世田谷区南烏山 室町時代からの氏神様「烏山神社」

 今回は、同じ世田谷区ですが、烏山寺町ではなく、京王線千歳烏山駅の南側、南烏山の神社です。

 駅から東側に商店街、住宅地を数分歩くと突如、森みたいな所が現われます。「烏山神社」です。北側にも入口の鳥居がありますが、正面入り口は、東側の鳥居です。

 

龍の彫られた扁額が、鳥居の右手前に置いてあります。

多分、大地震で落ちたと思います。他の神社でもよく見かけます。

 

境内へ

 一礼して鳥居をくぐり境内へ入ると、意外に広々としており、中央に拝殿が見えます。左側に石碑、庚申塔など、右側に木々が広がっています。

 直ぐ左側の庚申塔から見て行きます。庚申塔の祠が二基あり、その間に記念碑があります。

 

左側の庚申塔です。

 

 右側の庚申塔です。いずれも下に三猿が。

 

 二つの庚申塔の間に「春日神社高橋番神堂撤去記念碑」があります。

 その碑文によると、「戦国時代から移り住んだ高橋一族が、守護神として番神堂を建てて南烏山を爾来星霜400年守ってきました。しかし、都市計画整理地のため、御堂を撤去するにあたり、当烏山神社に記念碑を建てます。」と云うことのようです。

 

 記念碑後ろにも祠がありますが、高橋一族が祀っていた祠と思われます。高橋一族なくして烏山神社は無かったと云う事だと思います。

 

その先に御由緒書きがあり、その後ろには記念碑です。

 

世田谷区教育委員会掲示板もあります。

 

御由緒

 世田谷区教育委員会掲示板によります。

「創立の由来は明らかではないが境内の手水鉢には元文元年(1736)の紀年がある。
 白山御嶽神社ととなえていたが、昭和37年町内の天神社、神明社、稲荷社を合祀し、烏山神社と改称したものである。

 このあたりに泉沢寺という寺があったが、天文年中(1532〜55)に橘樹郡(現在の川崎市内)に移され、字名として残っている。」

 

御祭神は、

主祭神

 白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)、

相殿祭神:

 御嶽大神  (みたけのおおかみ)、

合祀祭神:

 天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)、

 倉稲魂命  (うかのみたまのみこと)、

 菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)

 の5柱です。

 

参道の右側の手水舎です。コロナ禍以来、未だ使われていないようです。

 

 参道を拝殿へと進みます。狛犬が迎えます。

 

阿の狛犬は、子供を抱えています。

 

吽の狛犬は、毬を持っています。

 

狛犬の後ろに神輿庫があります。

 

拝殿

そして、拝殿へと歩を進めます。



虹梁の龍の彫刻などは見事です。扁額が見当たりませんでした。

 

神紋は、左三つ巴です。

 

拝殿の左脇に小道があり、その先に境内社があります。

 

 鳥居もあり、烏山神社の説明掲示板に書いてあった明治以降の戦没者を祀っている「招魂社」と思われます。

 

本殿の後ろに「昭和34年建」の石碑があります。この年に建立されたようです。

 

境内社として、境内の右側に稲荷社があります。

 

そして、境内の北側にも入口があります。北側の鳥居と社号標です。

 

鳥居の脇に記念碑もあります。

 

北側から見た境内ですが、しっかりと狛犬もいます。

 

狛犬です。本殿の狛犬と同じ感じです。

 

社殿の右手が社務所になっています。

 

社務所です。

 

社務所の前には石碑が二つあります。招魂碑と何かの記念碑です。

 

残念ながら烏山神社には、御朱印は無いそうです。

 

所感

 都会の真ん中ながら、比較的境内も広く、暑い中清浄な空気を味わい、落ち着いて参拝することが出来ました。時間がゆっくり流れているような気がします。

 烏山神社の創立年代、由緒沿革等は、不詳ですが、かつて当地にあった泉澤寺が延徳3年(1491)創建であることから古くより拓けていたことが窺え、当社の創建も古く遡ることと推定されています。

 江戸時代には烏山村の鎮守社だったと云い、明治6年村社に列格、昭和7年に社名を白山神社から白山御嶽神社へ改称しています。その後、近隣の天神社、神明社、稲荷社を合祀して現在の烏山神社へと改称されました。

 それぞれの土地にある神社が合併して、また新たな特色、魅力あるものを創造していく、地元に密着した氏神様、烏山神社はそういった神社であると感じました。

                        おわり