東京都渋谷区の散策が続きます。前回は、渋谷駅近くの「金王八幡宮」でしたが、今回は、その隣にある豊栄稲荷神社です。
東向きの参道入口です。社号碑は、金王八幡宮と同じく基壇の上に建っています。
石段の先の石の鳥居です。扁額の文字は、「豊栄稲荷神社」。
鳥居前に「百度石」があり、参道の左に手水舎、真っ直ぐ奥に数多くの奉納鳥居が連なります。その先が社殿です。
御由緒
創建は、鎌倉時代の頃、渋谷八幡宮(現金王八幡宮)をお祀りした渋谷氏の祖河崎土佐守基家の曾孫高重によって祀られたと伝えられています。豊栄稲荷神社は、元渋谷川の辺、渋谷駅の近くにありました。
渋谷川が渋谷城の壕に利用されており、江戸時代文化の頃までは「堀ノ外稲荷」、その後「田中稲荷」と称せられていました。
昭和27年道玄坂上の「豐澤稲荷神社」が合祀され、昭和36年、東京都の区画整理事業により、現在地に移り、「豊榮稲荷神社」となりました。
境内へ
石鳥居の直ぐ左手に手水舎があります。コロナ禍から使われていないようですが、ここも朱塗りの舎です。
そして、社殿まで何基も連なる朱塗りの奉納鳥居です。鳥居は皇紀2650年(1990)を祝って奉納されたものです。
社殿
奉納鳥居を抜けると朱塗りの鮮やかな社殿です。社殿は昭和47年(1972)に造営されたものです。
社殿の前の狛狐さんです。くわえているものは、玉と鍵でしょうか。
社殿の正面です。扁額は「豊栄稲荷神社」です。
社殿の内部にも扁額が掲げられています。「豊澤稲荷大神、田中稲荷大神」の扁額で、二社が合祀された歴史を伝えています。
社殿内部の下の方に社紋の稲紋が見えます。
庚申塔群
庚申信仰は、江戸時代に庶民の娯楽を兼ねて流行し、それによって各地に庚申塔が建てられましたが、ここにも13基の庚申塔があります。その多くが江戸時代中期のもので、元田中稲荷神社の境内にあった庚申塔を移転したものです。渋谷区教育委員会の説明掲示板と「庚申塔略記」の碑です。
境内の右側の庚申塔群です。この様に多数の庚申塔が並んでいるのは珍しいです。
三猿、六臂の金剛像などの庚申塔が見られます。
境内の左手には「藏脩館」という建物が建っています。昭和50年(1975)に建てられた、道場を中心とする研修道場です。
御朱印は本務社「金王八幡宮」の社務所にて頂きました。「豊栄稲荷神社の記」というパンフレットも頂きました。
所感
わたしは、この神社の存在すら知らず、金王八幡宮参拝の帰りに直ぐ隣にあったので寄りました。この神社は、小さい神社で、金王八幡宮と比べても参拝者も殆どいませんでした。
しかし、稲荷神社らしく社殿、奉納鳥居、手水舎などが朱塗りで、兼務社の扱いながらそれなりに目立って、存在感がある神社でした。
創建は鎌倉時代、渋谷駅の近くにあり江戸時代文化の頃までは「堀ノ外稲荷」、その後「田中稲荷」と称し、また川の端にあったので「川端稲荷」とも呼ばれていたそうです。
そして、その後、道玄坂の豊澤稲荷社を合祀し、昭和36年に現在地に移り「豊栄稲荷神社」となったという、まさに、渋谷の稲荷信仰、歴史を感じさせる神社でした。
参考資料:パンフレット「豊栄稲荷神社の記」
境内説明掲示板
おわり