉少奇、鄧小平に移ります。
しかし毛沢東は、紅衛兵と呼ばれる若者たちを扇動し政権を実権派として暴力的に迫害します。 従来の社会主義に市場経済の導入を図った政権幹部が、資本主義の道へ進むとしているのが理由です。
原理主義的な毛沢東思想を信奉する学生たちによって1966年に「紅衛兵」と呼ばれる団体が結成され、十代の若者が続々と加入し拡大を続けます。紅衛兵の暴走は全国的に広がり、伝統文化や人々に甚大な被害をもたらしました。彼らの活動はしだいに毛沢東にも制御不能になっていきます。
中国共産党の幹部、知識人など反革命分子と定義された層は、紅衛兵の攻撃と迫害の対象となり、劉や鄧が失脚したほか、過酷な糾弾や迫害によって多数の死者が続出します。そればかりではなく、旧文化であるとして文化浄化の対象となった貴重な文化財が甚大な被害を受けたのです。
紅衛兵らは、旧思想・旧文化の破棄をスローガンとして、各地で大量の殺戮や内乱が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上とも云われています。
またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、中国最古の仏教寺院である白馬寺など寺院、宗教的な文化財が破壊されました。特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄、殺害されたりしたのです。
終結は、1976年に文革派と実権派の間にあって両者を調停してきた周恩来が、1月に死去したことから始まります。周恩来を追悼する花輪が撤去されたことから四五天安門事件が発生し、鄧小平が再び失脚します。
同年9月に毛沢東も死去(82歳没)し、新しく首相となった華国鋒は江青など四人組を逮捕します。翌1977年7月、失脚していた鄧小平が復活し、8月の中国共産党は第11回大会で、四人組粉砕をもって文化大革命は終結したと宣言しました。
この辺の毛沢東、周恩来、江青など四人組、華国鋒、鄧小平と登場人物は多いのですが、味方がいつ敵になるかなど権力闘争が分かりづらく不可解です。
以後、鄧小平、李先念ら旧実権派の革命第一世代指導者たちが、政権を掌握するのですが、彼らは八大元老と呼ばれ、改革開放路線へと舵を切ることになります。
鄧小平は、改革開放、一人っ子政策などで毛沢東時代の政策を転換し、現代の中国の路線を築きました。
結局、紅衛兵は、「正義」の名のもとに、本来同志であるはずの人々や伝統文化を破壊し、これにより共産主義社会の矛盾を、自ら暴いてしまったとも云えます。結果として、彼らが弾圧の対象とした走資派による、市場経済を取り入れた中国を創るきっかけを与えてしまったことになります。
また、毛沢東はと云うと、アジア初の社会主義国である中国を設立し、以後その初代最高指導者として国民から崇拝され、死ぬまで権力を発揮し続けたということになりますが、後世の評価はどうでしょうか。
長くなりましたのでこのへんで。
追記
中国に関する最近のニュースで、中国政府は、今秋から習近平国家主席の政治理念を学ぶ授業を、必修とすることを決めたという報道がありました。小中学校などで必修教材として政治理念「新時代の中国の特色ある新社会主義思想」を正式導入するということです。
チベット自治区、新疆ウィグル自治区の漢化政策とともに、長期政権を目指す習主席の権威をさらに高める狙いがありそうです。
おわり