東京都狛江市 「狛江古墳群」の歴史探訪

 狛江市の散策の続きです。「泉龍寺」を参拝した後に、西側の「経塚古墳」、「兜塚古墳」そして南下して「亀塚古墳」と狛江古墳群を巡ります。

 

狛江古墳群

 狛江古墳群は、現在の狛江市域の全域に分布しています。地質的にいえば、全て立川段丘の台地に位置しており、古墳時代の5世紀半ばから6世紀半ばまでの約100年間に集中して造られたと考えられています。

 古墳の形状はその殆どが円墳ですが、一部亀塚古墳などのように帆立貝形古墳なども存在します。古墳群としては群集墳の形態を取り、各地に古墳が分散している点や、群集墳にしては成立時期が早いといった点が特徴的です。

 かつては100基あるいは50基を超える古墳があったと云われていますが、現在では狛江市内の宅地化により墳丘が残っている古墳はわずか13基です。

 

経塚古墳

 先ず、経塚古墳ですが、六郷桜通り沿いにマンションに挟まれた形で存在します。

 

中には入れないようで、柵内に説明掲示板があります。

「経塚古墳は、5世紀後半頃築造と推定される円墳で、当初、直径40m以上の墳丘に、幅10m以上の周溝がめぐっていました。

 以前は、墳丘上に、中世13世紀から16世紀にかけての板碑が、30基ほど林立していました。また墳丘から常滑の蔵骨器も出土しています。さらに経典を埋めたという伝承もある複合的な遺跡です。」

 経典を埋めたという伝承から経塚古墳の名前の由来となっているようです。

前回、「泉龍寺」のときに記述した『江戸名所図会』を見てみます。左上の矢印が経塚です。

 なるほど経典を埋めた目印に松の木を植え、拡大して見るとその木の根元に板碑が描かれています。板碑(いたび)とは、中世仏教で使われた供養塔婆です。板状に加工した石材に梵字などを刻んでいます。

 経塚古墳は、狛江古墳群において「亀塚古墳」、「兜塚古墳」に次ぐ規模を有していたようです。

 

兜塚古墳

 次に狛江古墳群の中では、最も原形を留めている兜塚古墳です。経塚古墳から西に数分の所にあります。

兜塚古墳の入口です。こちらはしっかり正門があり施錠はしていないので入れそうです。

 

門の右側に「都史跡兜塚古墳」の石碑と説明掲示板があります。

以下掲示板の内容です。

 「兜塚古墳は、昭和62年(1987)と平成7年(1995)に行われた確認調査により、墳丘の残存径約43m、周溝外端までの規模約70m、高さ約4mの円墳と考えられます。周溝の1部の状況から、円墳ではなく帆立貝形の可能性も指摘されています。墳丘の本格的な調査を実施していないため主体部などは良くわかっていませんが、土師器や円筒埴輪の年代から6世紀前半の築造年代が考えられています。

 兜塚を含む狛江古墳群は南武蔵で最大規模の古墳群と推定されていますが、墳丘の形状を留めているのは僅かで、本古墳は良好な状態で遺存している貴重な古墳といえます。 

 狛江古墳群では二ヵ所の主体部が発掘調査され、神人歌舞画像鏡、鉄製刀身、玉類、金銅製馬具などが出土した亀塚古墳が有名です。亀塚古墳は五世紀後半から六世紀初頭ころの狛江古墳群の盟主墓と考えられますが、兜塚古墳は亀塚古墳の次世代の盟主墓と考えられています。
平成22年3月 建設   東京都教育委員会

 

それでは、中に入って見ます。高い木が林立し、今まで見た古墳とは違います。

 

狛江古墳群の中では、一番保存状態の良い古墳のようで円墳だと分かります。

 

墳頂部の様子で、結構な広さがあります。

 

墳頂部に大きな松の木があります。

 

また、墳頂部に、三角点の標石が置かれています。場所情報コードが埋め込まれているようです。

 

墳頂部から北側を見下ろしたところです。

 

兜塚古墳の西側です。

 

このように、この兜塚古墳は、史跡公園として整備、保存のうえ公開されています。

 

亀塚古墳

 次に、「亀塚古墳」です。狛江市のHPによりますと

「市内の古墳の中でも、亀塚古墳はよく知られている古墳です。昭和26年(1951)に発掘調査が行われ、銅鏡や鉄剣、馬具などが出土しました。こうした出土品のうち、金銅製金具に見られる人物や動物の像が、高句麗の古墳石室内の壁画に類似していることから、狛江地域と渡来人との関係が指摘されてきました。
 多くの貴重な出土品が発掘された亀塚古墳ですが、その後の開発工事によって墳丘のほとんどが削られてしまいました。現在は、墳丘のごく一部に徳富蘇峰が揮毫した石碑が建っているのみです。」と云う事ですが、実際を見ます。

 兜塚古墳から南下して数分の所にあります。ここも亀塚古墳公園として管理しているようです。

 

亀塚古墳の遺跡調査の内容が説明している掲示板があります。

 

亀塚古墳に向かいます。

 

これが、徳富蘇峰の揮毫した石碑でしょうか、残念ながら墳丘は消滅しているます。

 

 亀塚古墳は最大長41m、後円部径34m、高さ7mの帆立貝形前方後円墳で、狛江古墳群の中でも唯一の前方後円墳です。
 

おわりに

 今まで、府中市の古墳など「多摩川流域の古墳群」を幾つか見て来ました。下の地図は、西の上流から東の下流の方へ流れる多摩川です。

 

見て来た古墳は、赤矢印の左から右へ、

 ①府中市の「武蔵府中熊野神社古墳、高倉塚古墳」

 ②今回の「狛江古墳群」、

 ③世田谷区の等々力渓谷「荏原台古墳群」

 ④そして、「大田区田園調布古墳群」です。

 

 今回見て来たのは、狛江古墳群のうちの3古墳のみです。それぞれ特色がありましたが、古墳の管理、維持の大変さがよく分かりました。

 それでも「兜塚古墳」は、保存、管理の状態の良い古墳で、等々力渓谷散策の「御岳山古墳」、「野毛大塚古墳」、府中市の「武蔵府中熊野神社古墳」、「高倉塚古墳」以来でした。

 このような古代の素晴らしい遺跡が、後世に残されることを希望し、今後も多摩川流域の古墳群を見て行きたいと思っています。

 

参考文献

 狛江市公式ホームページ

 現地説明掲示

                        以上