東京都新宿区上落合「月見岡八幡神社」 落合富士と 最古の庚申塔

 都心の寺社散策、今回は新宿区上落合の「月見岡八幡神社」(つきみがおかはちまんじんじゃ)です。

 

 東西線落合駅」の早稲田寄りの出口から5,6分のところにあります。左端の社号標です。「古蹟 月見岡八幡神社」と刻まれています。 

 

月見岡八幡神社の鳥居です。写真のとおり神社の扉は閉まっています。

 

阿吽の狛犬です。阿形の狛犬は、子供を撫でるようなしぐさです。

 

 鳥居の右手に、神社の境内にある「有形民俗文化財」の説明掲示板があります。庚申塔、谷文晁の絵、鰐口が指定されています。

 

 

御由緒

御由緒が書かれた説明掲示板です。

 創建年代は不明ですが、源義家が奥州征伐の時参詣し、戦勝を祈念して松を植えたとの伝承があります。そのことから11世紀中期には既に存在していたものと推測されています。

 社名の由来は、旧境内地に湧井があり、その水面に月光が綺麗に写ったので、村人が自然にそう呼んだと云います。明治39年に北野神社、昭和2年には浅間神社富士塚を合祀しました。

御祭神は、

 品陀和気命 (ほむだわけのみこと:応神天皇

 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后

 大雀命     (おほさざきのみこと:仁徳天皇

 の3柱です。

御利益は、厄災除け、安産、家内安全、地域安全、身体壮健です。

 

境内へ

 門が閉まっている神社は初めてでしたが、扉に、「お願い 庭が痛まないよう石畳の上を歩いて下さい。」との掛札があったので開いて一礼して入りました。

社紋は、多くの神社の「左三つ巴」と思ったのですが、よく見ると珍しい「水巴紋」です。

 

境内に入ると、参道は右斜めに延び、その先に社殿です。

 左側に神楽殿、右側が保育園となっています。保育園があるので、入口はいつも閉まっているようです。元気な声が聞こえてきます。

 

直ぐ左側に手水舎があります。

 

拝殿へと進んで参拝します。

 

扁額は月見岡八幡神社です。

 

社殿の左側にも出入口があります。傍に笑福稲荷大明神の赤い幟が見えます。

 

境内社の「笑福稲荷神社」です。笑福とは目出度い名前です。

 

社殿内にも立派な彫刻が施されています。正面の中にも小さなお狐さんが見えます。

 

右側面です。光って見えにくいですが、見事な彫刻です。

 

足元のお狐さんです。結構穏やかな顔です。

 

 笑福稲荷神社の後ろに「庚申塔」、右側に浅間神社があるのですが、少し入りくんでいます。

 

右側の浅間神社です。

 

浅間神社と社殿の間を通り、浅間神社の後ろに回って、冨士塚の方へ行きます。

 

庚申塔と落合富士

冨士塚の入口です。ここも門が閉まっています。

 

開けて入りますと笑福稲荷神社の後ろの庚申塔がよく見えます。

正保4年(1647)に造立された区内最古の庚申塔で、宝篋印塔形です。

 

そして、「落合冨士」と称されている冨士塚に登ります。道は狭く険しいので気を付けて登ります。

 

直ぐに道の左に、洞穴に入っている山岳信仰の行者のような石像があります。背中に翼があるので「烏天狗」のようでリアルです。

 

尚も登ります。

 

程なく祠が見えてきます。

 

拝んで直ぐに下ります。

 

下に、また烏天狗と中央に石碑があります。

 

左右の烏天狗

 

石碑には、「小御岳 石尊 大権現」の文字が刻まれています。

 

更に、猿の母子像もあります。

 

そして、また門を開けて富士塚を後にします。

 

今度は、社殿の右側に移動すると立派なクスノキとその前に鳥居があります。

 

鳥居からクスノキの後ろにある境内社が見えます。中央が天祖神社、左が北野神社、右が足王神社と道祖神社です。

 

天祖神社と北野神社です。

 

そして、足王神社と道祖神社です。その前に狛犬がいます。

 

足王神社と道祖神社です。

 

そして、長い間神社を守っている、修復された健気な阿吽の狛犬です。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社務所にて御朱印を頂きました。

社務所

 

御朱印

 

所感

 月見岡八幡神社は、平安時代から続く古跡だけあり、有形民俗文化財指定の庚申塔、落合富士と呼ばれる富士塚、数多い境内社など、見所満載の神社でした。

境内に幼稚園があるためか、門は閉まっており、気を使っていることが伺えます。境内に子供たちの元気な声が聞こえてきますが、それも心地良い感じです。

 

 「有形民俗文化財」に庚申塔、谷文晁の絵、鰐口が指定されていますが、庚申塔のみ見ることができます。

都内には、三猿の描かれた庚申塔などが多く、珍しくありませんが、こちらは「宝篋印塔形」の庚申塔で初めて見ました。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔、供養塔などに使われる仏塔の一種です。

説明掲示によると、区内最古の庚申塔で、高さ184.5cm、石質は安山岩ということです。

 「谷文晁の絵」は、旧社殿の格天井に描かれていた板絵三十数枚のうちの一枚です。この一枚は、取外されていたため戦災を免れたそうです。

 また、天明5年(1785年)に奉納された「鰐口」は、社寺の礼拝所にかけ縄等で打ち鳴らす仏具の法楽器です。明治時代の神仏分離令により、仏具を持つことが禁止されたため、鰐口は行方不明でしたが、昭和7年(1932)に北海道で発見され、再奉納されました。

この二つは、奇跡のような話で非公開のようです。

 

 そして、富士塚です。元々は、浅間神社にあり、大塚という古墳を利用して造られたもので、「落合富士」と云われました。寛政2年(1790)に造られましたが、昭和2年の同社の移転時にとり壊されて、移築されたものです。大変な苦労があったと思われます。

 それ程広くない境内にここまで見応えのあるものをレイアウトしたことに驚きました。

                                                              おわり