世田谷区「烏山寺町」  浄土宗「源良院」と顕本法華宗「常福寺」

 世田谷区「烏山寺町」の散策が続きます。烏山寺町の26寺院の殆どの寺院が、寺町通りの左右にあります。しかし、道路一つ離れた東に小さな5,6寺院が接近してあり、今回は、そのうちの「源良院」と「常福寺」です。

 

浄土宗の源良院

 源良院は、浄土宗系単立寺院です。延宝4年(1676)、浅草西福寺末寺として神田に開基されました。その後湯島・浅草への移転を経て、関東大震災後に寺町へ移転しました。共に移転してきた向旭院と合併、向旭山源良院と称しています。

 源良院の山門は、石造りで、そこから見える本堂も現代的です。

 

 参道の正面が本堂で、棟続きで庫裡があります。右側に子安地蔵尊のお堂など、左側に観音堂などがあります。

 

 本堂です。扁額は、院号の源良院です。

 御本尊は阿弥陀如来ですが、「火伏観世音菩薩」と呼ばれる観音菩薩像も安置されています。明暦の大火の際に延焼を防いだという逸話からきています。

 

 山門に入って直ぐ右手に「子安地蔵尊」のお堂があります。水子供養、子育祈願、子宝祈願の仏様のようです。

 

その右前にも小さな祠に地蔵尊です。

 

観音堂

そして、参道の右側の観音堂です。

 

中には3体の観音像が安置されています。

 

十一面観世音菩薩像です。頭部に11の顔を持つ菩薩です。

 

 楊柳観世音菩薩像です。病苦からの救済を使命とし、右手に柳の枝を持つことにより楊柳観音と呼ばれます。

 

 聖観世音菩薩像です。多面多臂などの超人間的な姿ではない、1面2臂の像です

 

他に境内には幾つかの石像があります。

 

 社務所です。御朱印を頂きに行きましたが、残念ながら御住職が不在のため、頂けませんでした。境内は、綺麗に管理されています。

 

 

室町時代から続く「常福寺

 次に、源良院の近くにある顕本法華宗の「常福寺」です。この寺院も現代的な建物です。

 

本堂、庫裡などは、この建屋に一体となっているようです。

建屋の中央に「三つ竜胆橘」(みっつりんどうたちばな)の寺紋が見えます。

 

建屋の前に常福寺の縁起が刻まれた石碑があります。

 室町時代の永正8年(1511)、浄徳院日立上人により浅草新鳥越に創建されました。その後、江戸幕府の宗教政策により、現在の台東区に移転しています。

 しかし、大正12年関東大震災により、本堂や寺宝が全焼するという大惨事に見舞われます。5年後の昭和3年に、烏山寺町に移転・再建され、創建から500年以上もの歴史がある寺院です。

 

 そして、宗派が顕本法華宗で、建屋の前に「南無妙法蓮華経」の石碑があります。

 

その石碑の傍に、水子地蔵尊像があります。

石像の足元に狸が置かれています。

 

何かと狸が境内のあちこちに登場します。

 

 この寺院は、ペット法要・供養も行われているようで、この緑の建屋が動物納骨堂となっています。

 

その横にも石像があります。狸もいます。

 

その他、石像、永代供養等があります。

 

御朱印を頂きに、本堂、寺務所などを兼ねた建屋に行きます。玄関に入った内部ですが、小奇麗な感じです。

 

樹木葬、ペット葬儀のパンフレットが貼ってあります。

 

多様化するお墓として、日本経済新聞に取り上げられたようです。

 

御朱印を頂きました。

 

所感

 今回取り上げた2寺院も、明暦の大火、関東大震災、戦災などの危機を乗り越え復活した寺院です。宗派もそれぞれ違いますが、歴史があり、興味深い特色を持っています。

 源良院は、浄土宗系の単立寺院です。単立寺院は、上位組織である総本山に属しておらず、独立している寺院のことです。自由に運営し易い点などの利点があります。地域の寺院同士の情報交換、徒弟教育など工夫していると思います。。

 また源良院に「火伏観世音菩薩」と呼ばれる観音菩薩像が安置されていますが、一度拝観したいものです。

 

 常福寺は、室町時代からの歴史ある寺院ですが、関東大震災で本堂や寺宝など全焼するという大惨事から復活しています。樹木葬、ペット葬儀を行い、狸と共に特色を出しているようです。

 

 もう一つこれらの寺院の近くに「玄照寺」という日蓮宗の寺院がありました。本堂ですが、阿吽の狛犬が守っています。

 この寺院が興味深いのは、開山の日延は、臨海君(イメグン)の子であるという事です。臨海君は、李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男(庶子)です。

 秀吉の朝鮮出兵の「文禄の役」の際に、臨海君は加藤清正の捕虜となっています。講和で臨海君は解放されましたが、臨海君の2子(姉と弟)が、代わりに日本に連れてこられました。

 この弟は、清正が信仰する日蓮宗の僧侶「日延」となったという事で、臨海君の遺児が取り持つ奇縁の寺となっています。

 このように、どんな小さな寺院でも何らかのドラマ、特色、苦難の歴史があるのだと感じました。

                    おわり