前回の続きです。日野市の「百草八幡神社」で4年ぶり公開の秘仏、阿弥陀如来坐像を拝観。その近くの「百草観音堂」そして、多摩市の「小野神社」を参拝しました。百草八幡神社の御朱印がここで頂けるということでもあります。
小野神社ですが、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅より徒歩数分の所です。住宅街のひっそりとした所に鎮座していますが、多摩川を挟んで向かい側にも府中市の小野神社があります。二つの小野神社はどうやら関係があるようです。
社号碑と大鳥居です。こちらは西側の参道です。社号碑には「武蔵一之宮」とあります。武蔵国の中で最も社格が高い神社ということです。
そして、鳥居の中央にある神紋の菊花紋章が目を引きます。
16の一重の花弁で、「十六弁一重菊」紋です。今まで見てきた寺社でも皇室と関係が深い神社に使われているようです。
見事な彫刻の随神門
直ぐ鳥居の先に、立派な随神門が建っています。昭和49年(1974)に、再建されたものです。
随神門前の阿吽の狛犬です。
この随神門は、大変細かい彫刻が施されており見事です。またその奥に遠く朱色の拝殿が見えます。
扁額は、「随神門」です。周りの龍が迫力あります。
風神、雷神、動物などもあります。
随神門の両脇の「随神像」が隙間から少し見えます。
髄神門の左右の随神像は、俗に右大臣、左大臣と呼ばれる豊磐間戸命(とよいわまとのみこと)、櫛磐間戸命(くしいわまとのかみ)という門の神様です。
境内へ
随神門をくぐると、境内はとても広々としています。一番奥の中央が拝殿です。
小野神社の公式サイトに載っていた境内マップです。
参道は西から東へと延び拝殿、本堂へと続きます。南側に手水舎、南門など、北側に境内社、社務所などがあります。
北側です。
南側です。
参道の右手の手水舎により身を清め、社殿に進みます。手水舎です。水がしとしと出ています。
鮮やかな朱色の社殿
拝殿へと進みます。
拝殿前の阿吽の狛犬です。吽の子どもの狛犬も大人の顔をしています。
拝殿です。鮮やかな朱色が印象的です。
拝殿の扁額は、「武蔵国一之宮 小野神社」です。
御由緒
小野神社の創建年代等は不詳ながら、かつては武蔵国の一之宮であったと比定され、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「小野神社」にも比定されています。
総社六所宮(府中市の大國魂神社)の東殿第一位に祀られ、その名は古くから朝廷にも知れ渡った古社でした。
しかし、戦国時代にかけて度々の戦乱や多摩川の氾濫のために衰退していきます。江戸時代に入り、徳川二代将軍秀忠により再興され、社領15石の御朱印状を拝領、明治時代には郷社に列格していたといいます。
尚、江戸時代の頃に、氷川神社 (さいたま市)が武蔵国一之宮と呼ばれるようになります。
主祭神は、
天ノ下春命 (あめのしたはるのみこと)
瀬織津姫命 (せおりつひめのみこと)
です。
武蔵国内には
一之宮 小野神社(多摩市)
五之宮 金鑚(かなさな)神社(児玉郡神川村)
が編成されていました。
武蔵国総社・六所宮(大国魂神社)の境内には、この6つの神社が祀られています。
拝殿を斜めから撮った写真です。
拝殿とは少し離れて本殿があります。同じく鮮やかな朱色です。
拝殿前の右手に、ハート型の石が祀られています。窪みがハート型であることから、縁結びのご利益がいただけるようです。
参道右手、南側を見ていきますと、南側鳥居と南門があります。
こちらの南門がかつての神門で、現在の随神門が造営された際に移築されました。
神輿庫です。
神輿庫の隣に、宝物殿があります。
随身倚像
宝物殿の中に、東京都指定有形文化財の「木造随身倚像」が安置されています。
都内では、室町時代以前の随身像は、数が少なく、また武蔵一之宮小野神社の歴史を伝える資料の一つとして貴重な文化財です。小野神社公式サイトに木造随身倚像が載っていたので拝借します。
随身像とは、日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像です。阿吽の形相は、仁王像を擬したものと思われます。
参道の左手、北側を見ていきます。
「延喜式内、武蔵国一之宮小野神社」という説明掲示板があります。御祭神の名前が書かれています。
天ノ下春命 (あめのしたはるのみこと)
瀬織津姫命 (せおりつひめのみこと)
他6名です。
隣に末社の稲荷神社の鳥居です。
稲荷神社です。
お狐さんの顔が機械的な感じ。
御朱印は、社務所で頂きました。百草八幡神社の御朱印も書置きですが、頂きました。小野神社は、兼務社として八社の御朱印を扱っています。
所感
境内は広々としており、全体的に穏やか空気が流れている気持ちのよい優しい感じの神社でした。
創建年代は不詳ですが、おそらく平安初期位からと思われ、武蔵国一之宮とされた歴史のある神社です。創建の時代から武家社会への変遷の歴史は、まだまだ解き明かされていないようです。ただ、度々の戦乱や多摩川の氾濫などにより神社を維持していくのに相当の苦労があったと推察されます。
現在は比較的小さな規模で、一般的な地域の神社といった感じですが、武蔵国一之宮としての誇りを持って努力している跡が見受けられます。
例えば、頂いたパンフレットに、8社の兼務社の写真と参拝マップを載せています。
また、十六弁一重菊紋は、本殿、拝殿、正面鳥居の他に、南門鳥居や随神門、賽銭箱、武蔵国一之宮小野神社説明掲示板などに取り付けられています。
本殿はもとより境内の隅々まで綺麗に整備されていて敷地も広く、今後も一之宮としての格式を取り戻していくように感じられる神社でした。
おわり