世田谷区「烏山寺町」の散策は、今回で終わりとなります。烏山寺町の一番北に位置するのが、今回のテーマ「高源院」です。境内には鴨池と呼ばれる「弁天池」があることで知られています。
高源寺の山門です。寺町の多くが少し殺風景な石造りの石柱門ですが、ここも同様です。
見事な庭園
境内に入ると綺麗に整理された庭園が広がっています。
本堂まで蓮の鉢が並べられ、丁度咲く寸前の時期なのか、ピンクと白色の蓮の花が咲いていました。
本堂です。
御本尊は、釈迦如来座像で足利時代の作と云われるが詳細は不明です。「方丈」の扁額がかかります。
御由緒
臨済宗大徳寺派の高源院は、久留米藩第5代藩主有馬頼元公の夫人(養福院高源宗隆大姉)を開基とします。元禄15年(1702)怡渓宗悦(いけいそうえつ)和尚が開山し、品川神社の隣に東海寺の塔頭(たっちゅう)として北品川に創建されました。
関東大震災により廃寺となったものの、昭和10年、有馬氏一族有志が再建を図り、昭和14年、現在地へ移転したと云います。
寺院の名前の由来は、有馬頼元夫人の法号から名付けられたとされており、境内に「養福院殿高源宗隆大姉」の墓があります。
その隣にも同じような墓があり、この寺院の関係する人物の墓と思われます。二つの唐破風笠位牌型の形式の墓は、あまり見かけません。
弁天池と浮御堂(弁天堂)
本堂を通り過ぎ少し行くと、木々の間から弁天池(鴨池)が見えます。
鴨池は結構広いのですが、寺が移転して来たときに、湧水の地点を掘り下げて大きな池を造り、「浮御堂」を中央に建てたそうです。赤い橋と浮御堂が目立ちます。
弁財天を祀る浮御堂です。
内部です。琵琶を左手に持ち、立っている弁財天を初めて見ました。
今夏の猛暑で、蓮池の水がかなり少なくなっており、水蓮などは咲いていませんでした。
鴨池の中の錦鯉も水が少なく困っているようです。
鴨はこの季節はいません。秋も深まると、たくさんの鴨がシベリアから飛来し、池で冬を越します。春になると子供を産み、夏の前には一家揃って再び北国へ戻っていったと思われます。
弁天池は、目黒川(烏山川)の源泉となっていること、湧水によって水が蓄えられているといった環境から「烏山弁天池特別保護区」に指定されています。
境内をもう少し見て行きます。草木の間の石像です。
十三重石塔です。
灯篭の前で咲くハイビスカスが綺麗でした。
最後に御朱印です。本堂と棟続きで庫裡がありますので、そこを訪問しました。
御住職にお願いし、快く書いて頂きました。「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」です。
所感
先ず驚くのは、東京の都心でこのような大きな池があるということでした。せたがや百景43「烏山の鴨池」に指定されているようです。
カルガモなどがこの池で冬を越すと云いますから、この周辺の住民にとって絶好の散歩コースとなっているのかと感じます。鴨の飛来する冬の時期にでも来たいと思います。
高源院の元々あった場所である品川神社裏に建てられた板垣退助の墓は、寺院が寺町に移転した後も高源寺の飛び地のように残されているようです。そこも一度訪れたいと思います。
烏山寺町の最後に、印象に残る寺院を見ることが出来ました。有難う御座います。
おわり