東京都新宿区北新宿 「右衛門桜」ゆかりの地「円照寺」

 都心の寺社散策が続きます。今回は新宿区上落合の「月見岡八幡神社」から10数分移動し、北新宿にある「円照寺」です。途中に神田川があり、「きれいばし」を越えます。

 

 神田川を越え、そのまま北へ行くと円照寺の山門が見えてきます。山門の前に石柱があります。真言宗豊山派の寺院で弘法大師の名前が刻まれた石柱です。横に、「伝説 柏木右衛門桜ゆかりの地」の石柱もあります。

 

 右側に寺号標です。真言宗豊山派 医光山 円照寺」と刻まれています。文字の下に蓮の花が二段に透かし彫りです。

 

 綺麗な参道が続きます。左側は牡丹棚になっており、春の見頃に楽しめそうです。

 

 途中に「円照寺案内」の説明掲示板があります。宗派、本尊:薬師如来真言宗の教えなどの説明が書いてあります。

 

 山門です。山門から本堂、枝垂れ桜が見えます。

 

 山門から境内に入ると本堂の前の「枝垂れ桜」の大木が絵になります。

この枝垂れ桜は右衛門桜とは違うようです。

 

御由緒

本堂です。堂宇は幾度も焼失し、現在のものは戦後に建てられました。

 

 円照寺は、正式な名称を医光山瑠璃光院圓照寺と云います。平安末期、関東一帯で起こった「平将門の乱」を平定した伝説の武将、藤原秀郷によって建立されました。

 本尊には、奈良時代の名僧、行基菩薩によると伝えられる「薬師如来像」が安置されています。
 また、昔より桜の御寺として名高く、境内に植えられていた「右衛門桜」は、「江戸の三桜」に数えられます。残念ながら、右衛門桜は太平洋戦争の戦火で焼失しました。

(円照寺公式サイトより抜粋)

 

円照寺の梵鐘

 本堂へ行く参道の右側に区の登録有形文化財に指定されている梵鐘があります。

 

「円照寺の梵鐘」という説明掲示板があります。

 江戸鋳物師、西村和泉守藤原政時が、寛政2年(1790)に製作しました。精巧に仕上げられた梵鐘で江戸鋳物師の技術的特徴が良く表わされています。太平洋戦争中の金属供出により現存数が少なく、大変貴重です。

 (説明掲示板より抜粋)

  

無縁塔

 本堂の横に「弘法大師壹千百五十年御遠忌記念改修無縁塔」という文字が刻まれた石碑があります。

 

大掛かりな無縁仏を集めた無縁塔です。

 

頂点が不動明王です。

 

 不動明王の脇侍を務めるのが、八大童子矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)のようです。一段下の両脇です。

 

 そして、その下の中央に、舟型光背の地蔵菩薩立像があります。光背の左に、明暦2年(1656)11月の年代が刻まれています。穏やかな顔つきの仏像です。その右上に如意輪観音像もおります。

 

像群の下には六地蔵尊です。

 

境内には、その他石像があります。聖観世音菩薩像です。

 

地蔵菩薩半跏像です。

 

地蔵菩薩像です。

 

その横に、宝篋印塔もあります。

 

閻魔堂

 そして、本堂の横には、閻魔堂があり、閻魔様が祀られています。

 

光って見にくいですが、閻魔様のやや右下に奪衣婆(だつえば)もいました。

 

境内で目に付く「大木」と「鬼瓦」

 境内には、銀杏や桜などの大木があちこちにあります。

銀杏の木

 

サクラの木

 

また、鬼瓦、鴟尾(しび)といったものが目に付きます。

鬼瓦

 

鴟尾も置いてあります。旧本堂のものでしょうか。

 

御朱印

御朱印は、本堂に続く正面の庫裡玄関で頂きました。

 

庫裡内部です。

 

本尊「薬師如来」の御朱印です。

 

所感 

 円照寺は、境内が整然として、よく草花や大木の管理が行き届いている印象でした。また、シャクヤクやサクラ、紫陽花など四季によって楽しめるように考えて植えられています。この寺院の散策も気持ちよくすることが出来ました。

 

 この円照寺を建立した藤原秀郷は、武勇に優れ、弓の名手でもあります。由緒に記述した通り朝廷に謀反を起こし挙兵した「平将門」を討伐した人物としても知られています。

 天慶3年(940)、藤原秀郷が将門を討伐するため出陣しましたが、病にかかり伏してしまいます。伏したとこで、霊示があり、それに従って祈ったところ、苦痛はなくなります。将門討伐の祈願もして出陣し、その願いも達成されます。喜んだ秀郷は、凱旋の後、ここに堂塔を建立し、圓照寺としたということです。

 また、藤原秀郷については、琵琶湖を舞台にした伝説があります。琵琶湖に住む龍神の姫が、度々襲ってくる百足に苦しめられており、秀郷に退治を依頼。秀郷は得意の弓で見事、百足を退治したのです。画面左に龍神の姫と思しき人物がいます。

藤原秀郷竜宮城蜈蚣射るの図」(月岡芳年画『新形三十六怪撰』より)

「蜈蚣」も古くから「むかで」と読むそうです。作者の「月岡芳年(つきおかよしとし)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。

 このように、円照寺に関する右衛門桜、そして藤原秀郷の物語は、調べれば調べるほど面白いものです

                      おわり