世田谷区「烏山寺町」 歌麿の墓のある「専光寺」

 寺町で最も北に在る「高源院」を目指しますが、その手前に「喜多川歌麿墓」の石標が目に留まります。専光寺です。ここを立ち寄ることにしました。

 専光寺の山門と寺号標です。

専光寺は、浄土宗系単立寺院です。山号院号は、其々霊照山、蓮池院です。

 

 山門前に「都旧跡 喜多川歌麿墓」と刻まれた石標があります。

両横に昭和三十一年、東京都教育委員会と刻まれています。

 

「都旧跡 喜多川歌麿墓」の説明書きです。



専光寺の寺紋は、「月影杏葉(つきかげぎょよう)」と呼ばれる紋です。

浄土宗の宗紋です。

 

専光寺の本堂です。安置されている御本尊は、阿弥陀如来像です。

 

本堂の扁額は、山号の「霊照山」です。

 

本堂の傍にある、専光時の略誌の刻まれた石碑です。

 それによりますと、慶長9年(1604)穏誉上人専光大和尚により品川に開基、その後、馬喰町へ移ります。明暦3年(1657)、「明暦の江戸大火」により浅草北松山町へ移転しました。関東大震災後の昭和2年(1927)現在地へ移転しています。

 昭和20年、大東亜戦争戦禍により本堂、庫裡を全焼します。昭和30年、喜多川歌麿の墓、都文化財に指定され、昭和33年本堂再建、現在に至ります。この略誌の石碑は、昭和46年に建てられています。

 

 また、その近くに「土地参百坪」と刻まれた石碑があります。

 立派な「土地参百坪」と云う珍しい石碑ですが、寄進者の氏名、広さ、日付も刻まれています。

 

 そして、都指定文化財の浮世絵師、喜多川歌麿の墓です。墓の横に、東京都教育委員会の説明掲示板があります。掲示板の右横が歌麿の墓です。

以下、抜粋転載です。

 喜多川歌麿(1753?〜1806)は、江戸時代中期の浮世絵師で、浮世絵喜多川派の祖とされています。出生地については、定かではありません。大首絵と呼ばれる美人画で、当時人気を得ました。

 歌麿の作品は、天明・寛政期の浮世絵版画の黄金期を築きました。また、歌麿の作品は、フランス印象派の画家たちに強い影響を与えたことでも有名です。文化三年(1806)に亡くなり、浅草専光寺に葬られましたが、関東大震災後の区画整理により、昭和三年(1928)に現在の場所に墓が移転されました。

 

喜多川歌麿の墓です。北川という文字が刻まれています。喜多川は、後の姓です。

境内の東側に墓地が広がっていますが、歌麿の墓は、その中ではなく境内の中くらいの所にあります。少し分かりずらいところです。

 

もう少し境内を見ていきます。地蔵菩薩の石像です。なぜか埴輪、狸もいます。

 

この石像は古代の日本のものでしょうか。



本堂の周りの全体景観です。

 本堂の右側に庫裡がありますので、そこで御朱印をお願いしましたが、残念ながら今は扱っていないそうです。

 

 寺町の最も北に位置する高源寺に向かう途中に、思いがけず喜多川歌麿の墓を拝むことが出来て、良かったです。

それでは、北の外れの「高源院」に向かいます。

                    おわり